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【第26話 無言の夜、去りゆく背中】

言い争ってしまったあの日から、

二人の間には息もできないほど気まずく、

重苦しい空気が漂っていた。


(幸也さんは……もう私に『隣にいろ』とは言ってくれないんだ)


言葉を交わすことも減り、成美から目を逸らすようになった幸也を見て、

成美の胸には冷たい諦めと悲しみが広がっていく。


あんなに温かかった砦が、

急に遠くへ離れていくような感覚。


悔しくて、悲しくて、これからどうすればいいのか、

成美にはもう何も分からなくなっていた。


一方、幸也の頭の中もまた、限界まで追い詰められていた。


(どうすればこいつを守れる……?

 どうすればあの女の狂気から成美を遠ざけられる……?)


考えても、考えても、行き着く答えはひとつしかなかった。

あの女の要求通り、見せかけでもいいから成美から離れること。

俺が側にいなければ、あの女のターゲットは成美から外れる。


(俺は成美に嫌われたっていい。

 ……成美が安全に、傷つかずに暮らせるなら、俺はどうなったっていいんだ)


覚悟を決めた幸也は、夕食のテーブルで、

伏し目がちに静かな声を絞り出した。


「なる……俺、しばらく仕事が忙しくなるから」


成美の手が止まる。幸也は成美の顔を見ないまま、淡々と告げた。


「……期間は決まってない。だから、お前はそのままここで…暮らしていてくれ」


「……」


成美の耳に、幸也の言葉が届く。

けれど、頭がその意味を理解することを拒んでいた。


静寂が部屋を支配する中、長い時間をかけて、

ようやく成美の唇から掠れた声が漏れた。


「……それって、もうここには帰って来ない、ということですか?」


幸也は答えられない。

固く口を結び、ただ耐えるように目を伏せる。


「……私たち、別れるんですか?」


逃げ場をなくすように、正面から問うてくる成美の瞳。

それでも、幸也は何も言えない。一言も答えられない。


もし——何かひとことでも言葉を発してしまったら。

今すぐ成美をこの腕の中に強く抱きしめて、

「違う!」と叫んでしまいそうだったからだ。


◇

その日の夕食は、

お互いに無言のまま重い時間が過ぎた。


夜になり、同じ部屋で、同じベッドに二人で横たわる。


すぐ隣に温もりがあるのに、

二人の間には果てしない深淵が広がっていた。


成美も、幸也も、暗闇の中で瞳を開けたまま、

眠れぬ無言の時間をただじっと耐えていた。


言葉をかけ合うことも、触れ合うこともできないまま、

やがて冷たい朝の光が部屋を照らし始める。


「……行ってくる」


幸也は一度も成美と目を合わせないまま、

身支度を整え、静かに部屋を出て行った。

パタンと、ドアが閉まる音。


静まり返った部屋に取り残された成美は、

誰もいなくなった玄関をじっと眺めていた。


ぽろぽろと、こぼれ落ちる涙が止まらない。

あんなに温かかった二人の部屋で、

成美は膝を抱えて、たった一人で泣いた。



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