5-3、なべなべ底抜け③
川の向こうの日本家屋は、瓦屋根でできている、英恵の家は藁ぶきなのに、格が上なのは弥彦の家の方なのではと思い、それを呑み込んだ。
英恵に怒られる。
「あのー!」
川の向こうには、何軒かの家がある。どれが弥彦の家かはわからないが、手前にある方の家に向かって、太郎が叫んだ。
しばらくして、おそるおそる玄関が開かれる。門扉はない。
「どちらさま……あ、太郎さま!?」
出てきたのは弥彦である。しかも、弥彦は寝間着姿で、顔に吹き出物ができていた。おととい会った時にはなかったものだ。
「弥彦くん。少し話が聞きたいんだけど」
「あの、えーと」
弥彦の声は、やはり女のようだった。
「八重、あんたなにしてるの」
すると、奥から弥彦の母親が顔を出す――しかし、その風貌はやはり初老に近く、腰の曲がったそれであった。
「あ、お母さん。また僕を『八重』って。僕は弟の弥彦だよ」
「ああ、すまないねえ。この年になると、ぼけて」
ごめんなさいねえ、なんて言いながら、弥彦の母親は太郎を舐めるように見た。
「あ、山野太郎です。この村の呪いを解くために来た、みたいな?」
「ああ、存じ上げておりますよ。太郎さま、と。英恵さま? 英恵さままで、何用です?」
玄関から出て、弥彦を背中にかばうようにして、母親が立ちはだかった。
「いや……あの、八重さんについてお聞きしたかったんですけれど」
単刀直入に太郎が切り出すと、母親はいよいよ弥彦を玄関の中に押し込んで、がららと引き戸を締めた。
「八重は、もう、戻ってきません」
「え? でも、臨月だけ、あそこの牢にいるって」
「あの子は、裏切者なんです。好いた男の子を身ごもって、村に盗られるのが嫌だからと、流してしまったんです」
「流して?」
「流産だよ、太郎」
英恵が付け足すと、太郎があっと声を漏らした。
八重は、子供をわざと流産させた。そして、生まれた子供は『村に盗られる』。
前に英恵は、「子に村の人はみんな親戚みたいなものだから」と言っていた。それは比喩ではなく、本当にそうなのだ。
誰の子かわからない子を、もらい受けて生贄として育てる。だから、簡単に生贄として差し出せる。本当の子供じゃないからだ。
三十五歳まで生き残って自分の子供を産めるのは、運による要素は大きい。例えば、カナのような母親は、ごくまれなのだ。
かいとの両親は、かいとの本当の親だったのだろうか? そんな邪推が浮かんで、かぶりを振る。
人の家のことに口を出すべきではない。
血のつながりがあろうとなかろうと、かいとが死んだときの両親の涙は、きっと本物だったに違いない。
そもそも、太郎は弥彦の母の言葉の違和感に気づく。
「村に盗られると、なにかあるんですか?」
「なにって……私たちは、神の祝福を受けた一族だから。私たちの産む子供は、神の子供として、生贄に……」
「え、でも、弥彦くんは」
「ああ、ああ。本当に嫌になる。ずかずか入り込んで。よそ者のくせに、踏み込まないで!」
そう言って、弥彦の母親は玄関を開けて、家の中へと戻っていった。
「なんだか、よくわからなくなってきた」
川の向こうの人間は、人を食うから鬼と呼ばれている。けれど実際は、この家の人間は、神に進言した最後の人身御供。その子孫だから、子供が生まれれば引く手あまた――つまり、神へのささげものとして、この上ないほどに高貴なのだ。
「じゃあ、結局弥彦は、なんで生贄に選ばれなかった?」
「太郎、ひとりごとひどいね」
「あ、ごめん。夢中になると、つい」
太郎は肩掛けのバッグからスマホを取り出す。
そういえば、あの日、忠人が死んだ日だけ、スマホの液晶がつかなかった。
