【第27話 交錯する糸と、予期せぬ再会】
幸也の脳裏には、今朝の成美の姿が焼き付いていた。
キッチンで静かにコーヒーを淹れる、あの小さな背中。
(なる……頼むから振り向け。振り向いてくれ……)
心の中でどれほど強く念じても、成美が振り返ることはなかった。
「……行ってくる」
と絞り出すように告げて部屋を出たものの、
頭の中は成美のことで一杯だった。
あいつは、見た目はしっかりしている。
人前で簡単に涙なんて流さないし、与えられた仕事も完璧にこなすだろう。
俺がいなくても一人でやっていける事は、
分かっている。知っているのだ。
だが問題は、あいつが「やりすぎる」ことだ。
自分の限界を超えて倒れる寸前まで追い詰められていても、
自分ではそれに気づかない。
だからこそ俺が一番近くで、見守ってやりたいと思っていたのに。
◇
その日の夜、幸也はあの女——千鶴と会う算段をつけていた。
その場で「成美とは終わった」と告げれば、
ひとまず成美に向けられた直接の危険は取り除けるはずだった。
「こんばんは。今日の成美さん、
見た目は普通でしたが……私には分かりましたよ。
ふふ、ちゃんと終わらせたのですね。」
暗がりの中で、千鶴は満足そうに歪んだ笑みを浮かべた。
「これで満足か? それなら約束通り、成美の安全は保証しろよ!」
怒りを抑えつけるように睨みつける幸也に、
千鶴はクスクスと愉しそうに肩を揺らす。
「……そうでしたね。約束、でしたね」
「お前な! 成美に何かあってみろ!」
「はいはい。では、それだけは約束しましょう。……『安全』だけはね」
人を食ったような態度に拳を握り締めながらも、
幸也は成美を標的から外せたことに、胸を撫で下ろすしかなかった。
◇
それから数日。 幸也は夜になると、
成美がちゃんとマンションに帰っているか、
部屋に明かりが灯っているかを確認するためだけに、
近くまで来ては静かに見上げていた。
そして今日。幸也は仕事の打ち合わせという名目で、
成美の会社を訪れていた。 成美に会うつもりはない。
ただ、あいつが安全に過ごしている気配を感じられればそれでいい。
そう思っていたはずだった。
打ち合わせを終え、成美の姿を見つけられないまま会社を出ようとしたが、
幸也は未練を断ち切れず、
ロビーのソファーで一人、時間を潰すことにした。
すると背後のスペースに、
成美の同期と思われる社員たちが座り、
何やら話し始める声が聞こえてきた。
「ねぇ……最近、成美変じゃない?」
「あ〜、私も同じこと思ってたよ」
「仕事はちゃんとしてるんだけどさー……なんか元気ないよね?」
「うん。今日なんて元気ないどころか、ペットボトルのお茶と間違えてコーヒーの原液飲もうとしてたよ〜! 私、慌てて止めたもん」
「えっ、嘘でしょ!? あの成美が!?」
耳に飛び込んできた会話に、幸也の背中に冷や汗が流れた。
(コーヒーの原液……!?)
周囲からは見えなくても、成美は限界まで弱っていたのだ。
おそらく同期すら気づかない場所で、
黙々と、ひたすらに自分を削りながら仕事をこなしている。
(なる……お前は本当に……!)
居ても立っても居られない衝動に駆られた、その時だった。
ロビーの奥、エレベーターホールから成美が歩いてくるのが見えた。
そしてその隣には——談笑するように歩く、
あの女、千鶴の姿があった。
幸也の頭の中で、何かがブツリと切れた。
(あの女……!! 成美を危険に晒さないと約束したはずだろ!!)
千鶴が約束を破って成美に近づき、
今まさに攻撃を仕掛けようとしている——そう思い込んだ幸也は、
理性よりも先に体が動いていた。
大股で二人の元へ詰め寄る幸也。
「……何してる」
突然目の前に現れ、
地の底から響くような声で千鶴を鋭く睨みつける幸也。
成美の前に立ちはだかり、
庇うように身構える。
「え……? 幸也さん!?」
突然の幸也の登場に、成美は目を見開いた。
千鶴は一瞬驚いた顔を見せたものの、
すぐに可憐な後輩の顔に戻り、首をかしげて微笑んだ。
「何もしてませんよ? 先輩と仕事のお話をしてただけです」
本当にただの社内での会話だった。
千鶴は周囲の目がある場所で、
普通の後輩として成美と話していただけなのだ。
だが、幸也のその異常なまでの警戒心と、
千鶴に向けられた憎悪に満ちた瞳を見て、
成美の頭の中で雷が落ちたような衝撃が走った。
(幸也さん……千鶴ちゃんのことを知ってるの……?)
今まで繋がらなかった不審な点。
夜中の外出、自分を会社まで迎えに来ていた行動、
そして幸也が抱えていた謎の苦しみ。
その全ての中心に、この後輩・千鶴がいる。
成美はハッと息を呑み、固まっている幸也の腕を強く掴んだ。
「……幸也さん。今夜、マンションに帰ってきてください」
「なる、俺は……」
「来てください。逃げないで」
まっすぐに自分を見つめる成美の強い瞳に、
幸也はぐうの音も出ず、
小さく頷くことしかできなかった。




