1-3、だるまさんがころんだ③
靴を履いて、宿を出る。玄関の先、門扉の影に、大人たちの姿があった。
この村に来て、忠人以外の大人を初めて見た気がする。
子供たちと遊んだ時に、ちらりと影だけは見えたのだが、こうやって面と向かって対峙するのはここにきて初めてだった。
しかし、そのどれもが老齢か、男ばかりであることに気づいた。
「あの方が今年の」
「今年こそ、あの方が」
「あの方のせいで、今年も」
ひそひそと、噂されている。この村では、来客は歓迎されないらしい。わかっていたことだ。
だとしても、呪いを解くための存在なのだから、少しも歓迎されてもいいのでは?
太郎は門扉をくぐりながら、白い眼を向ける大人たちに小さく会釈した。
大人たちは目を見合わせたあと、同じように頭を下げた。
一応の礼節はわきまえているらしい。
大人たちの舐めるような視線を潜り抜けて、忠人の後についていく。忠人、太郎、英恵の一列に並んで、村の中を、粛々と。
「忠人さん、どこに行くんですか?」
「ああ。まあ、そうだね。まずは、この村の地形を教えようかと」
目指すのは、森の反対側にある反り立った崖のようだった。切り立った崖は、三百メートルはありそうだ。
絶壁で、下には森が広がっている。ほぼ直角にそびえたつ崖は、村人と太郎を分断する、見えない壁を体現したかのようだ。
しかし、村を案内するといったって、崖をのぼるのなら、先に行ってほしかった。
出がけに一応、ダウンコートは羽織ったものの、もう一枚、中に着て来ればよかったと太郎は後悔する。それに、靴だって、濡れて泥がついていたから、泥を落としてから出ればよかった。
崖に行くとなれば、山を登る。山をのぼるには、太郎は軽装すぎる。
慣れているのか、忠人と英恵は先ほどと同じ服装で、太郎は、見掛け倒しで崖までの道のりはそれほど険しくないのかも、などと思う。
「この崖は、昔から神のささげものを投げる場所でして。とおり崖と呼ばれています」
「あ、そうなん、ですね」
「太郎、大丈夫? 息切れしてる」
「ああ、ごめん。だって、都会育ちなもんで、山なんて登ったことなくて」
森があるし山があるし、川もある。この村では自給自足が主で、大抵のものはなんでもそろうのだという。
山を登る足がもたつく。前言撤回だ。この山は険しい。
ただでさえ、来るときに森を一時間、子供たちと二時間ほどだるまさんが転んだで遊んだ後で、足が上がらないっていうのに。
時刻は午後四時。太陽が沈みかけている。降り積もる雪は十センチを超えたくらいで、太郎の足が、雪に取られる。
「あっ」
「っと、あぶない! 太郎、つかまって!」
山には一応、道があって、その道を逸れてしまえば、坂道になって、五メートルほど下まで傾斜が続いている。
足を滑らせたら命とりだ。
そんな険しい山道で、太郎は不覚にも足を滑らせた。
寸でのところで、英恵が太郎を支える。助かった。
あのまま横道に落ちたら、ただでは済まなかっただろう。
だというのに、忠人は黙々と山を登っていく。まるで太郎のことなんていないかのように、ひたすらに前を見続けている。
雪で足が滑る中、ようやくてっぺんが見えてくる。
帰り道はもっと注意しないと、と太郎は思う。雪もさらに積もるだろうし、落ちたら今度こそ、英恵なんかでは助けられない。英恵は女の子だから、太郎が本格的に転んだら、共倒れで一緒に傾斜を転げ落ちるのがいいところだ。
「やっと、つきましたよ」
次第に視界が開けて、目の前に沈む夕日が見えてくる。
崖の上からは村が一望できて、その向こう側に、橙色の夕日が地平線に溶けるところだった。
「きれい……」
思わず太郎が漏らせば、英恵が驚いたように笑っていた。
「死にそうになりながら登ってきて、第一声がそれって、いかにも都会育ちって感じ」
「だって、この景色」
しかし、忠人は、崖のふちぎりぎりまで歩いていって、その下を見下ろしている。そうして、忠人は太郎を手招きするのだ。まるで、地獄の門からなにかを見下ろす――考える人の像のようだと太郎は思った。
スニーカーのつま先を地面で叩いて、靴の裏に挟まった雪を落とす。落としてから、忠人の方に歩いて行った。
英恵は、崖のふちには来なかった。
「なんです?」
「見てみなさい。この崖の下を」
崖の下は、確か林になっていたはず。
太郎は足がすくみながらも、忠人の傍に歩いていく。落ちないように崖のぎりぎりに立って下を見る。
下を見ると、内臓がふわっと浮遊感を感じた。しかし、高所への恐怖は、別の恐怖へと塗り替わる。
「……ん?」
「見えませんか?」
「えーと、……白い……山? 砂の山?」
「骨です」
「えっ!?」
驚き、太郎は後ずさった。骨って、人間の?
