幕間①
幕間
英恵が生まれたのは十九年前、そのころはまだ、女は十五で成人とされていて、だけれど英恵の母親が英恵を生んだ時はもう四十歳だった。
女たちには、まだ村のしきたりとか決まり事とか、理不尽に抗う知識がなかった。そういうものだと認識して、ただひたすらに、男たちに従っていた。
同じように、英恵も実際に忠人からしきたりを聞かされてきたが、それらに疑問を抱いたのは、十七になったころのことだった。
折よくというか、英恵が生まれた次の年から、成人を二十に改められた。
それは人権を尊重するというよりは、子供の定義が変わったからである。
それは英恵という『女』が生まれたからでもあった。この年に生まれた女の子はふたり。二人いれば、二十年後には十分役に立つだろう。
この村には、男ばかりが生まれる。それも呪いの一種なのだろうかと、大人たちは思っていた。
「来年の生贄は、桜井さんのところの明子にしよう」
「だがあの娘は、来年はもう十六」
「しかしあの娘はまだ、生娘だ」
つまり、男と交わっていなければ、生贄としての価値はある。
村人はそう、踏んだのである。
十六なのに、明子は十分な夜の相手ができなかった。明子は血が濃すぎて、なにもできないのである。言葉も、足も不自由で、なにひとつ満足にできなかった。
だから、男たちはあえて明子に手を付けなかった。だからといって、ごくつぶしを長く生きさせる余裕はこの村にはない。
幸い、この村の『子供』は、成人前ならば死ぬことができる。明子は子産みの年齢こそ超えているが、歳自体はまだまだ子供だった。
案の定、明子は無事に『生贄』としての役割を果たした。正月の来客を最後までもてなし、最後には立派に贄としてもらわれていったのである。
「明子、明子。おまえはよくやった」
「ああ、そうだ。おまえが生き贄になることで、この村は救われたのだ」
次々に大人たちは明子をほめたたえた。
明子はなにを隠そう、英恵と異父兄弟である。
明子の生贄は今までで一番といっていいほどに神を惹きつけた。
米がたわわに実り、魚は大量に取れ、火事もなく、太陽はさんさんと村を照らし、積雪もそれほど厳しくなかった。
だから、英恵のことも、村人は期待していた。明子と同じ血筋の英恵ならば、きっといい生贄になるはずだ。
成人するまでに、英恵もまた、神にささげよう、と決まったのは英恵が生まれてからすぐのことだった。
同じ頃、英恵の母親は気がふれて、ようやく子産みから開放された。代わりに、別の鬼の一族が子産みになったのだった。
英恵は、野庭家に引き取られた。実の父親が忠人であったから、というのは少し違う。
英恵の父親が誰なのかは、重要ではない。母親が誰であるかが、英恵の運命を決める。
英恵の母親は、明子以外にも様々な生贄を産み落とした。そのどれもが、七つを待たずにささげられた。
生贄は、やはりたいそう神に喜ばれた。もしかすると、明子はなにもできないから、心根だけは美しかったのかもしれない。
そういう、内面的なものを、明子は受け継いだのかもしれない。
明子と英恵の実の父親が誰なのかはわからないが、神の気を一層惹きつけるなにかを持っていたのは、偶然なのか必然なのかは、わからない。
それは川の向こうの女であった。
英恵の実母は、まぎれもなくあの、川の向こうの。
たいそう美しい少女は、十二で子産みの床となった。
少女は、言い伝えによれば人間を食う。それ以前に、この村が呪いを受ける原因を作ったあの生贄の少年の子々孫々。だとしたら、明子にそういったなにかが受け継がれても不思議ではない。
人々は、鬼の一族の子供をたいそう喜んだ。その出自を隠して、養子にしたいと引く手あまただった。
英恵もその中の一人だ。本来であれば、鬼の一族とさげすまれるはずの英恵は、生贄としての価値だけで、この村で優遇されて生きてきた。
鬼の子供たちは、なにかがあれば、すぐさま生贄としてささげられる。
それは、正月に関係なく、日照りにあえば崖から落とし、雨が多くなっては崖から落とした。
崖の下の骨は、確かに本物の『白骨』だった。だから、神さまはこの場所をなによりも重んじた。
神さまはやはり、この崖から人を落とすと願いをかなえてくれた。
けれど、英恵が生まれたあたりから、日照りも水不足も、科学の力で解決できるようになっていた。
けれど村人は、生贄をやめなかった。人間の欲には限りがなかった。
英恵は五歳になった。けれど、今まで生贄としての話はなく、すくすくと育っている。
父親との関係も良好だった。
時々、憎悪の目にはさらされたけれど、英恵はそれがなぜなのかわからない。
「父さま、わたし、いけにえってなあに?」
「そんな物騒な言葉、誰から聞いたんだ」
「えーと、ももちゃん!」
ももというのは、英恵の同い年の友人である。
くしくも、この村は男子偏重で女がなかなか生まれてこない。これはきっと、山の神の御怒りなのだ。
