3-1、かごめかごめ
三、かごめかごめ
ももと別れて、ふたりは村の真ん中を通って家に向かう。
一時とはいえ、甘いパンケーキに癒された太郎は、生気を取り戻していた。人間、食べなければいい考えも浮かばないし、マイナス思考に陥るものである。
少しだけ軽くなった足取りで、太郎と英恵は無言で宿を目指していた。その途中、太郎はあるものが目に入る。
「あれ?」
あるものに気が付いた。川の向こうに、家が何軒か、たたずんでいるのである。
昨日は暗くてよく見えなかったが、その川の住人は、川で洗濯をしていたのだが、太郎と英恵を見るや、家に走り逃げたのだった。
隣の英恵をちらりと見やる。
笑っていた。とても、『いやらしく』。
「英恵?」
不安と、なにかおぞ気がして、太郎は英恵の名前を反射的に呼んでいた。
英恵が太郎を向き直る。先ほどの、嫌な感じは一切しない。
「ん? どうかした?」
「いや……気のせい、かな」
なにか、侮蔑、いや。なんだろう。
この村の人間が太郎に向ける目と、同じ種類の、あの舐めるような、目。
それを英恵がしていたことに、太郎は不安を感じていた。
違う、やめてくれ。英恵はそんなんじゃない。英恵だけは、村の人に染まらず、清らかに澄んだままなのだと、太郎は信じて疑わなかった。
「さっきの人たちは、俺のこと見ても、なにも言わないんだな」
何の気なしに英恵に声掛ける。英恵はふ、と鼻で笑った。
「あの人たちは……隠しても無駄だから言うけれど。この村はね、もともとこの川のこちら側だけだったの」
「へえ。じゃあ、川の向こうの人たちは、別の集落?」
「そう。人を殺して食うのよ、川の向こうでは」
ぞ、として、太郎は川のあちらの家から顔をそらした。
それが本当にしろ嘘にしろ、太郎を差別しなかった英恵に、そういう心があったことが、太郎はいたたまれなかった。
人が人を食べるなんて、そんなこと、あるはずがない。けれど、この村は昔からそういう習わしとか言い伝えとか、そういうものが今も『成り立っている』だけに、嘘だろうと断じることができない。
「でもそれって、誰も見た人はいないんだろ?」
「いないよ。でも。あの川の向こうの人間が、とおり崖の下にいるところを何度も目撃されているの。それも、ささげものがあった翌日に」
つまり、今朝のかいとも――
川の向こうの住人が川に置いていった洗濯ものを見やる。
子供用の服があった。しかし、それがかいとのものとは言い切れない。なぜなら、太郎の中でかいとの服はあいまいな記憶と化していたからだった。
自分の目の前で、幼い子供が死んだ。そのショックから、太郎は今朝のことを上手く思い出せない。
頭がくらくらする。息が苦しい。
はっは、はっは。
息が吐けなくなる。吸うばかりで、吐けない。苦しい。
二酸化炭素を吐き出せず、酸素ばかりが血液を、這う。苦しい。肩で息をする。
「太郎?」
「はなえ、はっ、うっ」
過呼吸、というのはなにも珍しいことではない。太郎だって、そういった症状をも見たことはあった。けれど、自分がなってみるとことのほかパニックになって、息を吸ってはいけないのに、吐くことができない。
はっは、はっは。
吸うばかりで吐かないから、酸素ばかりが体を巡る。人間の体は不思議だ。
酸素がなければ死んでしまうくせに、酸素ばかりでも苦しくなる。まるでこの村のように。皆が生贄になったらは村は滅びるけれど、だけと生贄がいなければ村は成り立たない。
太郎の頭がくらくらして、目の前が真っ白になった。
太郎が地面にしゃがみ込む。
「太郎、大丈夫、大丈夫だよ」
英恵は姿勢を低くした。そのまま、英恵は太郎の唇に唇を重ねた。
ふう、と英恵の呼気が入ってくる。何回も、何回も。
