5-5、なべなべ底抜け⑤
川の橋を目の前にして、太郎は足を止めて、川の向こう側を見た。
ゆっくりと、ゆっくりと。弥彦がこちらに向かって歩いてくる。
「太郎さま。また僕に御用でしたか?」
「あ、いや……」
川の傍にある公園では、なべなべ底抜けの歌が聞こえてくる。その方向を見た弥彦が、一瞬、子供らしい顔を、した。確かに太郎には、そう、見えた。
「もしかして……わらべ歌の遊び、やってみたい?」
「あ、いえ。そんな。僕なんかが。僕は鬼の一族なので」
「そうやって、誤解を解くこともあきらめたのか?」
「……!? 太郎さま? なにを」
「弥彦。おまえはまだ十七歳って言ってたけど。それってまだまだ遊びたい盛り。物分かりなんてよくなくっていいんだよ。やりたいことはやりたいって。時には駄々こねたって、怒らないから」
しかし、弥彦は目から大粒のしずくをこぼした。ひっく、としゃくりあげて、涙はとめどなくあふれる。
泣いていると、ますます男の子には見えなかった。儚く、消えてしまいそうな、妖精のような。
太郎はどうしたらいいのかわからず、とりあえず背中をさすってやった。
「僕、生まれたときから、全部が嘘で」
「嘘?」
「この村では、女の子に生まれることは誉なんです」
「なんで。この村は、男が権力を握ってるようにしか見えないのに?」
「女は、生贄として最も尊ばれるから……成人前の清い乙女は、なにより喜ばれて……神さまも、女の生贄の時は、どんな無理な願いもかなえてくださるからって」
だけど、だけど、英恵は幸せそうには見えなかった。
生贄としての価値は、あと一年で終わる。
そんな英恵は、この村でひどい扱いを受けていた。
「英恵は……英恵はなんで、大人たちから侮蔑の目を向けられるんだ?」
「それは……! 僕には言えません」
許してください、許してください、と、弥彦はうわごとのようにつぶやいている。
この話題はもうしまいにしなければ、弥彦の精神が持たない。太郎はそう判断して、なにか元気づける方法はないか、思案する。
隣の公園から、わらべ歌が聞こえる。
太郎は弥彦の両手を取って、左右に揺らして、歌い始める。
「なーべ、なーべ、そこぬけ。そこが抜けたら帰りましょ」
そうして、ぐるんと回転して背中合わせに。
背中を向けているから、弥彦の顔は見えない。けれど、太郎の歌に合わせて、二度目の回転で、弥彦と太郎は向かい合わせの体勢に戻った。
「あは、なんだこれ。回るだけの遊びなんだ」
「ようやく笑ったな」
「あ、す、すみません、太郎さま。不快でしたか?」
「いいや。じゃあ、ほら!」
なべなべそこ抜け。そこが抜けたら帰りましょ
太郎と弥彦の声が重なる。二人の声は、二重奏を奏でている。低い太郎の声と、柔らかな弥彦の声。
「なーべーなーべー」
今度は弥彦が先に歌いだした。
「そーこぬけ」
太郎が続きを歌い、また、弥彦が歌を代わる。
「そーこがぬけたら」
最後はふたりで声を合わせて、
「「帰りましょ」」
くるり、と回って、ふたりは面と向かって目が合って、なんだかおかしくて、笑った。
「弥彦。本当は、あの崖の下にいたのだって、訳があるんだろ?」
「……はい。僕はあの日、亡くなったかいとさまのご遺体を弔おうと思って……生贄のお墓を作るのは禁忌とされているんですけれど。でも、あまりにも不憫で」
つまり、人肉を食らうために、あれを持っていたわけではない。弥彦はかいとの墓を、作りたいだけだったのだ。
だというのに、村というのは恐ろしい。
川の向こう側の家は鬼の一族だ。そうやって、村一丸となって倒すべき『敵』を作ることで、村は団結力を強めてきた。
人間が手っ取り早く結びつくには、共通の敵が一番いい。たとえば、戦争なんかがその最たる例だ。
自国を守るため、国のために戦いましょう。国民一丸となって、敵国を討つのだ!
