4-4、はないちもんめ④
ももを放っておくわけにもいかず、太郎と英恵は、ももを家まで送り届けることにした。
ももの歩幅は狭く、今にも倒れそうによろめいている。足に力が入っていない。
先ほど土下座した膝には泥がついたままで、誰も払ってやることができない。
「ももちゃん、あの。大丈夫?」
「あは。大丈夫。私さ、天涯孤独じゃない? だからかな、ゆうやくんが弟みたいにかわいくて」
それだけじゃないと太郎も英恵も知っている。それくらい、ゆうやとももは、似ている。
しかし、それを口にすることは憚られた。言葉にするのもおぞましい。
唯一の家族である父親は、血の繋がりのないももをあっさりと捨てた。だからももは、天涯孤独。
歩幅を狭く、狭く、狭く。
ももの家まで小一時間、お昼の十二時になって、村内の放送が流れだす。
きーんこーんかーんこーん!
『お昼をお知らせせせせせせせせせせせせせせ』
じじじ、じじ。電波が途切れる。
『ももねえ、ももねえ、助けて!』
放送から聞こえたのは、ゆうやの声である。なぜ。
戸惑う太郎。英恵も動けない。しかし、ももは迷うことなく走り出していた。ももは紛れもなく、ゆうやの姉だった。たとえ周りが認めなくとも、血のつながりは、否定できない。
放送室は、病院の真隣にある、市役所の一角に居を据えている。
ここには、二十四時間体制で人が待機し、朝の放送、昼の放送、夜の放送が発信される。
しかし、それでも、放送は正月は休みだったらしく、今日の昼から再開されたらしい。
放送部屋は鍵はかかっておらず、ドアが開け放たれていた。まるで導くように。
太郎は英恵とももの手を、ぎゅっと握った。
「行こう」
太郎に迷いはなかった。
放送部屋に入ると、花が敷き詰められている。何種類も。
いろんな香りが混じって、気持ちが悪い。目にも染みる。
花が導くように廊下の左右に盛り立てられている。向こう側の廊下の突き当たりの右に向かって、花が曲がった。廊下がぬるりと滑る。
これは本当に花の香りだろうか。呼吸がしづらい。頭がくらくらする。
けれど今はそれよりも、ゆうやを助けなければ。
「ゆうや!」
放送部屋の中を駆けていく。花が導く先、一個一個の部屋ドアを開けて、ゆうやがいないか確認する。
一番奥の部屋のドアを開けて、ようやくゆうやの姿が見えた。
放送用のマイクの前に、椅子が二つ、並んでいる。椅子のまわりを取り囲む、色とりどりの花たち。仏花だ。
椅子の上、花に包まれた真ん中に、体をけいれんさせるゆうやの姿があった。
ももが反射的に触れようとするも、英恵が止める。ゆうやを動かしては、危険だと判断したのだ。
英恵と太郎、ももは、ゆっくりゆうやに近寄る。息がない。
「……!?」
しかし、英恵がその場に倒れる。ももも。
「ふたりとも、どうした!?」
ゆうやのその脇、カーテンの向こうに、『人の気配』がする。見覚えのある泥の靴。暴こうと歩み寄るも、膝が折れた。
「え……?」
太郎の目が、ぐるんと白目になる。気を失ったのだ。
ゆうやを助けに行って、ももも英恵も太郎も、その呪いにあてられたのである。
目を覚ましたのは、病院のベッドの上だった。
病院には明るい電灯があって、その天井をぼんやりと眺めながら、太郎は現状をすぐには理解できなかった。
「ゆうや、ゆうやぁ!」
カナの泣き声に、太郎はようやく思い出す。ゆうやを助けに行った後の記憶が、ない。
起き上がると、脳貧血で頭がくらくらした。点滴が繋いである。
医者に泣きすがるカナと、その後ろで泣いているももの悲痛な表情に、なにが起きたのかわからなかった。
「え、ゆうやくんは?」
「なんで。なんで。あんたが家に来たから、ゆうやを病院に連れてきて待たせていたら。放送部屋で、呪いに襲われて死ぬなんて」
いま、なんて?