いや、そんなはずはない。だったら、この崖から運悪く落ちた動物の骨だろうか。
もう一度、崖のふちに歩く。下を見ると、先ほどより鮮明に、白い骨がよく見えた。
見えてしまったことを後悔する。あの形は。
「人間の骨です」
「なん……冗談は」
「言ったでしょう? この崖は、願い事をするときに者をささげると」
だからといって、人間をささげているということなのだろうか?
吐き気を催す。
太郎は崖を引き返して、英恵に見えない山の中まで戻ってから、胃の中のものを吐き戻した。
勢いよく逆流してきて、鼻に少しだけ吐しゃ物が回り込んだ。
咳込んで、鼻水と涙に顔が汚れた。
あれは、人骨? ささげる? 人を?
「うっ、うえっ」
「太郎、大丈夫?」
せっかく太郎が気遣って山の中で吐いていたのに、英恵はけなげにも太郎の傍についてきた。ちなみに、忠人はそういったことはしない。ふたりを崖の上から見て、笑っている。悪趣味な。
「英恵。見るなよ」
「でも。太郎がつらいのは見てられないし」
そう言いながら、英恵は太郎の背中を優しくさする。
手当て、という言葉が日本にはある。けがや病気を治す、という意味でつかわれる言葉だ。
昔から、人の手には病気を治す力があるとされてきた理由を、太郎はまざまざと感じていた。
背中をさする英恵の手が、温かくて、泣きたかった。
英恵は、この崖の下の骨を見ても、なんとも思わないのだろうか。
「この村では今も、この崖から生贄をささげてるってこと、なのか?」
英恵に問えば、英恵はただ、笑うだけだった。それは肯定しているも同然だった。
胃の中がぐるぐる、と回転したような気がした。
喉が焼けている。胃を何者かにまた、掴まれる。
太郎は体を前に傾けた。胃の中のものが逆流するも、上がってくるのは胃酸だけだった。苦くて酸っぱい。
「あなたがそこまで驚くとは思いませんでした」
崖の向こうから、のそりのそりと歩いてきた忠人が、また『あの』笑みを浮かべて、太郎をなじった。
底知れぬ薄気味悪さをはらんだ、悪意の笑顔。今わかった。あれは悪意だ。太郎を陥れて、楽しんでいる。
「驚くでしょう。今の時代、生贄なんてものあっていいはずがない!」
「はは。そうですか? 案外効果があるものですけれどね」
ふっと息を吐き出すように、忠人が人差し指を立てて、口元にもっていった。
そのしぐさの意味を、太郎は聞くことができない。英恵を見やれば、体を震わせうつむいている。
この親子は、なにかが変だ。
「英恵? 大丈夫か?」
「太郎? 大丈夫だよ。大丈夫じゃないのは、太郎の方でしょう?」
そうは言いつつ、太郎の吐き気なんてとうに消え失せて、うつむかせていた体を起こす。
胃がキリキリするけれど、吐いたおかげでだいぶすっきりした。
「生贄って、例えばどういうときにささげるんですか?」
呪いのおおもとに近づいた気がして、太郎は臆することなく問うた。
忠人は口を結んでまた、微笑んだ。
「神が欲するとき以外、ありましょうか?」
忠人がゆっくりと歩みを進める。来た時とは違い、ふたりを振り返りながら山を下っていく。太郎はそれ以上なにも聞けなかった。
忠人の後ろを、歩いていく。忠人は、あとの二人――いや、太郎が歩きやすいように、地面の雪をよく踏みつけて、木や草をかき分け折って、歩いている。
隣を歩く英恵の顔は、真っ青だ。
「英恵、大丈夫か?」
「あ、うん。太郎。なんだかごめんね」
「なにが?」
「ううん。この村、私も本当は、出ていきたいの。こんな村に生まれたせいで――」
なにがあった、とは言わなかったが、なんとなく察しはついた。
生贄なんて風習が残っているのだから、男尊女卑や、子供の人権なんてものは、この村には存在しないのだろう。
だったら、英恵だけでもこの村から出してやりたい。
「英恵のためにも、俺、この村の呪い、解くから」
「……うん、ありがとう。でも、本当に無理はしないで」
英恵は無表情で、笑った。