太郎にとってそれらは過去の遺物に過ぎない。けれどこの閉鎖的な村人にとっては、村の言い伝えはなによりも信じるべきものだった。
「俺、呪いが解けたら。弥彦の誤解も解けるように、みんなに説明するから」
「太郎さまは、優しい方なのですね」
「そんなたいそうなものでは」
弥彦が、笑った。その笑みは、うらなどないはずなのに、なのに、なのに。
なんで、こんなに不安を掻き立てられるのだろうか。
「弥彦って」
「はい?」
「俺とどこかで、会ったこと、ない?」
「崖の下と、英恵さまと一緒にいらしたときと、それくらいですよ?」
それでも、どこか別の場所で、出会っている気も、するのだ。
「太郎さま。日が暮れ始めました。もう宿にお戻りください」
「あ、うん。それじゃあ、俺は帰るから」
そういえば、なべなべ底抜けの歌も、最後は帰るんだったな。と思う。でも、帰るっていったって、どこに帰るのかは、太郎にもわからなかった。
宿に帰り、英恵にこっぴどく叱られた。なぜ鬼の一族に会ったのか、と。
「でも、なにかがわかりそうで」
「太郎って無謀なところがあるよね。ご飯も冷めちゃったし」
怒りながらも、英恵は安堵したようだった。
もぐもぐと太郎が英恵の作った料理に舌鼓を打つ。その間、英恵も太郎もしゃべらない。
なんやかんやと会話もなく、だけど心地よい沈黙が流れた。
「おやすみ」
「うん。おやすみなさい」
そうやって、五日目が無駄に過ぎていく。太郎は焦りで眠れなかった。
翌朝、玄関を叩く音に目を覚ますと、英恵は既に朝食を作り終えたところだった。そして、玄関先にはたいまつを持った大人の男がふたり、太郎を待ち構えていた。服装から見るに、この村の警察だった。
「あなたが、太郎さん?」
英恵も玄関先で警察とともに太郎を待っていたらしく、起きたばかりの太郎に小走りに寄った。そのままひっそりと耳打ちする。
「今までの人死にについて、調べているんだって」
調べるっていったって、遅すぎやしないだろうか。
「忠人さんのご遺体の捜索を始めようと思って。この大広間は当分出入り禁止で」
確かに、黄色いテープは張られていたけれど。今更、太郎と英恵を取り調べるというのだろうか。
太郎を犯人に、仕立て上げるつもりかもしれない。
太郎は警察の顔色をうかがいながら、逆なでしないように、
「はい、わかりました」
小さく、答えた。
「それから」
まだあるのか、と英恵とともに、警察の方を見る。警察官は、ふたりして太郎の方に歩いてくると、
「事情を、うかがいたく」
「ああ、そうか。よそ者の俺を疑っているんですね」
もう、太郎は警察の機嫌取りをあきらめた。率直に言えば、警察がうなずく。
太郎ははあ、と息を吐く。そういう扱いをされるであろうことは予想内だが、よりにもよって今日――村の呪いを明日までに解かねばならない今日、訪ねてくるなんて、タイミングの悪い。
太郎は静かに声を紡いだ。
「もちろん、協力しますよ」
「よかった。では、署までご同行を」
警察官がひとりずつ、英恵と太郎をそれぞれ拘束するように腕をつかんだ。
これはもう、『太郎が犯人だ』と決めつけているようなものだった。
いい気持ちはしない。けれど、疑うのは警察の仕事なのだから仕方がない。
外に出て、雪が溶け始めた朝を歩く。今日ばかりは、英恵も朝食の時間ぴったりに食事を出すことは難しいだろう。
時刻は朝六時。宿の周りには、やはり村人が集まっていた。どこから聞きつけるのだろう。
車なんてものはこの村にはないから、警察署まで十五分歩くことになった。その間、太郎は身元の確認をされた。が、免許証や学生証は、宿にあるバッグに入れてあるため、たいした身元調査はできなかった。
警察署に着いて、太郎と英恵は別々の部屋に連れていかれる。
「太郎……!」
「大丈夫、英恵。いつも通りにすればいい。くれぐれも、脅されても嘘の供述は、するなよ?」
よくあることだ。警察が、面倒だからと犯人を決めつけ、嘘の供述を取る。
けれど英恵はにこりと笑むだけで、なにも言葉は発さなかった。




