幕間②
アルバムには、座敷の牢にいる女の人が、英恵を抱いているのが見えた。
たいそう美しい女だった。それだけで、その女が鬼の一族であることは明白だった。
英恵が落胆する。自分は、忠人の本当の娘ではない。鬼の母親を持つ、忌み子なのだ。
だから忠人は、アルバムを英恵から隠した。
「これが……私のお母さん」
英恵にそっくりだった。それがものすごく腹立たしい。
英恵は、授業で使う写真を何枚か抜き取る。母親の写真はとらなかった。こんなもの学校で見せたら、親友のももにまで軽蔑されてしまう。
英恵はそれまで、川の向こう側の人間を、なんとなくで無視してきた。
実際、川の向こうで子供が生まれたら、図々しくも英恵と同じ学校に通い、そうしていずれの日にか、種なり子産みになり落とされる。
そんな無関係だと思っていた鬼が、英恵の中に眠っている。
気持ちが悪くて、この体を流れる血を全部抜き取って、別の清らかな血に変えてほしかった。
英恵は今一度アルバムの母親を見る。いとおしそうに我が子を抱く女の姿。それには不覚にも、胸が熱くなる。けれど、『これ』を母親と認めることはできなかった。
死んだと聞いていたけれど、今も生きている気がする。生きていたって、絶対に会いには行かないけれど。
英恵はアルバムから一枚、母親の写真を抜き取った。課題に使うためではない。自分の机の引き出しにしまい込むためだ。
どうあがいたって、母親への情は消せないらしい。
それを、忠人は陰で見ている。
こういう授業の課題が出されるのは、通過儀礼だった。
つまり、より一層、女には女の自覚を持たせ、男は男で、自分が上に立つものであることを知らしめる。
男の子供の親は、アルバムを隠したりしない。「おまえは俺の子供だ、誇りを持て」と父親から言われて育つ。もしくは、両親ともにそろった子供は、のりたけが今の学校では唯一の存在だった。
授業で、アルバムを作る。
みんな、何枚か自分の写真を持ってくる中、先生はのりたけのアルバムを見て、それを掲げるようにしてほかの生徒に見せた。
「のりたけくんは、ご両親ともご健在です」
「ええ、お母さんがいるの?」
「すごーい」
みんなのりたけをほめちぎる。しかし、英恵はそんなことはせずに、自分の父親の写真を撫でた。部屋にしまってある母親の写真は、誰にも見つかっていないだろうか。妙な不安に襲われて、汗が噴き出てくる。
英恵は別に、お母さんがいなくたって寂しくない。それに、英恵は漢字の名前を母親からもらった。それは名誉なことだ。生贄として、優れている証拠だ。
「なんだよ英恵、おまえ、俺のアルバムみて顔しかめて」
「しかめてなんか。でも、男は生贄になれないじゃない。のりたけはもう、七歳を超えてしまったし。この前、一年生のひろふみくんは、立派にお客さまを案内したらしいじゃない」
中学二年生、英恵はだいぶ生意気な女の子に育った。
自分はいずれ、この村の生贄になるのだ。その案内役になれるまで、教養を磨き、女らしくふるまえるように。
忠人は英恵に女らしさを延々と説いた。学校の先生もまた、英恵にしおらしくふるまうことを強要した。もっとも、英恵はそれらを強要とは思っていない。
自然にできてしまうのだ。
英恵には生来の美しさ、気高さのようなものがあった。それが、のりたけには気に入らなかった。同時に、最近膨らんできた胸が、のりたけをさらにいらだたせた。
忠人から向けられる視線の意味を、英恵は薄々感じ取っていた。それは我が子に向けるものではなく、のりたけが英恵に向けるものと同じだった。
そのくせのりたけは、ももにばかり話しかけた。好きなのはももであるが、英恵も女として見ている。
この村の男はみんなそうだ。女に向ける視線が、いやらしい。もう慣れたとはいえ、日に日に膨らんでいく胸が、鬱陶しい。
女性として成熟していく自分が、なんだかけがれてしまっていくようで、いたたまれない。
大人は生贄にはなれない、つまりそれは、大人はけがれているからだと英恵は思う。だから、子供であるうちに、英恵はなんとしても生贄として死ぬ必要があった。
それだけの血と容姿を、英恵は持ち合わせている。
「なあ、英恵。最近の写真って、これだけなのかよ」
のりたけが英恵のアルバムを覗き込んだ。直近の写真は、去年の入学式が最後だった。
