1-2、だるまさんがころんだ②
結局二時間ほど、子供たちの相手をして、太郎はようやく宿にたどり着いた。足がくたくただ。
だるまさんが転んだ、は、鬼にタッチをして、逃げるまでがワンセットだ。そのあと、鬼がストップをかけて、何歩かで子供たちを捕まえに行く。
捕まった子が、次の鬼だ。
けれど、これがまた、子供の怖いところだ。体力が、半端ない。
鬼を逃れた太郎は、何度も走った、何度も止まった。そのたびに、筋肉がつるんじゃないかというほどに、体を駆使した。
英恵は三回ほどで離脱して、結局だるまさんが転んだは、十回は続いた。
だから、宿に帰るころにはくたくたで、だけど妙なすがすがしさがあった。運動は体にいい、とは知っているが、大人になると人間は運動をしなくなる。例に漏れず、太郎の身体もなまっていた。明日は筋肉痛だろう。
そんなことを考えながら、太郎は英恵に案内された自分の宿の部屋で、英恵とともに状況を整理している。
太郎がこの村から出られないことを目の当たりにして泣いたため、英恵の目は今も少し赤い。その英恵を心配するように、太郎は宿の部屋で今一度わかっていることをメモ帳に書きだした。
「この村は『出ない村』と呼ばれていて、一年に一度、お正月だけ外界につながる」
「そう。それで、その人が松の内のうちに村の呪いを解くと、村の人は外に出られるようになる」
「でも、呪いって?」
「それは……私にも」
忠人は言い伝えについて詳しそうだったが、娘である英恵はそうではないようだった。
宿に太郎が帰ってきたときも、顔色一つ変えずに「お帰りなさいませ」と言うのみで、なんら動揺すらしていなかったくらいだ。
それにしても、太郎がこの村に入ったことで、この村の呪いのなにが変わるというのだろうか。
そもそも、一体なにが呪いだというのだろうか。
「お父さんは、知ってるんじゃないのか?」
太郎の言葉に、英恵がふるふると首を振った。まるであきらめたかのような表情は、どこか『おかしい』。
「知っているけれど、教えてはくれない」
「なんで」
「……私がまだ、大人じゃないから」
とは言ったって、今は十八で成人とされるのに。そもそも十九歳と言ったら大人と言ってもいい年齢で、だけれど太郎としては、今日この村に行かされたのも、自分が大人として認められたからであるわけで、喜んでいいのか嘆けばいいのかわからなかった。
英恵の顔が暗いものに代わっている。この話題はあまり振ってほしくないようだが、踏み込まなければ得られないものもある。
忠人は確実に、なにかを知っている。呪いについての、なにかだ。
太郎はその正体を、知らねばならない。けど、どうやって。
太郎はわからないなりに、考える。動かなければ、なにもしないのと同じだ。向こうから情報が転がってくるわけでもないのなら、自分から聞きに行くしか方法は残っていないだろう。
「一応、忠人さんに話聞いてみようぜ」
太郎の言葉に、英恵は小さく息を吐き出した。想定内だ、そう言いたげに、あきらめの混じった息だった。
「太郎がそう言うなら。多分無理だけれどね」
やる前からあきらめている英恵に疑問を抱く。なにが無理なのだろうか。じゃあ、逆に英恵に許されることとは、なんなのだろうか。
この村は閉鎖的。というのは、先ほどの子供たちの態度からも十分わかったが、だがあれは、子供が純粋ゆえの態度だったのではと太郎は思っていた。
太郎の泊まる部屋は囲炉裏の大広間から一番近い部屋、対して英恵の部屋は一番奥の、日当たりの悪い北側だった。
囲炉裏にはいまだ炭が入っていて、これだけがこの宿の暖だった。
寒いのだ、この宿は。
「忠人さん、いますか」
真ん中の部屋のふすまの前で、太郎がそろそろと伺いを立てた。隣にいる英恵は、ただひたすらに、息を殺している。いや、震えているようにも見えた。
太郎の声掛けに、しかし忠人は答えなかった。
しん、と静まり返る宿は薄気味悪さすら感じられる。そこかしこに人形や張り子、それに仏像が飾られている。
しかし、そのどれもが『子供』だ。今にも動き出しそうなそれらは、なにを思って飾られているのだろうか。決していい趣味とはいいがたい。
「あの、忠人さん、いますか!」
もう一度だけ、声を大きく問えば、すすす、とふすまが音もなく開いた。
ふすまの向こうには、忠人の姿がある。泰然自若に、こちらを見つめていた。その目は真っ黒で、なにを考えているのかわからない。
英恵がうつむき、背中を丸める。一歩、太郎の後ろに下がって、まるで礼をしているかのようなしぐさだ。
「なにか御用でしょうか」
「えーと。あの。呪いについて知りたくて」
「……あなたがそれを聞きますか? 部外者でしょう、あなたさまは」
