幕間⑤
太郎と名乗る少年が、やはり正月に姿を現した。
本来ならば、来客があった時点で、最初に顔を合わせたものが案内役として抜擢されるものだから、英恵は正月の朝から、森の前で待機するはずだった。
それが今年は、電話が来たのである。
年末も年末、十二月二十八日にかかってきた電話を英恵が受けたのは、偶然にしてはできすぎだった。
「はい、かごめ旅館です」
その日も英恵は、忠人とともに宿の掃除をしていた。
この宿は、年に一回のお客様のためだけに建てられたものだった。
英恵が電話を受けたとき、その耳から脳に突き抜けるように、衝撃が走った。
『お正月に、そちらの村に泊まりたいのですが』
電話の向こうの太郎の姿は、見えない。見えないのに、英恵はその声に恋い焦がれた。
やっと、やっと。
英恵はこの日のために、生きてきた。案内役として、この村の生贄になるために生きてきた。
この声の主が、やっと英恵を自由にしてくれる。
本当は、このまま生贄になんてなれず、大人たちは英恵を子産みにしてしまうのではと思っていたから、英恵にとって太郎は、救世主のような存在だった。
「予約ですね、少々お待ちください」
なるべく動揺を悟られないように、英恵は電話の受話器を置いた。メロディボタンを押して、こちらからの会話を聞こえないようにするのを忘れない。
英恵は、傍にいた忠人をつかまえて、神妙な面持ちで口を開いた。
「お父さん、お正月に予約したいって人が」
「なに? 断れ。その日は大事な日だ。村の外から客人が来る」
「いいえ、お父さん。この方が、その『客人』です。そうは思いませんか?」
言われてみれば、確かにこの村に毎年来る客人は、突拍子もない現れ方をする。
救難者だったり郵便局員だったり、肝試しだったり、女だったり。
だったら、宿の客として来ても、おかしくはない。
忠人がこくり、頷いた。
英恵は電話のメロディを消して、受話器を取った。
「はい、ご予約承ります」
そうして現れたのが、太郎である。太郎はやはり、この村から出られない。この人こそが、英恵の救世主なのだと、胸が躍った。
とはいえ、英恵にとってそれは、いいことばかりではなかった。
正月当日。村の人々は念のためにと、太郎が英恵と出会うまで、家の中から出ることはなかった。来客に最初に会った村人が案内役となる。それを確実にするためだった。
なのに、村の人たちは、その客人を『殺せ』と英恵にせがんだのである。
太郎の滞在一日目、英恵は太郎にお神酒を飲ませた。それは忠人に言われてそうしたのだが、なぜ太郎が倒れたのかは、英恵にもわからなかった。
わからないが、太郎が倒れたそのすぐあとで、村人が宿の外に集まって、英恵を取り囲んだのである。
真夜中だというのに、村の人間のほとんどが宿の外に集まって、ひとりの少女を取り囲んだ。
かがり火がごうごうと燃えている。かがり火の周りに、虫が群がる。時々、火に近づきすぎて、虫が焼けて嫌なにおいがした。
「英恵、おまえはこの村の案内役。だから、あのかたを殺すのだ」
「え、待って。私、あの方を案内するのが役割じゃ」
寝耳に水だった。
代々の案内役も、同じことを言われてきたのだろうか。案内役は、この村の客人を案内し、呪いを解かせるのが役割だというのに。
だから、外のけがれを持つ客人にも、真摯に向き合おうと思っていたのに。たとえ英恵の身体が客人のけがれに侵され死ぬとしても、英恵はそれでいいと思っていたのに。
けれど、村人は英恵の髪の毛をわしづかみにした。その中心にいたのは、忠人である。
英恵が涙目で忠人を見上げた。
「このあと起きること、すべておまえとあの方のため……おまえはあの方を殺す役割」
「でも、案内役って」
が、っと腹を殴られて、英恵は食べたものを吐き出した。なにがなんだかわからない。
英恵は忠人の方を見る。にたりと、笑っている。怖い。
忠人だけじゃない、この村の大人たちはみな、英恵を取り囲んで呪いを吐き出す。
「死ぬのだ、殺すのだ、あの方を殺すのだ」
「おまえはそのための生贄だ。子供は大人の言うことを聞くものだ」
「おまえは子供、非力な子供。あの方に穢される前に、殺すのが本当の役割」
腹を殴られ、見えないところをつねられ、英恵は恐怖のあまり、涙すら浮かんでこなかった。
「や、やめてください! 殺すなんて私には」
「やらねばおまえが死ぬ。おまえとて、けがれて死ぬのは嫌だろう?」
痛いところを突かれた。けれど、英恵は首を縦に振らない。
それも大人たちの『思惑通り』だけれど。英恵はそんなこと知る由もなく、「ごめんなさい、ごめんなさい」と唱え続けた。
忠人が英恵を殴る大人たちを止める。そうしてうずくまる英恵のもとに歩き、しゃがんで目線を合わせた。
「今まで、来客はたくさんあれど、事前に来訪を知らせた人間はいなかった。つまり、おまえは特別なんだ。この村の呪いを解くために、あの方に死んでもらわなければならない」
英恵は別に、自分が生贄になることは受け入れていた。
太郎には悪いけれど、この役割が終わったら、英恵はいの一番に神の生贄になる。
けど、太郎を殺せとはどういうことなのだろうか。この村の呪いを解くために来た、太郎を。
「呪い。呪い呪い呪い。毎年この村の呪いを解くために来客が来るが、誰もなにも成し遂げられない。ならば今年は、その来客を殺せばいい。そう、あのかたは――」
耳を疑った。太郎がなんだって?
しかし、英恵は恐怖から、逆らえない。
忠人の濁った眼が、ひたすらに怖かった。だから英恵は、大人たちの言う通りにすることにした。
なのに。
「英恵、ご飯美味い」
「それはどうも」
太郎は誰よりも優しかった。
「英恵、大丈夫か?」
「大丈夫」
太郎をなかなか殺さない英恵を、村人たちはなじり、暴力をふるった。けれどいつだって、太郎だけは英恵を案じてくれた。
「英恵、俺、絶対に呪い、解くから」
これはもう、間違っているのは村で、正しいのは太郎なのだと確信するには十分だった。
今までは、自分は虐げる側にいるのだと、英恵は漢字持ちの名前だから、特別な存在だからと蝶よ花よと育てられてきた。
けれどそれらは、今日この日のため、太郎の命を奪うためだったというのなら、英恵は自分が、ただの生贄として死ぬことも、いとわなかった。
「太郎、私を選んで」
どんなことがあっても、なにがあっても。
太郎だけは英恵の味方なのだと、そんな確信が、あった。