つまり、なにかがスマホを干渉した――神の力こそがそれなのだろうか。
「なあ、この村って、電波は圏外だけど……磁場が悪いとかって、あるの?」
「磁場? うーん、わからないかな。あ、でも、この村にも発電所はあるよ」
「え、どこ」
と、英恵が指さしたのは、村の入り口の森と、その反対側にある崖の真ん中を突っ切た場所、東側の山に立つ、電波塔だった。
「あそこで村の発電はしているの」
「へえ。あ、それで、ももちゃんちみたいに、『終わった』家は、日本家屋ではなく、現代風の住居も許されるんだっけ」
ももの言葉を思い出す。ももだけでなく、この村の人間は、人の死に慣れすぎている。
そりゃあ、毎年お正月に五人の人間が死んでいれば、慣れもするだろう。
いや、慣れるのだろうか。
「英恵はさ」
「なに?」
「お父さんが死んで、なんでそんなに平気なの?」
それは、言ってはいけない言葉だったようだった。言の刃が、英恵の心をえぐる。
「平気じゃ、ないよ」
「え?」
「太郎が見てないところで泣いてるだけで、平気じゃ、ないよ」
英恵の目に涙が浮かぶ。
やってしまった。
太郎は少し、人の感情に鈍いところがある。というよりは、ひとの心がわからない。
子が親にかける愛情とか、親が子に向ける愛情とか。
そういう見えないものを、太郎は信じていない。
いや、そういえば。
「俺、両親の記憶、あれ……?」
村に来て、毒されたのだろうか。父と母の記憶なんて、太郎にはあったのだろうか。
はじめから、空っぽだったのではないだろうか。
底抜けの、太郎は、この村に呼ばれた。愛情を知らない、太郎は。
だって、そうだ。
祖父の遺言だからって、こんな辺鄙な村に、息子ひとりをよこす親なんて、いるのだろうか。
「太郎? どうかした?」
「あ、いや」
深い考えに陥ると、いつも英恵はこうやって太郎をすくいあげる。まだ五日の付き合いだが、太郎は英恵を好意的に見ている。しかしそれが恋慕でないこともわかっている。これは、相棒とかかけがえのない半身とか、そういう人に向ける、最大限の尊敬だ。
英恵の、見た目ではなく内面の強さ、優しさ。
太郎は英恵の温かさに、惹かれつつある。
電波塔まで歩きながら、太郎は英恵を横目に見る。英恵が太郎の方を見て、「照れるから、見ないでよ」とはにかんだ。
「着いた。ここが、電波塔」
三十分くらい歩いて、ようやくついたそこには、赤と白の大きな電波塔が立っていた。
遠目にもわかっていたが、だいぶ大きい。ここに来る道すがら、ソーラーパネルが何十個も目についた。つまりは、この電波塔の電気は、ソーラー発電なのだ。
都会では敬遠されるそれらを、この村は頼りにしている。
自家発電して、村全体の電気を賄っているのだ。
「電波塔には、異常なし、か」
「うん。あ、帰りにももの家に寄ろうよ」
「え?」
「ほら、この前、ジャージ、回収し損ねたから」
そうだった。
「だけど、ももちゃんとは、喧嘩したし」
「あれは、あの場だけだよ。ももってほら、男の子みたいな性格だから、多分許してくれるよ。てか、仲直りして、私のためにも!」
最後の言葉が本題だな、と太郎にもわかった。ももの家に行くことは気が引けるが、太郎だって喧嘩別れはしたくない。
太郎は思い直し、電波塔から意識をももの方に向ける。
「英恵ってほんと、面倒見いいよな」
にこりと、太郎の笑みに、英恵が首をかしげて笑い返した。
「英恵って、都会で育ったら、モテただろうな」
「ええ、なにそれ。お世辞でもうれしい」
お世辞ではなく、本心だ。
けれど今は、本音を隠して、太郎は呪いを解くべく、村を歩く。




