4-1、はないちもんめ
四、はないちもんめ
この村には、山の神さまがいた。いた、と過去形なのは、今はもう、その姿かたちを見ることができないからである。
人間は元来、神と寝食を共にしてきた。日の出とともに起きて、日の入りとともに寝る。
朝起きたら、まずはご飯とお酒と塩を、神さまにささげる。そして、今日一日の安全を祈る。
午後には供物は下げて、寝る前に神棚は閉める。その時、一日無事に過ごせた感謝を述べて、また明日もよろしくお願いしますと頭を下げる。
神とは信仰、人間の心が生み出すものだ。
だけれど人間は信仰を忘れ、神に祈ることを辞めた。だから人間は、神を見ることができなくなった。
それでも、神は人間の願いをかなえた。たとえ困ったときの神頼みだとしても、神は人間とともにあることが、うれしかった。
そうやって神と人間は共生してきた。
そして、昔々、この村のとおり崖の上から生贄をささげると、神は人間の願いをなんでもかなえてくれたのだという。
だから、村には様々な場所からの客がたえなかった。願いをかなえてほしいと、毎日のように生贄を連れては、村の崖から突き落とした。ましてや、村人となれば日常茶飯に生贄を落とした。
生贄とは、清らかな乙女にしか務まらない。生贄は女が好まれた。
しかし、実際は男の子も生贄にされた。男の子の場合、七つまでの子供を、神はたいそう喜んだという。
崖の下には死体が絶えず、骨と化した躯が、たくさん、たくさん転がっていた。
そんなあるとき、この村を訪れたひとりの生贄の少年が、こう神さまにねがったのだ。
「神さま、神さま。神さまは、頼まれるばかりで、人間からはなにも与えてもらえない。哀れだと僕は思います。だから、願わくは、神さま、神さま。もう人間の願い事は聞かないでください。神さまも気づいているはずです。生贄の代わりに叶える願望は、年々度を超え、信仰は見返りに、尊敬は侮蔑に。神さま。僕は心配なのです。神さまが人間の欲望でけがれていくのが」
神さまは言います。
「では、おまえはわたしになにをくれる? おまえひとりの命では、わたしのけがれた信仰を取り戻せない。おまえはわたしを、どうやって浄化してくれる?」
崖から飛び降り、少年は言いました。
「この村を、周りから隠すのです。もう二度と、神さまの力を知られないように。そして、年に一度のめでたい日に、毎年人身御供を、ささげます。四人ずつ、何百年にもわたって。それが、この村人たちの咎なのです。僕もそれを、見守ります」
神さまはそれを、受け入れました。
その日から、雪武村は外の世界から隔絶されて、毎年お正月になると、呪いが発動するようになったのです。
いつか神が神であることを忘れ、消える日まで。
「そういう、話は……この村のみんなが知っているから」
英恵は、村に唯一伝わる伝記を太郎に読み聞かせていた。忠人が死んだ際に、神棚から取り出した古びた本である。
「だから、かいとくんも、みずから死んでいったのか。でも、口伝しかないのか」
宿に帰り、いったん仮眠を挟んで、朝は四時。太郎がこの村に来て三日目の朝である。
英恵がとうとう、この村の呪いの正体を太郎に話した。その話は、民俗学を専攻する太郎には、驚きも新鮮さもないはずであるはずなのに、ここ三日の出来事を考えると、その言い伝えは真実なのだろうと思わざるを得ない。
太郎としては、この村の呪いの原初を辿れたらと思ったのだが、どうにも大人たちは子供にそれらを『隠す』。つまり、本来ならこの伝記は英恵が二十歳になるまで読ませてもらえなかっただろうし、伝記には必要最低限、あとは口伝で『なんらか』を伝え続けているらしかった。
だとして、この村の大人は太郎をよそ者として歓迎していないし、どういうわけか英恵までもが邪険にされる。だったら、自分の足で調べて回るしかないだろう。
「なにか……神をなだめるほかの手段があればいいんだけどな」
太郎が呟くと、英恵は「とんでもない!」と声を荒らげた。
「神と対話……対峙するだけでも、私たちには……『けがれて』しまうの。神が神だから」
「……? 神力、みたいなもの?」
「まあ……神さまはこの村を今も見守ってくださっているから」
英恵が困ったように笑っている。
その時、すう、と廊下をすり足で歩く音がした。
太郎は機敏にたちあがり、ふすまを開けて廊下を見た。曲がり角に背中が見えた。忠人のような、かいとのようなそれに見えた。
「二人ともっ!?」
追いかける。本当はこれは呪いなんかじゃなく、誰かが仕組んだいたずらであって欲しかった。
しかしその影はやはり、囲炉裏の間まで行くと消えてしまう。
着いてきていた英恵が太郎の肩を叩いた。振り向くと、ふるふると首を横に振られた。
「お父さんたちは死んだよ。亡霊でも、会いたいけどね」
がく、と肩を落とし、太郎はまた自室に戻る。
「わらべ歌に関して、人が死んでいく」
太郎が紙に、わらべ歌を書いていく。だるまさんが転んだ、とおりゃんせ、かごめかごめ、はないちもんめ、なべなべ底抜け。
「で、今日が三日目……」
「うん。村の人たちは、もう人死にを見たくないって……家にこもる人もいれば、通常通り仕事する人もいる」
こういった閉鎖的な村にも、医者は存在するらしい。そういった人たちは、元旦も正月も関係なく、仕事に励んでいる。
そこで、太郎は、英恵の手の甲の傷が化膿していることに気が付いた。元旦――三日前にできた傷が、まだ治っていない。どころか、悪化しているように見える。
じくじくして、黄色い膿が傷を覆っている。膿の周りは赤黒く腫れていて、英恵がずっと痛みを我慢していたことに、気づかなかった自分を殴りたかった。
「それ」
「それ?」
「手の傷……大人たちに殴られた傷。手当、してなかったな」
「ああ、これ。平気平気。だって、こんなの日常だもの」
日常? と返すと、こっちの話、とはぐらかされた。
英恵は女だ。しかもまだ十九の子供。子供は生贄にされる。でも、来年になれば大人とされて、今度は子を強要される。
英恵にとって、この村にいることは、どちらにしても、地獄だ。だから英恵は、この村を出たがっている。英恵は太郎の『案内役』だ。案内役というからには、それは村にとって特別で、太郎がこの村の呪いを解けたときこそ褒められど、解けなかったらきっとまた折檻されるか――殺される。
だったら、太郎はなにがなんでも、あと四日のうちに、呪いを解かなければならない。
「英恵。とりあえず、病院、行こう」
「ええ、大丈夫だよ」
「俺のためだと思って、な?」
太郎がそれでもかたくなに病院に誘うため、英恵はしぶしぶ村の中枢にある病院に足を運ぶこととなった。




