【第25話 踏み込んだ境界線】
浮気……なのかもしれない。
一度芽生えた疑念は、夜を重ねるごとに
成美の胸を冷たく蝕んでいった。
けれど、どうしても腑に落ちないことがあった。
もし心移りをしているなら。
私に内緒で別の誰かと会っているなら。
——どうして幸也さんは、自分の時間を割いてまで会社に迎えに来るのだろう。
周囲を伺うような警戒した瞳で自分を見つめ、
迎えに来てくれるあの行動の意味が、どうしても分からない。
聞くべきか、そっとしておいた方がいいのか。
悩みに悩み、眠れぬ夜を明かした成美は、ついに覚悟を決めた。
夕食後の静まり返ったリビング。
ソファーでスマホを凝視している幸也の前に、
成美はゆっくりと立ちふさがった。
「幸也さん……私に何か隠し事していますか?」
静かだが、逃げない瞳。
幸也はスマホから目を離し、微かに眉をひそめた。
「いや……」
「では、私に内緒で誰かと会っていますか?」
「……っ」
幸也の息が止まる。
その動揺を、成美は見逃さなかった。
追求される焦りと、成美を巻き込んではいけないという焦燥感が混ざり合い、
幸也の口から思わず棘のある声が漏れた。
「なんでそんな事、聞くんだよ!?」
「……どうして、怒るんですか?」
成美の声が震える。
後ろめたいことがないのなら、なぜそんな風に感情を荒らげるのか。
問いつめられ、退路を断たれた幸也は、
成美を守るための突き放す言葉を反射的に口にしてしまう。
「お前には関係ない!」
成美の感情が決壊した。
抑えていた想いが、激しい言葉となって溢れ出す。
「幸也さん!私と付き合うときに、私に言いましたよね!?
『お前は一人でなんでもするだろ? だから俺の横に来い』って!
今の幸也さんは、あの時の私と一緒で一人で抱え込んでいるように見えます!
それでも、私に言えない事なんですか!?!?」
自分の自尊心を救い出し、横に引き上げてくれたあの日の幸也の言葉。
それを思い出して必死に訴える成美に、幸也は絶句した。
「……」
ぐっと唇を噛み締め、黙り込む幸也。
その沈黙こそが、何よりの肯定に見えてしまう。
「……それでも、私には関係ない事なんですね!?」
畳みかける成美の声に、幸也は心を鬼にした。
「……そうだ。お前には関係ない」
「私に関係ないことなら、どうしてそんなに苦しそうなんですか!?」
「……」
「どうして……私を会社まで迎えに来るんですか!?」
叫ぶような問いかけ。
(俺にはあのエレベーターの事故だって、偶然だとは思えない)
(成美宛てに届いた、あの差出人のない荷物も……)
幸也の口が微かに開き、消え入りそうな声が漏れた。
「……成美」
それ以上、幸也は何も言わなかった。言えなかった。
(……幸也さんは、もう私を隣に置いてくれなくなったんですね……)
成美の心は、音を立てて打ちひしがれていった。
自分を信じてくれていない。
自分はもう、幸也さんの「隣」にいさせてもらえないのだと。
そして——絶望に目を見開く成美を目の前にしながら、
幸也の胸の中もまた、地獄のような悲鳴を上げていた。
(なる……お前を危険な目に合わせたくない)
(あの女が何をするつもりなのか、俺にも全部は分からない)
(ただ一つだけ分かっている。俺と別れなければ、成美を狙うと言われている)
屈するつもりなどない。
成美を渡すつもりもない。
けれど、一歩間違えれば、
この愛おしい存在が理不尽な悪意に壊されてしまう。
(離れるしか……守れる方法はないのか……!?)
二人でいることが、成美を壊す。
お互いを狂おしいほど愛しているからこそ、
二人の世界に、逃げ場のない漆黒の暗雲が立ち込めていた。




