【第10話 初めて知る感情】
コラボ企画としての大型プロジェクトが無事に最終契約を迎え、
今日はその打ち上げ兼お疲れ様会が開かれていた。
幸也はもともと協力会社の人間だ。
このイベントが一段落したことで、彼は元の自分の会社へと戻ることになる。
次にまた一緒に仕事をする機会があるのかは、誰にも分からない。
会場である居酒屋の個室は、成功を祝う歓声と笑顔で満ちあふれていた。
そんな中、成美は少し離れた席からグラスを片手に持ったまま、
ぼんやりとある一角を見つめていた。
部屋の奥で、幸也が数人の女性社員たちに囲まれている。
女性たちは楽しそうに幸也に話しかけ、幸也も仕事の延長として、
いつも通りフッと鼻で笑いながら普通に受け答えをしている。
それを見た瞬間、成美の胸の奥が、
なんだか「ぞわぞわ」と落ち着かなくなった。
(……なんだろう、これ)
怒っているわけではない。悲しいわけでもない。
ただ、なぜか箸を持つ手が止まり、
料理に手がつかなくなってしまう。
「成美さん、どうしたんですか? 体調悪いですか?」
隣に座った同僚に心配そうに覗き込まれ、
成美はハッとして振り返った。
「え? 何が?」
「え……いや、なんだかぼーっと遠くを見てたので」
「ううん、何でもないよ。大丈夫」
自分でも本当に理由が分からず、首をひねる成美。
だが、成美のその視線に、幸也はかなり早い段階で気づいていた。
女性社員と話しながら、チラリと成美の方を見る。
視線が合うと、成美は慌ててあからさまに目を逸らした。
幸也の目が、怪しむように細くなる。
(……なんだあいつ?)
しばらくして女性たちとの話を区切ると、
幸也はまっすぐ成美のいるテーブルへと歩いてきた。
「なる」
「はい?」
「さっきから何だ」
「何がですか?」
「俺のこと見てただろ」
「……見てません」
「見てた」
「……」
咄嗟に否定して、その場をやり過ごそうとする成美。
だが、今の幸也にはもう、その誤魔化しは通用しない。
「言え」
幸也の低く短い声。
成美は困り果てて、自分の胸の奥にある正体のわからないモヤモヤを、
必死に言葉にしようと口を開いた。
「……なんか……」
「なんだ」
「……分かんないです」
「分かんなくてもいい。言え」
そう言って、幸也はぽん、
と成美の頭の上に大きな手を乗せた。
頭に置かれた手が、思っていたより温かかった。
その瞬間、不思議なくらい肩の力が抜けた。
「……あの人たちと、楽しそうだなって……」
自分でも驚くほど素直に、言葉が口から零れ落ちていた。
幸也が一瞬、黙り込んだ。
(……?)
さっきまであれほど焦って「分からない」と固まっていたはずなのに、
頭に手を置いた途端、成美は驚くほど素直に言葉を零した。
幸也は一瞬、黙る。
(こいつ……触れてると、言葉が出やすくなるのか……?)
幸也は成美の頭に乗せた手に少しだけ力を込めると、
心の中で静かに呟いた。
(……覚えとくか)
「それだけか?」
「……たぶん」
「ふーん」
幸也は少しだけ口元を上げると、
成美に顔を近づけて低く囁いた。
「なる。お前、もしかして妬いてんのか?」
「…………え?」
成美は目を見開いた。
妬いている……? 私が? 幸也さんに……?
自分の胸の奥にあった、あの「ぞわぞわ」とした感情。
それが何なのか、成美にはまだ完全には分からなかった。
けれど、幸也に他の女性と楽しそうに話してほしくないと思ったことだけは、
もう誤魔化せなかった。
成美は自分の心とじっと向き合い、
ぽつりと口を開いた。
「……はい。私、妬いているのかもしれません」
幸也は一瞬だけ目を細めた。
「……上出来だ」
と言って、少しだけ口元を緩めた。
「安心しろ。俺が見てんのは、お前だけだ」
成美が目を見開いた瞬間、
幸也が顔を寄せる。
「……っ」
初めての口づけをした。




