2-1、とおりゃんせ
二、とおりゃんせ
朝を待たずに、太郎と英恵は宿を出た。
かがり火がごうごうと燃えている。そのそばには、火の番をする大人の姿があった。初老の男である。
男は英恵を見て一瞬顔をしかめたが、隣に太郎がいるのを確認すると、取り繕ったように笑みを浮かべた。忠人と同じ笑い方だ。
「英恵。なにかあったのか?」
火の番をする大人が問う。英恵は控えめにうなずくと、火の番の男が懐から笛を取り出した。竹でできた笛だった。
それを男は、思いきり吹き鳴らした。
ぴいい、と細く甲高い音が村に響くと、物見やぐらにいる男が、かんかんと鐘を鳴らす。
次第に、家屋に明かりがつき始める。ぞろぞろと大人たちが家から出てくる。子供たちは、大人に隠れて家の中から外をうかがうだけだった。
「なんだなんだ」
「あのよそ者がなにかしたのか?」
村人は、笛の音のもとに集まって、やがて太郎は取り囲まれて、あっちこっちから非難される。
しかし、女がほとんどいない。男ばかり――しかもどれも四十歳以上で、若い男が一人もいないのは、ある種異様だった。
その多くの男たちは太郎をにらみ、少数である女たちが、悪意を隠すことなく太郎にぶつける。
「うちの子供は、巻き込まないでね?」
「ああ、だから宿の予約なんてとらなければよかったんだ」
「よそ者が災いをもたらした」
大人たちが宿に向かって『液体』を撒いた。毒かと案じ、太郎は英恵を庇うように前に出た。
「なにするんだ!」
「ああ、ああ。お神酒をかけたくらいで怒るなんて」
村の男がわざとらしく嘆いた。
お神酒といえば、昨日はそれを舐めたせいで気を失った。この村のお神酒は特別なのだろうか。
「英恵、大丈夫か?」
「私は平気」
「なんで大人たちは、お神酒を撒いたんだ?」
そして、なぜ昨日、太郎が倒れたのか、とも目で訴える。英恵はふと息を吐き出した。
「この村ではお神酒は、けがれを祓うから」
「けがれ……」
つまり、太郎はこの村にとっては、あくまでも部外者、けがれたものなのだろう。
「あなたのせいで、また村が呪われた!」
終いには怒鳴られて、太郎はなにも言えなかった。
いたたまれない。
太郎だって、大学で失敗すれば大人たちに叱られることはあった。あった、のだろうか?
太郎は生まれてこのかた、叱られた記憶がない。だが、今はそんなことはどうでもいい。
ここの大人たちは、ずっと、太郎がここに来てからずっと、太郎ばかりを責め立てる。
その理由を、太郎は先ほど知った。
太郎が村に来たことで、わらべ歌の呪いが発動したのだ。
暗い気持ちに陥りかけたその時、英恵が太郎の手をそっと握った。その手に体温はない。見れば、英恵の顔は青ざめている。
忠人の英恵への態度を見るに、この村に英恵の居場所はない。
先ほどの罵声は、太郎へというよりは、英恵への見せしめ目的だったのかもしれない。
よそ者を招き入れた、宿屋の娘。
「英恵、俺のせいで」
「ううん。違うの。太郎はなにも悪くない。太郎はこの『出ない村』を終わらせる存在なんだよ」
英恵はきっと、元来素直だ。だからこそ、この村の異常さにも気づいているし、誰よりもこの村を出たがっている。
いや、本当にそうなのだろうか。
「英恵。あんた、偉そうにしていたのになにもできてないじゃない」
「おばさん、今はその話は」
「ええい、英恵! おまえがすべて『やる』って言うから、来客も受け入れたのに! なんてざまだ!」
大人の女はヒステリックに叫び、大人の男は、英恵を迷いなくぶった。一人二人じゃない、何十人もが英恵に寄ってたかって英恵を囲んだ。太郎は足がすくんでなにもできなかった。
この村の本質を、見てしまった。見てはいけないものを、見てしまった。
殴られた英恵の身体が左に投げだされる。こぶしで殴られた頬が腫れ、唇が切れて血が出ている。
森の向こうに朝日が見える。太郎は英恵をかばうことができない。怖い、大人たちに殴られるのが。
太郎は自分に嫌気がさした。女の子ひとりも守れない、太郎は無力な存在だった。
太郎が震えている。太陽が地平線から光だけをのぞかせている。
もう、正月が終わろうとしている。
だが、太陽が昇るまでは、まだお正月のままだ。そうだ、この呪いは、太郎がいるせいで起きる。だったらこの村を出ていけばいい。
いや、そんなの言い訳だ。太郎はただ、この場所から逃げ出したかった。足が走り出す。
「太郎!?」
「英恵! 俺、もう一回あの森、行ってくる!」
そうだ、昨日はたまたま帰れなかっただけで、今日はきっと、あの森を抜けられるはずだ。抜けてしまえば、きっとこれ以上英恵は責められないし、太郎だって肩身の狭い思いはしなくて済む。
