1-4、だるまさんがころんだ④
崖の次に案内されたのは、村を分断するように流れる川だった。
「底抜け川と呼ばれています。汚染されていない水なので、煮沸なしで飲むことも可能……とはいえ、都会育ちのあなたさまには、きっと毒でしょうから飲まないでください」
夕日はとっくに沈み切り、あたりに帳がおり始めている。
村に街灯はなく、かがり火だけが頼りだった。
大人たちが、あちこちでたいまつを持ち、かがり火に火を放っている。
「英恵ってさ、スマホとかは持ってるの?」
「持ってないよ。だって、ここどうせ圏外だもの」
「そっか」
だったら、昼間子供たちが『だるまさんが転んだ』で遊んでいたのもうなずける。この村に娯楽らしい娯楽はない。
だからこそ、いまだ生贄なんてものが許される。テレビはあるようだが、きっとテレビの向こうは異世界で、この村は村全体で一つの世界が成り立っている。
この村の正義は言い伝えで、大人が政治を執って、子供たちはその犠牲になる。
そんなの、おかしい。
「そして、この坂がだるま坂と呼ばれる坂です」
「だるま? 先もそうだったけれど、わらべ歌から来てます?」
先ほどの崖がとおり崖。この川が底抜け川。とおり崖は『とおりゃんせ』、だるま坂は『だるまさんが転んだ』、川の名前は『なべなべ底抜け』。だとしたら、あとほかになにがあるのだろうか。
「さようです。わたしの宿の名前が『かごめ』」
「なるほど、なにかいわれがありそうですね」
「いいえ、そんなたいそうなものは。ただ、かごめかごめも、だるまさんが転んだもとおりゃんせも、なべなべ底抜けも。先人たちが名付けたというよりは、後付けの名前に過ぎません」
「そう、なんですね」
違和感がある。
こんなに閉鎖的な村の、象徴的な地名が後付けだなんてこと、あるのだろうか。
「それで、今日はもう暗いので、宿に帰ろうと思いますが。あなたさまはなにか、ほかに行きたいところはおありですか?」
「あ、いいえ。今日はもう……」
山を登っただけで足は限界だった。
雪の寒さにだって、もう耐えられない。
英恵は慣れているのか、雪が髪にかかっても振り払うことはしなかった。雪の日に傘をさすのは、平地の人間がすることらしい。雪の降りしきる地域では雪で傘なんてささない。
それにならって、太郎も耐えたのだが、服に染み込んだ雪が体温を奪い、重くて仕方がなかった。
「ちなみに、この坂――だるま坂では、転んではなりません。転んだ人間は、神に連れていかれますので」
忠人が、坂を下りながら言う。だから、か。
だから、山道ではひとりすたすたと歩いていたのに、この坂では半歩ずつ、慎重に歩美を進めている。
それは隣の英恵も同じだった。一歩一歩踏みしめながら歩いて、転ばないように下をずっと見ている。
太郎はといえば、山をのぼるよりはるかに気楽に、この坂を下りている。
「太郎、速いよ」
「だって、坂で転ぶなんて」
しかし、太郎は甘かった。
さんざん酷使した太郎の都会育ちの足は、とうに限界を超えていたのである。
太郎の足が、もつれた。英恵が太郎に手を伸ばす。しかし、太郎の身体は前に投げ出される。
転ぶ。
そう思って、太郎は受け身を取る――しかし、それを支えたのは忠人だった。
忠人は太郎を引っ張り体を起こし、代わりに忠人の尻が、だるま坂についた。
「お父さんっ!?」
「英恵、取り乱すな。お客さまの前だ」
「でも……!」
両手で口元を覆い、英恵はその場に立ち尽くす。今日何度目かもわからない涙を浮かべて、体は明らかに震えていた。
「あ、なんか、ごめん、なさい……?」
「ああ、ああ……お父さん、なんてこと……!」
だけど、太郎を責めることはしなかった。責めてくれた方がどんなにか楽だった。
だるまざかで転んだ忠人は、本当に神に連れていかれるのだろうか。
忠人が立ち上がり、服の雪を払う。尻が濡れて、寒そうだ。泥にまみれた靴は、独特の形をしている。まるい足先に、茶色と白のスニーカー。それに、びっしりと泥染みができている。
「お見苦しいところをお見せしました。それでは、宿に帰りましょう」
それでも、忠人の声色は先ほどと変わらず、それがうすら寒くて恐怖して、太郎は宿に着くまで、なにも言葉が出てこなかった。
結局、忠人の観光案内は太郎を惑わすだけだった。
わらべ歌にちなんだ地名と、だるま坂で転ばせてしまった忠人。