手足のしびれが、和らぐ。息が吐けるようになる。くらくらする頭が鮮明になる。意識が現実に戻ってくる。
涙が生理的に流れていた。
「太郎、落ち着いた?」
「は……たぶん」
「そう……今日はひとまず、宿に帰ろうか」
「ああ、うん」
英恵に支えられるようにして、太郎は立ち上がった。英恵は太郎の手を肩に回して支えて、歩き出す。
そういえば、ももにジャージを貸しっぱなしだった。落ち着いたら返してもらわないとと、太郎は思う。
宿に戻ると、寒さに身が凍えそうだった。ももの家とは違って、宿には暖房がない。隙間風が冷たい。
英恵が囲炉裏に炭を入れた。もうもうと空気が揺れて、熱がこもる。
人の入った形跡がある。黄色いテープが張られて――いつの間にか、警察が来ていたようだった。
英恵はその黄色のテープなんて気にも留めずに囲炉裏の大広間に入って、温めた囲炉裏の傍に太郎を呼んだ。
太郎は気が咎めながらも寒さには逆らえず、黄色いテープを潜り抜けた。
太郎は、英恵が囲炉裏の傍に敷いた座布団に座る。
「お茶を淹れてくるから、待っててくれる?」
「や、英恵もゆっくり休んだら」
「いいの。私はこの寒さにも、呪いにも慣れているけれど。太郎はそうじゃないでしょう? 落ち着くように、甘いゆず茶、作ってあるの」
慣れている。って。
そりゃあ、毎年こうやって呪いが起きて、五人の人間が死んでいくのだから、確かに慣れはするだろうが。
それでも、昨日死んだのは英恵の父親だ。唯一の肉親だ。
いや、母親はどうした?
「お待たせ。熱いから気を付けて」
ゆずの皮を刻んで、砂糖と蜂蜜で甘く煮込んだゆずをお湯に溶かしたゆず茶は、英恵お手製なのだと英恵が笑った。
太郎は、ゆず茶を冷ましてから、そっと口に含んだ。落ち着く。
酸味と甘み、ゆずの皮のほのかな苦み。それらが胃の腑に落ちて、体の中から温まる。
「あのさ、答えたくなかったらいいんだけど」
ゆず茶をもう一口飲んで腹の中に落として、だけれど浮かんだ疑問は消化できなかった。
太郎がかしこまって、英恵に向き直った。
英恵は囲炉裏に手をかざして、鼻を真っ赤にして、笑っている。
「英恵の母親って……」
「お母さんはいないよ」
「それって、呪い――」
「呪いは関係ない、かな……」
じゃあ、一体なんで、英恵には母親がいないのだろう。そういえば、ももも母親がいないと言っていた。それは、呪いのせいなのか、それとも元からいないのか。
聞けぬままに、ゆず茶が胃の中を満たしていく。
空になったマグカップを、英恵が廊下を横切って、土間の台所にもっていく。
その床の板が、きれいなことに気づいた。きれいすぎるのだ。
この宿の外観は古く、リフォームするのなら、内装だけでなく外観も一緒にするはずだ。
「この宿って、床、きれいだよな」
「え? ……ああ。張り変えたばかりだから」
それに、軋みすらしないのだ。歩くと重厚な音がする。まるで、木の上ではなく金属の上を歩いているかのような安定感がある。
きっと、内装を整えるので精いっぱいで、外装はおいおい直すつもりだったのだろうと、太郎は思った。
「そっか。でさ、このあとはちょっと、出かけたいんだけど」
太郎の申し出に、英恵が台所から帰ってくる。
「どこに?」
「どこ? うーん。あ、そうだ。ももちゃんにジャージ貸したままだったから、返してもらおうかなって。そのあとは決めてないけれど……なにか、引っかかるんだよな」
「ふうん。じゃあ、私もついていくよ」
「え、いいよ。一人で行けるし」
「でも……村の人に会ったら気まずいでしょう?」
それは確かにその通りなので、ここは申し出を受け入れることにした。