それはそうなのだ。太郎はこの村の住人ではないし、だからといって、この村に呪を持ち込んだのもまた、太郎なのだということは本人にも自覚がある。
それは、忠人その人が言ったことだ。お正月にこの村に外から人間が入ってくると、呪いを解く必要がある、と。
「でも俺。この村から出るには、もっとこの村のことを知らないといけなくて」
「出られませんでしたか。やはり」
「『やはり』ってことは、やっぱりこの村の呪い? 忠人さんが言っていたことは、本当なんですか?」
ふう、と忠人が息を吐き出す。「巻き込みたくなかったから仔細は伏せたのですが」と前置きをする。
「あなたさまが、この村から出られていたのなら、この村は平和なままだったんです」
「待って。じゃあ、もしかしたら出られる可能性もあったってこと?」
「さようです。しかし、あなたさまはやはり、村にとっての『災厄』だった」
「災厄?」
太郎があまりにもオウム返しにするので、忠人は面倒くさそうに自室に太郎と英恵を迎え入れた。
敷居を踏まないように入った英恵に対し、太郎はそういったことはできなかった。知らないからだ。
忠人の部屋の畳の縁だって、英恵は決して踏まないのに、太郎は平気でそれを踏む。
敷居は、その人の家や家人を表すため、踏んではいけない。
そして畳の縁には、昔から家紋が入っていた。だから、神聖なそれを踏んではいけないと、この村の人間は知っている。
都会育ちの太郎には、知る由もないことだった。
太郎と英恵が対照的に忠人の部屋に入る。
なにもない、部屋だった。壁際に、書斎机があって、箪笥がその反対側の壁際にある。
テーブルが部屋の真ん中にあって、その周りにはなにもない。座椅子か、座布団とか。そういったものは一切なく、質素、という言葉がしっくりくる。
だが、温かい。囲炉裏から一番近い部屋だからか、太郎の部屋に比べて、温かさはあった。
「お座りください」
そんな中で、忠人は仮にも客人である太郎を上座――つまり入り口から一番奥の席に座らせた。いつの間に出したのか、押し入れから座布団まで取り出して。
緑色のカバーをかけた、座布団だった。綿はふかふかとはいいがたく、だけれど十分に厚みがあるので座ると体が沈み込む。立ち上がるときは苦労しそうだ、そう思いながら、太郎は座布団に腰かけた。
しかしこの座布団、なにかおかしい。
「あの。この村は、『出ない村』と聞きましたが、来客自体はあるんですね」
「なぜそうお思いに?」
「この座布団。使い古されて綿がへたっています」
忠人がはっは、と笑った。英恵は一番下座――入口のすぐそばのテーブル前に座って、背筋を正して正座をしている。そしてやはり、顔はうつむかせたままだった。
英恵のその顔は、心なしか緊張している。
「英恵。おまえは余計なことを話していないだろうな?」
「はい、お父さん。でも、太郎もこの村から出られなくなった以上、知る権利はあると思います」
最初に会ったとき、英恵は父である忠人をたしなめていたのに、今の二人の関係は、逆だ。
忠人に従順に従う娘。
また感じる、違和感。この村の人間は、なにかを太郎に隠している?
「この村では、毎年正月に、ひとりの来客があるのです」
「それで、座布団が」
「そうです。それでも、帰れる人もいれば、あなたさまのように帰れぬ人もいる。そして、帰れぬ人が村に来たとなったら」
この村の呪いを解かない限り、その来客はこの村を出ることはできない。
思ったよりややこしいことになっているようだった。
太郎はただ、忠人に祖父の借金を返せればそれでよかったのに。
「私はただ……あなたさまであっても、英恵を拐かすなら容赦はしませんよ。そして、英恵のために、時には兄弟を、時には友を、時には家族を、時には私を。どんな時も、親とは娘のためなら、敵に回すことすら厭わないのです」
「あ……えーと」
つまり、忠人は英恵に深入りするな、と釘を刺したらしかった。
太郎が困惑する。別に、出会ったばかりだし、英恵は単なる宿の娘だ。
「時に。お時間はありますか?」
「あ、はい。特に観光する予定もなかったので」
「わかりました。では、村を案内しましょう」
「え、案内?」
「はい。だって、あなたさまが呪いを解くには、この村のことを知らなすぎる。そうでしょう?」
にこり、と笑む忠人に、正直に言えば背筋が凍った。あの表情を、なんと言い表せばいいのだろうか。
この村を救う救世主に向ける笑みとは違うし、部外者に向ける外面の笑顔とも違う。うすら寒い、笑み。
そのおぞましさに、太郎は鳥肌が立つのを感じた。歓迎しているのか拒まれているのか、どちらが本当なのか、わからない。
忠人に促されて、太郎は立ち上がる。足が震えていた。
日本家屋は隙間風があって寒い。欧米の密閉される造りと違って、雪の降る村に日本造りの家屋は、寒すぎる。