思い出しても心が沈むだけなので、太郎はこの村の呪いについて思いをはせる。
この村の外には出られない。その呪いを解く方法。
「英恵って、小さいころはどんな子だったの?」
気分転換にお風呂をもらい、部屋に戻ると、英恵が太郎の部屋の布団を敷いているところだった。
まだ夕飯も食べていないのに、布団を敷くには早すぎないだろうか。
「私? うーん。どんな子供っていっても、今もまだ子供だし」
「いって、俺と同い年なんだろ?」
「十九はまだ子供。ぎりぎり、ね」
英恵が布団を敷き終わり、太郎を布団の上に座らせる。その背中側に回って、英恵は太郎の肩を揉んだ。あまりにも、近い。
英恵の甘いにおいが鼻について、太郎は体を前に傾けて、英恵を振り返った。
案外近くに英恵の顔がある。長いまつ毛、切れ長の瞳。
「え、なにすんの」
「なにって。疲れたかなって」
「いや、おっさんかよ。いくら山登りで疲弊したって言ったって、女の子に肩揉ませるとか」
「え。女の子はさ、男の子のためにするでしょ、こういうこと」
こういうこと? と返し、太郎は英恵から距離を取る。
英恵は太郎を追いかけることはしなかった。
人一人分の間を開けて、向かい合わせに座る。布団の上はふかふかで、英恵はにこ、と笑いかけてきた。
太郎の言葉の意味を、英恵は心底わからないといった風だった。
「肩揉んだりさ、朝は男性より早く起きてご飯作って、お洗濯」
「でも、最初会った時、英恵、忠人さんをいさめていたじゃん」
「あ……あれは……太郎が『その人』だと知らなかったからだよ」
「その人?」
返すと、「呪いの……」と言う言葉が返ってきた。つまり、ここでは太郎はどこまで行っても他人で、きっと普段通りの生活なんて見せてはくれないのだろう。
でも、だったら、英恵が太郎の前で父親に従うように見せている理由はなんなのだろうか。
「英恵は、それでいいの?」
「それでって?」
「だって、今はどこもかしこも男女平等の時代だぞ?」
「ああ、それ太郎が言う? 太郎がいないところでは、それなりに仲良くやってるっていうか……村のイメージっていうか」
イメージ、と聞いて、つまり、村の外から来た来客には、『閉鎖的な村』を演じている、ということなのだろうか。
なんの利があって。
いや、そもそも、そう思っているのは英恵だけなのかもしれない。
昼間の子供たちが、この村そのものである。つまり、普段の大人たちの振る舞いは、無意識に子供にも受け継がれる。
だったら、よそ者に厳しいのは村の本質であるし、太郎に白い眼を向けているのだって、演技や演出でなく本心だ。
「太郎。とにかく、今夜はよく寝て。また明日、考えましょう」
「そうだな。そういえば、腹も減ったし」
時刻は夜七時。最初に英恵に説明された、夕飯の時刻だった。
おりよく、忠人が夕食を持って部屋に入ってきた。
今時珍しい、膳だ。
黒い漆塗りの膳に、たくさんの料理が載っている。
そのどれもが、美味しそうだ。
「お風呂にいる間に、私が仕込んだの。お父さん、運ばせてごめんなさい」
「今日は仕方あるまい。こんなものしかご用意できませんが」
出されたのは、鯛の塩焼き、松風焼きに、卵黄の味噌漬け、なますに栗きんとん、黒豆に、お神酒。
正月にふさわしい料理の数々に、太郎の腹が、鳴った。
英恵は無遠慮にそれを笑った。忠人は無表情で、膳を太郎の前に置いて、深々と太郎に頭を下げた。
「お召し上がりください」
「いや、頭上げてください。こんなおもてなしを」
「いいや、これくらいはしませんと」
「あ、でも。俺未成年なんでお酒は」
「なあに、形だけです、形だけ。お正月ですから、神さまもお許しになるでしょう」
お神酒と言うものは、甘いにおいがして、どうにも美味しそうに見えてしまう。大学一年、成人とはいえ飲酒は二十歳になってから。
だとしても、舐めるくらいならと、太郎はお神酒の杯に口をつけて、ほんの僅かばかり口に含んだ。
「あまい」
「ああ、太郎。いけないんだ」
「なら、英恵も飲めよ」
「だーめ。私はお酒は飲めないの。女だから」
「……? 女だから?」
繰り返すも、目の前がぐるんと回る。お酒のせい? いや、お神酒の中になにかが混じっていた?
真実なんて、わからない。どた! とその場に倒れるように寝転がって、太郎はそのまま、意識を失った。