今度生贄をささげるときは女――ちゃんと神の相手をできるくらいに育った、大人と子供の間の女がいいだろう。
村人はそう、決めていた。
それまでのしのぎに、七歳に満たない男の子を、正月の生贄にささげている。
男は捨てるほど生まれるのに、現状、村に残る女は、英恵とももを含め、六人。
そのうち子産みをしているのは二人、もうすぐ子をなせるのは二人。
次の子産みまが育つまで、今の子産みが子供を産み続けられても十五年、とはいえ、英恵ともものどちらかが成人するまで、あと十五年。
「英恵は特別な子だから、生贄にはならない」
「そうなの?」
「そうだ。大事な大事なお父さんの子供だからな」
血が濃くなると、人間はあまりよろしくない子供が生まれる。
この村は、もうだいぶどこの子がどの父親の子供なのか、わからない。わかるようにしてしまえば、男たちに『罪悪感がわく』。
つまり、交わるのが実の娘だとわからないように、女は毎晩のように交わって、誰の子を宿したのかは、女ですらわからなかった。
小学校に上がった英恵は、闊達で、面倒見がよかった。
よく上級生にいじめられる子を助けたし、下級生の登下校は必ず英恵が同行した。
「こら、もも。隠れてまた、のりたけのこと殴ったでしょ」
「英恵。だってえ、のりたけが、私とももは、生贄になるんだって……だって、私も英恵も、成人したら子供を産むお役目があるでしょう? 私と英恵だけが、大事な役割を果たせるんでしょ?」
ももに、妹ができていた。つまり、この村の子産みに使える人間が一人、増えたのである。
だから、のりたけは、『スペア、スペア、妹のスペアのももの役立たず!』とももを揶揄したのだった。
のりたけは一つ年下の七歳の男の子だ。年上のももをなにかとかまうのは、ひとえに好きだからだろう。
男の子はひねくれているから、好意を素直に伝えることができない。というのは、最近テレビで見たばかりだった。
ももはそれでも、心底のりたけを疎んでいる。
スペアは私の方じゃない、と何度説明しても、のりたけは嘲笑をやめなかった。おとなたちと同じで、のりたけはひとの気持ちを惹きつけるすべを知らなかった。
そんな小学校時代を経て、英恵は中学一年生になった。
このころになると、親に隠れて告白したりされたりということが流行った。とはいえ、女は純潔を守らなくてはならないと厳しく言いつかっていたから、英恵もももも、誰の子の告白も受けなかった。
それに、学校の先生だって、ももと英恵が特別なことは知っているから、男どもから英恵たちを守ったのは一度や二度じゃない。
「大人になったら、俺はももに添い遂げたいな」
「気持ち悪いからやめて。私の人生は私のもの。私が誰を選ぶかなんて、誰にもわからないんだから」
そうたしなめたのは、のりたけにである。
しかし、のりたけとももは、英恵から見ても『いい感じ』だった。つまり、両思いなのである。
きっとこの二人は、子産みが終わったら結婚するだろうな、と英恵はぼんやりと思った。
このころは、子産みはそれほど厳しいものだとは知らなかった。
子産みは、一年中、休むことなく子を身ごもり続ける。
それなのに、取り上げた子供は次々と生贄になってしまうから、この村に子供はなかなか増えない。
英恵が中学に上がった今、小学校に通うのは、一年生に一人、二年生はふたり、三年生が三人、四・五年生がいなくて六年生のたけしとやたろうと、中学生には英恵とももとにりたけがいて、高校生が普通科にひとり。
しかし、女の子は、ももと英恵以外には存在しない。ももの妹は小学生の年齢だったが、学校には通っていない。ももの妹は、学校には通える状態ではなかったからだ。
ももの妹は、さくらという名前だった。
この村で、漢字の名前を持つものは、少ない。というよりは、女に漢字の名前は付けない。
生贄に名前なんて生意気だからだ。
漢字を持つ人間は、この村では特別だ、と忠人が英恵に教えてくれたのは記憶に新しい。
その点、ももはきっと、生贄としては期待されていない。
英恵の母親が、生贄としてふさわしい子供を産む血統だ、という大人の言葉は本当のことなのか、英恵にはわからなかった。もしかするとそれは、英恵に生贄としての役割を刷り込むための詭弁だったのかもしれない。
けれど英恵は、自分の名前に誇りを持っていた。
アルバムを見せてもらうことになったのは、中学校の授業で、『自分の生い立ちをアルバムにして、家の人に見てもらいましょう』という課題が出されたからだった。
忠人にそれを報告すると、忠人は渋い顔をして、「うちにアルバムなんてない」と英恵を一蹴した。
「なんで? ほかのうちには、あるんだって」
「よそはよそ、うちはうち」
「お父さん」
「ないものはない!」
しかし英恵は納得できない。なぜなら、忠人の部屋に、アルバムらしきものがあるところを見ていたからだ。
だか英恵は、悪いことと知りながらも、忠人が仕事でいなくなった隙に、忠人の部屋にもぐりこんで、そのアルバムを開いたのだった。