それになにより、殺人が起きた。忠人が死んだことを村の外の警察に知らせなければ。この村はおかしいと、知らせなければ。
森まで走って、そのまま木々の間を走り抜ける。足元に細心の注意を払う。転んだらまた、森の入り口に戻ってしまうかもしれない。
足を上げて、勢いよく走る。
しかし、その足が、『なにか』にからめとられ、太郎は転んだ。転ぶときも、顔は前を向いたままだった。瞬きの一つもしなかった。
だというのに、転んだ膝が地面についた瞬間、脳みそが揺れた刹那の間に、太郎の身体はもう、森にはいなかった。
「太郎!?」
「はな、え……?」
目の前には英恵の顔。先ほどよりも、頬や手足に傷が増えている。
英恵は村の人間に折檻されていたらしく、うずくまって、泥まみれだった。
雪が泥に汚れている。村人の靴が、雪と泥と、英恵の血で汚れていた。
醜い。怖い。出ていきたい。直視できない。
だけど、太郎は勇気を振りしぼった。カラカラのぞうきんだって、絞れば一滴くらいの水は出てくる。そんな、わずかばかりの勇気だった。
「なんで、なんで英恵を責めるんだよ!」
森の方に走っていったはずの太郎が、いきなり目の前に現れたことに、村人は三歩、後ずさった。ざっざと雪を踏みしめる音。雪についた足跡には、英恵の血が混じっていた。
太郎はしゃがみ込んで英恵の傷を見る。特に、手の傷が切れて、痛々しい。
仮にも女だからか、顔の傷は最初に殴られた一回のみらしい。
太郎が英恵を起き上がらせる。英恵は笑いながら、「大丈夫だよ」と答えた。その言葉に、腹が立つ。
大丈夫なはずがない。子供とは、大人が守るべき存在であるはずだ。英恵が一体、なにをしたというのだろうか。
数少ない女の大人――二人だけしかいないうちの一人が、叫んだ。
「やっぱり、これは、呪いなんだわ!」
「ああ。英恵のせいだ、だから忠人さんが死んだんだ」
「そうだ。英恵さえ、死んでくれれば」
なんて恐ろしいことを言うのだろうか。
それは、英恵がこの村の『生贄』だと言っているようなものだった。
生贄? なんの?
英恵が死ねば、この村の呪い――わらべ歌の呪いは、解けるのだろうか?
「英恵が死んだって、この呪いは解けないだろう!? 俺が解かなきゃならないって、そう言い伝わっているのに」
「部外者は黙っていろ! あなたになにがわかる! この村の言い伝えもしきたりも、あなたのせいで、こうなったのに」
「なんで俺のせいなんだ!」
先ほどまでの逃げ腰な太郎は、もうそこにはいなかった。
英恵を置いて、自分一人だけ逃げたことを恥じる。
太郎は、英恵の肩を抱いて、かばうように自分の方に引き寄せた。英恵は相変わらず、震えている。
「あなたのせいで……呪いが発動したんじゃないか。だったら、この宿に泊まることを許した、忠人さんと、その娘である英恵が、この呪いを鎮めるために生贄になるのは当然じゃないか!」
男が太郎に言い返す。
そんなもの、そんな醜い風習になんの意味があるというのだろうか。
あれは呪なんかじゃない。呪いなんかで人は死なない。でも、太郎がこの村から出られないことも事実、つまり、呪いは存在する。
それでも、それでも。
「あんたたち、それでも人間かよ」
太郎は立ち上がって、村の大人たちに威嚇した。
もうすっかり、太陽は地平線をのぼってしまっている。太郎はこの村から、出られない。お正月は、もう終わった。
太郎がこの村から出るには、松の内七日のうちに、村の呪いを解く必要が、ある。
「あなたがそれを言う!? 部外者、元凶の、あなたが!」
「元凶って……俺がなにしたって」
「あなたがこの村に来たから、村に残る言い伝え――呪いが始まったんだ。忠人さんが死んだのが、その最初だ」
確かにあれは、呪いと言うにはふさわしかった。
だるまたちに取り囲まれて、その死体は今、どこにあるのかもわからない。
しかし、この村の大人たちは、なぜ忠人の死を『呪い』だと言い切るのだろうか。
呪いで忠人が死んだなら、だるまが物理的に宿に残っているのは、おかしい。
呪いの存在は確かに認める。それでも、摩訶不思議なことが起こるたびにそれを『呪い』と断じてしまったら、誰もなにもできなくなる。
あの人が死んだのは、呪いだ。あの病気は、呪いだ。呪いを信じていないから、あの人は怪我をした。あの人は呪われているから、美しいんだ醜いんだ。
そうやって、昔から人間は不幸を目に見えないもののせいにしてきた。
だったら太郎は、その呪いの正体を、暴こうではないか。
「忠人さんの死体、見たわけでもないのに。もしかして、この村の誰かが、意図的に呪いを作った――忠人さんを殺したんじゃないのか?」