まだあどけない顔の英恵が、こちらを見ている。
「私の写真はこれだけだよ」
「なんだあ、ももは川で水遊びしたときの写真、貼ってたのに」
それは、水着姿の写真だった。
英恵はやはり、のりたけから異性として、見られている。そして、この村ではそれが許される。
いつかこの村は血が濃くなりすぎて、崩壊するかもしれない。
だけれど大人たちには、そんなことはどうでもよかった。
例えば、ももの妹は、その犠牲者の一人ともいえる。
ももとは八歳年が離れているから、ももの妹は今、六歳だ。だけど、言葉をしゃべれない。
「やーい、やーい、役立たずのさくら! ももとさくらで役立たず!」
さくらはいつもぼうっとして、よだれを垂らして宙を見ている。なにもしゃべれないし、足だってうまく立たない。
だから、大人たちはさくらを早々に生贄にした。
もも十五歳、さくら七歳。ももは、泣きすがって自分を生贄にと頼み込んだ。けれど、大人たちはももに生贄を望んでいない。ももは健康診断で、『適正あり』と言われたばかりだった。つまり、子をなせる健康な体質だ、ということだった。
そんなももを、大人がみすみす手放すはずがない。
英恵は既に『案内役』に決まっていたから、なおさら。
この先、ももは子産みとしての役割を強いられる。どんなに逃げたくても、その運命からは逃げられない。英恵が生贄にならなければならないように。
はっとして、英恵は自分が震えていることに気が付いた。
「私……」
それは、初めて村に違和感を感じた瞬間だった。くしくも、ももの妹という近しい人間が生贄になったことで、英恵は死ぬことへの恐怖を自覚したのである。
ももは、最後までさくらの命乞いをした。
「やだ、なんでさくらが今年の生贄なの!? ほかの男の子もいるでしょう?」
「仕方ないんだ、順番なんだから。お父さんだって、胸が痛い」
とはいえ、もう介護はうんざりだった。父親も、ももも。
その年の正月の来客は女の形をしていて、そしてその女性は、人間のなんたるかを解き、同時にそれは、ももの妹がこの村を出れば、もっと自由に生きられることを示していた。
なのに大人たちは、さくらを殺した。外からの人間のけがれによって、さくらは死んだのだ。
さくらは生娘であったし、歳も七歳だった。
さくらが死んだのは、お正月の来客の時、つまり外からの客が来た、松の内の間に起こる、惨劇の時期のことだった。
さくらが死んで、ももはしばらくふさぎ込んでいた。
ももとさくらの父親は違うけれど、ももにはそんなことはどうでもよかった。
学校の屋上で泣いて過ごすようになったももの隣には、いつも英恵の姿があった。
「もも。仕方ないよ。私たちもいずれ、ああなるはずだった」
「……英恵はいいよね、兄弟もいないし、特別な生贄だもん。血統なんて今どき私は信じないけど。でも、英恵は時期が来たら死ねる。でも私は、もう『終わった家』だから、私が生贄に選ばれることはほぼない」
だけど、とももは続けた。
「私、死にたくないの。変でしょう? さくらが死んで、私の元からいなくなって。そしたら私、『ああ、生きててよかった』って思っちゃったの。さくらの死に、安堵していたの」
それは人間ならば普通のことだ。というのは、テレビの中の言葉である。
英恵もまた、そういうテレビの言葉を『信じて育ってきた』。
けれど、自分たちの運命は、もう決まっているのだ。
ももはこのまま、成人したら子産みに、英恵は少なくとも成人前には、生贄として神にささげられる。
どちらの道も、地獄だ。
「もも、私たち、なにがあっても友達だよ」
「もちろん。私、必ず生き残って、本当の家族を作るのが夢なの」
好いた男性のもとに嫁いで、誰にも盗られない子供を作る。
そうやって、ふたりは、身を寄せ合って生きてきた。
子供の女はこの村には、やはりももと英恵だけになってしまった。
さくらの生贄はたいそう神に喜ばれて、その年の村の暮らしは裕福だった。
子産みの女が双子を何人も身ごもって、新しい生贄がたくさん生まれた。
天候にも恵まれて、作物も豊かに実った。去年とは大違いだ。
去年の生贄は男の子で、歳は七歳を過ぎていた。だからか、水害が起きて、氾濫した川に流されて子供を何人か、生贄にした。




