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【第6話 二人だけの知っている顔】

仕事の関係で、幸也が取引先として成美の会社を訪れることになった。

会議室で打ち合わせが始まる。

相手側の担当者や上司は、口々に幸也へこう言った。


「今回の案件は、成美さんに任せておけば大丈夫ですから」

目の前に座る成美は、見事な仕事モードだった。


整理された美しい資料を提示し、こちらの質問にも的確に答え、

こちらの体調やスケジュールへの気遣いも完璧。後輩への指示出しもスマートだ。


(……普通に仕事できるじゃねぇか)


幸也は黙ってその姿を見つめていた。

周囲からは「成美さんは本当にしっかりしてるんですよ」

「困った時はいつも成美さんに相談してます」

「後輩からもすごく慕われていて」と、絶賛の声しか聞こえてこない。


(……こいつが?)

幸也の心の中に、一瞬だけ歪な違和感が走る。


だが、それを否定する理由もなかった。

目の前にいる成美は、どこからどう見ても優秀で頼れる大人そのものだったからだ。


打ち合わせが終わり、周囲の人間が席を外して二人きりになった瞬間。

幸也は資料をファイルに収めながら、ふっと成美を見上げた。


「……お前、今じゃ別人だな」

「え? なにがですか? これが私ですよ?」


成美はきょとんとしたあと、

(あ……っ! アイスクリームのこと言ってるんだわ!)と察し、

顔を赤くして視線を逸らした。


「……あの、あれは……忘れてください」

小さくなって呟く成美を見て、

幸也はそこで初めてフッと口角を上げた。


「やっぱりそれか」

「……やっぱりって何ですか!」

膨れる成美。


仕事のできる「成美さん」を見たあとに、

ちゃんと幸也の知っている

「ポンコツで素直ななる」が出てきた。


周囲が誰も知らない彼女の顔を、自分だけが知っている。

幸也はそれを言いふらすつもりもなかったが、

ただ心の中で(お前、面白いな)と、

二つの顔を持つ「なる」という存在を面白がり始めていた。


◇

それから何度か、一緒に仕事を進める機会が増えた。

ある日、幸也が少しボリュームのある作業を頼むと、

周囲の同僚は「成美さんなら大丈夫ですよ」と当然のように笑い、

成美も「はい、大丈夫です」と笑顔で引き受けた。


だが、幸也はほんの少し眉をひそめて成美を見た。

「お前、それ一人でやる気か?」

「はい。そうですけど……?」

成美の答えには、微塵の迷いもなかった。


「一人で抱え込む=無理をしている」

という認識そのものが、成美には存在しないのだ。


「……『そうですけど』じゃねぇよ」

「え?」

「手伝う」

「えっ、でも……」

「『でも』じゃねぇ。二人でやったほうが早いだろ」


少し考えたあと、成美は「……そうですね」と頷いた。

成美にとっては「甘えた」という感覚すらなく、

単に幸也が手伝ってくれるから一緒にやる、それだけの素直な応答だった。


だが、幸也の受け止め方は違っていた。

(この女、マジで一人で全部やるのが当たり前だと思ってやがるな……)


自分から「手伝ってほしい」と誰かに頼むという発想自体が、

この女の頭にはない。

幸也はその歪さに、少しずつ気づき始めていた。


◇

また別の日。成美の同僚が、

申し訳なさそうな顔で成美のデスクにやってきた。


「なる、ごめん! これ今日中に確認お願いできる……?」

「うん、いいよ」

手元のスケジュールを一瞬だけ見て、即答する成美。


本当は自分の仕事で手一杯のはずだった。

見ていた幸也が、同僚がいなくなったあとに声をかける。


「お前、自分の仕事はどうするんだよ」

「あ、これ終わってからやるから大丈夫だよ」そう言って笑う成美に、

幸也は「……そうか」とだけ返し、

その場では追及しなかった。


だが、それから数日。

成美は連日のように遅くまで残業を重ねていた。


会社で終わらない仕事を、家にまで持ち帰っているらしい。


けれど、誰の前でも文句ひとつ言わず、

いつも通り笑顔で働いている。


残業が続いたある日の終業後。

幸也が成美のデスクに歩み寄った。


「飯」

「……え?」

「飯、行くぞ」

成美は驚いたものの、すぐに立ち上がった。

幸也は「疲れてるだろ」とも「休め」とも言わない。


ただ、いつも通りぶっきらぼうに飯に誘うだけだ。

二人で店へ向かう道中、幸也がさりげなく口を開いた。


「最近、残業多いな」

「あっ! バレてました?

 残業多いと上から怒られるので、内緒にしててくださいね」

「……お前な」

成美は「お願いしますね(笑)」と冗談めかして笑った。


だが、幸也の胸の中には、また一つ違和感が引っかかった。

(怒られるから残業を減らす、じゃなくて……怒られるから『隠す』なのか?)

店に入り、温かい料理を食べながら、幸也がふと尋ねた。


「お前、仕事以外の時間は何してんだ?」

「ん〜……最近は、何もしてない……かも」

「は?」

「あれ? 私、休みのとき何してるんだろ……」

自分で訊いておきながら、成美は首をひねっていた。


自分のための時間、自分の好きなこと。

そんなものを最後にどう使っていたのか、自分自身でも分からなくなっていたのだ。

向かい側でグラスを傾ける幸也の目が、静かに細くなる。


(こいつ……平気な顔して笑ってるけど、自分のこと、何ひとつ見てねぇな)

限界まで頑張っている自覚すらない。

助けを呼ぶという発想もない。

食事を終えたあと、幸也はひとつ決断をした。


「次の視察、御社の成美さんを同行させたいんですが」

幸也は成美の上司に、そう正式に打診した。


会社側は「優秀な成美さんが指名された」と誇らしげに送り出し、

成美自身も「出張の仕事だ」と疑わずに引き受けた。


だが、幸也の狙いは全く別のところにあった。

「仕事」という名目でなければ、この女は休もうとしない。


自分のために時間を使おうとしない。

きっとこの女は「仕事」という名目なら 断らねぇだろ。


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