太郎は勢いよく立ち上がる。ももと英恵は既に意識を取り戻し、病院着でゆうや『だったもの』のを見下ろしている。遺骨だった。
カナがゆうやの名を呼んで、骨壷を抱きしめる。
「なんで……ゆうやくんが死んで……」
「私たち、いつの間にか病院前に倒れたていたらしいの。でもその時にはゆうやは意識がなくて……植物状態で助からないって判断されて……呪いが周りに伝播する前に、病院の併設の火葬場に――」
だとして、なぜ放送部屋にゆうやがいたのだろうか。
カナは自分が働く病院にゆうやを連れてきて、近くで遊ばせていた。だけどゆうやは、自分にかまってくれないカナに苛立ち、カナの目を盗んで放送部屋に入った。
そして、そこで呪いにあてられた。
「ゆうや、ゆうや!」
ゆうやが死んで、遺骨が霊安室に運ばれて、カナは誰もその部屋に近づかせなかった。
霊安室の廊下で、ももが泣いている。
ももの目が真っ赤に腫れて、泣いても泣いても涙が枯れることはない。
向こうの部屋から、カナと医師の声が聞こえる。
『インスリンの数が合わない』『今はゆうやのところにいたたいのであとにしてもらえますか』『でも、カナさんは看護師なんだから、責任問題だぞ?』
「私のせいだ、ゆうや、ごめんね、ごめんね。いまお医者さま呼ぶから」
「もも、落ち着いて。ゆうやは死んだって、もう火葬も終わったんだから」
「でも、でも。神さまに頼めば」
「いくら神さまでも、死人を生き返らせることはできないよ」
そこで、ももは霊安室から太郎の方に視線を移した。その目に、太郎は見覚えがあった。
よそ者を見る、村人の、目だ。
ため息を悟られないように、太郎はももの目を見返した。
「あなたのせいよ!」
「もも、太郎はなにも悪くない。悪いのは呪い……もっと言えば、太郎をこの村に招いてしまった、私」
「英恵は黙ってて! なにが呪いを解く、よ。あなたのせいで、ゆうやが死んだ。あなたさえ死ねば、すべて片付くのに」
「そう、なのか……? 俺が死ねば。最後の一人は救えるのか?」
残すところは、なべなべ底抜け。
ももは、ふと息を吐き出した。
「あなたには、できないでしょうね」
「できないって……俺だって、他人が死ぬくらいなら」
「私たちにはできる。この村で育ったから。でも、よそ者のあなたには、自死なんてとてもできないでしょう!?」
ももとは打ち解けられたと思ったのに、悲劇は簡単に人の絆を壊してみせる。
それがたまらなく悲しくて、悔しかった。
太郎は、霊安室のドアの前の儀式棚にある、ナイフを手に取った。
霊安室のドア前の棚には、この村独特の風習で、ナイフ、榊、だるま、子供の人形、それに、お神酒が置いてあった。神や呪いを霊安室に入れないためらしい。
そのナイフを、迷うことなく太郎は握りとった。
そのまま、そのナイフを首に突き付ける。
少しでも力を籠めれば、太郎の頸動脈が切れて、即死だ。
「太郎、落ち着いて」
英恵が太郎の方に手を伸ばす。ナイフをよこせ、という意味だ。だけど、太郎はふるふると首を横に振って、手に力を入れ直す。
「俺が死ねば、呪いは終わるんだろ?」
「そうよ、終わる。太郎が死ねば」
ももが煽る。しかし、英恵はふるふると首を横に振って、太郎に一歩、歩み寄った。
あの時と同じだ、と太郎は思った。かいとが死んだときと、同じなのだ。
違うのは、死のうとしているのが太郎で、助けようとしているのが英恵。そして、英恵を邪魔する大人は、いない。
太郎は、動けなかった。首を切ることが、できなかった。
死ぬ覚悟なんて、持てるはずがない。七歳のかいとにできたことが、太郎にはできない。
英恵が、ナイフの刃を握るようにして、太郎からナイフを奪った。英恵の手に血が滴る。
太郎がその場に座り込む。泣いていた。太郎は『生きていること』に泣いたのだ。
死ぬと思うと、怖かった。死ぬ勇気なんて、持てなかった。
死にたくない、けれどもっと、これ以上人を死なせたくない。
「はっ、ほら。よそ者だから、死ぬこともできない」
「そうだ。俺は、ももちゃんの妹さんのようにはなれない」
「妹を語らないでっ!」
ももが太郎をにらんだ。しかし、英恵が太郎とももの間に割って入って、ももは息を吐きだし、英恵を笑った。
「英恵のせいじゃん。全部、全部」
「そうだよ。だから、太郎を責めないで」
「はは、お似合い。よそ者と生贄同士、慰めあったらいい!」
ももがどかどかと病院を出ていく。
二人きりになって、英恵は太郎を振り返った。へたり込んで泣く太郎に、英恵もしゃがんで、太郎を抱きしめた。
「大丈夫。これ以上村人は、死なないから」
「英恵?」
「太郎は太郎のままで、いいんだよ」
その言葉が、妙に寂しい。
その時、英恵の穏やかな声にかぶせるように、夕方の放送が外に流れた。不快な音を立てながら、子供の声が、空を駆ける。
勝って嬉しい花いちもんめ、負けて悔しい花いちもんめ
隣のおばさんちょっと来ておくれ
鬼がいるから行かれない
お布団かぶってちょっと来ておくれ
お布団ビリビリ行かれない
あの子が欲しい、あのこじゃわからん
この子が欲しい、このこじゃわからん
相談しましょ、そうしましょ
じじ、じ。と放送部屋から音楽が流れる。今、病院の隣の放送部屋には、誰がいるというのだろうか。
いるのだろうか、人間が。
これは呪いで、この歌もそれらが流しているのなら、探しに行くことすら無駄に感じる。
太郎はそれくらい、絶望していた。
病院の外に、叫び声が聞こえる。カナとももが、言い争っているらしかった。
「あんたが死ねばよかったのよ! あんたの盗られた妹だって、あんたの代わりに死んだって。なら、今度はアンタが死ぬべきでしょう!?」
「それは……! 仕方なかったのよ! 妹はまだ七歳だった。私はもう、その時十五歳だった。神様の生贄には、年齢が行き過ぎてて! お父さんとおんなじこと言わないでよ!」
ももが泣きじゃくる。もう、なにもかもどうでもいい。
カナは霊安室に入っていって、死んだゆうやの骨壷を抱き抱えて、悲しみの涙を流したまま、病院を出ていく。
「カナさん、まだ呪いがあるかもしれない。だからひとりでの行動は」
「いいえ。大人はこの呪いにかからないのよ。私はもう、この子が死んだら呪いなんてどうでもいい。この子のいない世界なんて。私はこの子と、最後の夜を過ごすから、お通夜も葬式にもこないで、もも」
それだけ言い残して、カナはナース服のまま、病院を出ていった。