うっと、大人たちが口を結んだ。ほら、やっぱり。
この村は、ずっとおかしい。特に大人たち。
大人たちは、太郎をことのほか丁寧に扱うし、予想外に拒絶する。
にこりと、一様に笑みを浮かべる大人たちは、なにかを隠しているようにも見えた。
「正月に死人が出るのは、もうこの村では当たり前なの」
とうとう、英恵が口を開いた。
殴られた頬を抑えて、膝は笑っている。あとで手当てをしなければ、と太郎はぼんやりと思った。
「お正月のこの村に来客があったのは、太郎が初めてじゃないの」
「え……?」
「毎年……ごめん、私嘘をついた。毎年、選ばれた人がね、この村に来るの」
生贄は英恵だと思っていたのに、太郎の方がそれらしい。
つまり、毎年正月にこの村に来る客人が、呪いを解くために奔走する。
しかし、いまだに村人がここから出られていないところを見るに、どの来客も、呪いを解けていないらしい。
「その……去年、おととし、その前の来客って、今は?」
なにより先について出た言葉だった。太郎は自分の身を案じた。この村人を案じるより先に、自身の身の安全を、確認するので精いっぱいだった。
「大丈夫。客人だけは、松の内が開けると……でも、村を出てどうなったのかはなんとも」
そりゃあ、誰も村の外に出られないのだから、客人が村を出て死んだのか生き残ったのかなんてわからない。
いよいよ体が震えだす。自分はこの先、どうなってしまうのだろうか。
「太郎、ごめんね、ごめんね。私のせいで」
「英恵のせいじゃない。そもそも、なんで大人たちは英恵のせいだなんて、ひどいことをするんだ?」
やあね、他人事よね、白々しい、あなたのせいなのに。大人たちが口々に太郎を責める。
しかし英恵は、涙をのみ込んで、
「太郎が宿の予約を取った日、電話を取ったのが私なの」
「それがなんだよ」
「この村では、お正月の来客は、最初に出会ったものものがもてなすって決まりになっていて」
そもそも、太郎が英恵の宿に予約を入れたのがよくなかったらしい。
そんなもの、太郎にどうこうできるものではない。
予約をしないで、直接ここに来たらよかったのだろうか。あるいは、雪が降り始めた時点で、引き返せばよかったのかも。
「そんな、それじゃあ……」
がやがや。がやがや。
日の出とともに、子供たちが家から出てくる。眠い目をこすって、中にはあの、かいともいた。
かいとは英恵を見るなり、英恵に駆け寄って、低い身長で目いっぱい背伸びをして、英恵に抱きついた。その様子が、痛々しい。
大人たちは、自分の子供を太郎から隠した。背中にかばって、子供たちは親の足にしがみつく。
その子供も、五人しかいない。この村にいる子供は、たったの五人しかいないのだ。
「はなねえになにしたの! 太郎さん!?」
英恵の傷を見て、かいとが太郎をなじった。太郎はあたふたして、言葉が出てこない。
「あ……俺……」
「かいと、大丈夫。私はなんともないの」
「お父さん、お母さん? はなねえに、なにしたの!?」
かいとが両親を責めるように見た。その両親と、太郎の視線がかち合った。
「あ……あんたらが、かいとくんの両親?」
最前線で、英恵を殴っていた大人たちだった。
かいとの両親が、かいとの手を引っ張り引き寄せる。大事に太郎から隠すように抱え込んで、両親はしゃがんでかいとを抱きしめた。
「こうでもしないと、お父さんもお母さんも。仕方がなかったんだ」
「僕のことはいいって言ってるのに! 僕ははなねえが泣くくらいなら! 僕が立派にお役目を果たすんだ!」
一瞬の隙だった。
かいとが両親の手を潜り抜けて、山の方に走っていく。すばしこく、大人たちをかいくぐって、どこに向かうのか、かいとにははっきりと目的地が見えているようだった。
大人たちは止めない。ただ、英恵の両手が空振りした。
「かいと! そっちに行っちゃだめ!」
しかし、英恵は殴られたせいで、かいとを追いかける体力がない。
太郎は一瞬だけ、迷った。
太郎がこの場を離れて、再び英恵が暴力を受けたら。そう思う気持ちと、かいとのただならぬ行動を止めねばと言う気持ち。
二つがせめぎあって、太郎の足は、止まった。
「太郎、お願い」
と、英恵に呼ばれて、太郎はようやく、自分が息をしていなかったことに気づいた。深く息を吸って、吐く。
腹式呼吸で、お腹が膨らんで、へこむ。もう、迷いはない。
脳に酸素が廻って、太郎は英恵を見、笑った。
「かいとくんは俺が連れ戻すから。英恵はここで、待ってて」
「ごめんね、お願い。あの子を守って」
それがなにを意味するのか。知らぬのは太郎だけだと、のちに気づく。




