【第2話 大丈夫】
小学校高学年になった冬、弟がインフルエンザにかかった。
高熱にうなされる幼い弟のため、母は店を休み、付きっきりで看病をした。
学校から帰ってきた成美に、母は心底申し訳なさそうな顔で言った。
「なる、ごめんね。お母さん、そろそろお店行かないと」
「うん、任せて」
成美は制服のまま、弟の布団の横に座った。
「なる、これ飲ませてあげて。あと、汗かいたら着替えさせてあげてね」
「分かった」
「お母さん、なるべく早く帰ってくるから」
「うん」
母が出ていく。弟を見る。
「ほら。お姉ちゃんいるから大丈夫だよ」
弟は苦しそうに、「……うん」と返した。
数日後には弟の熱も下がり、すっかり元気を取り戻しただが、
交代するように、今度は成美が激しい寒気に襲われた。
体中が痛み、熱は一気に三十九度近くまで上がった。
視界がグラグラと揺れて、息をするだけで喉が焼けるように熱い。
いつものような頼りになる「お姉ちゃん」ではなく、
ただの熱に怯える小さな子供だった。
「なるごめんね……お母さん、お店に行かないといけないの」
成美は目を閉じたまま、
「うん」と答える。
「弟、一人にできないから……今日は一緒に連れて行くね」
「うん」
「なる、一人で大丈夫?」なるは少しだけ笑った。
「大丈夫だよ」母は何か言いたそうにした。
でも、結局、
「……何かあったら電話してね」と言った。
「うん」母が出ていく。
弟の声が、遠ざかる。玄関が閉まる。家の中が静かになる。
成美は布団の中で目を開けた。
誰もいない。熱でぼんやりする頭。
喉が痛い。身体が重い。
でも、「大丈夫」と言った。
誰に聞かせるでもなく。
自分自身に。
「……大丈夫」
そう呟いて、布団を鼻までかぶった。
静まり返った家の中
部屋は薄暗く、寒くて、ただ時計の針が刻む音だけがやけに大きく響いている。
枕元には、冷めたおかゆと水。
電話をかければ、母は飛んで帰ってきてくれるかもしれない。
でも、いま店を休めば、お父さんとお母さんが困る。お客さんにも迷惑がかかる。
◇
それからの成美は、見事なまでに「しっかり者」として成長していった。
中学に入り、友達から「今日あそぼー!」と誘われても、
「ごめん、今日お店の手伝いがあるから」と柔らかく断った。
「えー、なるんち大変だね」と言われても、「ふふ、まあね」と笑顔で返した。
そこに我慢している悲壮感など微塵もなかった。
家族が好きで、頼られることが自分の居場所だったから。
高校生になっても、頼まれごとは断らず、周りの期待に応え続けた。
いつしか周囲の評価は、
「成美に任せておけば大丈夫」
「成美は本当にしっかりしている」で固まっていた。
成美自身も、誰かに頼られると、それが頑張る力になった。
しっかりしていると褒められれば、素直に嬉しかった。
ある夜。 実家のレストランの営業が終わり、
片付けが一段落した厨房で、父と母が仲良くグラスを拭いていた。
少し離れたところで皿を拭いていた成美に、父が振り返って目を細める。
「なるがいてくれると、本当に助かるなぁ」
「本当ね。なるは昔から手がかからなくて、本当に頼りになるわ」
母の言葉に、成美はエプロンをキュッと締め直して笑った。
「なにそれ、急に(笑)。さ、早く片付けてお風呂入りなよ」
誇らしかった。嬉しかった。
自分はちゃんと、大好きな家族の力になれている。
けれど、すべての作業を終え、自分の部屋のベッドに倒れ込んだとき。
暗闇の中で天井を見つめながら、
ふと胸の奥に小さな穴が開いたような感覚に襲われた。
(……今日、お母さんと仕事以外の話、してないな)
「今日ね、学校でこんなことがあったんだよ」
「今日ね、ちょっと悲しいことがあったんだ」
そんな他愛のない会話を、最後にしたのはいつだっただろう。
……いや、いいのだ。お母さんたちも疲れているんだから。
明日、時間が出来たら話せばいい。
成美はそっと目を閉じ、意識を落とした。
「大丈夫」と微笑むことが、日に日に上手くなっていく。




