2-4、とおりゃんせ④
ほうと息を吐き出して、三人は一輪車を押しながら来た道を帰っていく。
雪が溶けて、来るときよりも歩きにくかった。雪と泥が混じると、それは普通の泥よりももたついて、重い。
都会育ちの太郎の足取りは、重い。対して英恵とももは、軽快に歩いていく。ハーフパンツを中に履いているからかもしれない。大股で、ずんずんと歩いていく。
「太郎って、神社に行ったことがないの?」
ふいに、英恵が言った。太郎は足を思いきり持ち上げながら、
「え、あるよ、そりゃあ」
「でも、全然うまく話せてなかったじゃない」
ももが笑った。そりゃあ、神主と直接やり取りなんて、今時そんなこと、やらない。
それに、さっきのは一種の宗教みたいで怖かった。特に神主の笑みが、忠人のそれと同じで、底知れぬものがあった。
「あ、ここが私の家!」
ももがたっと先を歩き、止まったのは太郎の泊まる宿と同じくらい大きな家の前だった。
そして、もれなく日本家屋である。
しかし、英恵の宿と違い、新築のようで、汚れのひとつも見当たらない。
おまけに日当たりもいいし、よくいう一等地に住んでいるのは明らかだった。
「ささ、入って入って」
門扉を潜り抜け、ももが家のドアを横にスライドさせる。
がらがら、と音がして、目の前には広い玄関。宿である英恵の家の、二倍はあるだろうか。
「お邪魔します」
「おじゃまします」
太郎、英恵、ももの順に家に入る。
一階は、美容室になっている。そして二階が、生活スぺースらしかった。
日本家屋の階段は急で、落ちたら怪我どころではないだろう。きっちり九十度より狭い角度の階段が、幅も狭く並んでいる。
慣れているももはたったと上がっていき、続く英恵もなんなく階段を駆け上がる。
太郎はそろりそろりと階段を上り、しかし、二階の住居は、快適そのものだった。
宿に比べると、だいぶ造りは現代風だ。
フローリングにテーブルにソファ。ベッドもあって、ももはさっそく、キッチンに太郎を案内する。
「太郎、パンケーキ、パンケーキ」
「ふ……ももちゃんって素直って言われない?」
「それだけが私の取り得だからね。で、材料はなにが必要?」
ももがガサゴソと冷蔵庫をあさる。冷蔵庫がある、ということは、電気があるということだ。
なのに、夜は家の外にかがり火をつけるし、昨日だって、太郎の泊まった宿では、行灯とかろうそくが使われていた。
「ほかの家も、こうなの?」
メレンゲを泡立てながら、太郎が聞いた。「ほかの?」とももが返すと、
「ももちゃんちって、現代的だけど。英恵の家はさ、前時代的……ろうそくとかかがり火とか」
「ああ。それは家によるかなあ。私んちは、もう終わったから、こういう家電とか、許されるの」
「終わった?」
角が立つまで泡立てたメレンゲに、そっと黄身を混ぜていく。その次に、ふるった小麦粉。
メレンゲを泡立てる際に砂糖は入れてあるから、小麦粉を混ぜたら焼くだけだ。
小さなセルクル型があったらなおよかったが、今日はそれらはないから、そのままフライパンに生地を流し込む。
ふるふると、フライパンの上で生地が揺れる。
パンケーキのコツは、熱したフライパンを一度濡れ布巾の上に置いて、冷ますことだ。
こうするることで、フライパンの中心は温まった状態、まわりは程よく温まった状態になる。じっくり焼くのがパンケーキのセオリーだ。
「ぷるんぷるんだ」
「なあ、はぐらかすなよ」
フライパンの火加減を弱火にしながら、太郎が今一度聞いた。パンケーキの生地が、ふつふつと温まっていく。この生地に、細かな穴が開いてきたら裏返す合図だ。
太郎の問いに、ももは顔色一つ変えずに答える。
「私の家は、何年か前に贄を出したから、現代のものを家に取り入れても許されるの。私の家の番は、終わったから」
ひゅ、と、冷たい空気が部屋を通り抜けた。
終わった。お役目が終わった。生贄が、終わった。それは、誰が死んだのだろうか。思い起こせば、確かに『父は呪いで死んだ』と聞いたばかりだった。
「なんかごめん、いらんこと聞いた」
「いいよ。でもね、私。太郎には呪いを解いてほしい。それで、私をこの村から連れ出してほしいの」
「え?」
「え? って、太郎はさ、自分の責任の重大さ、わかってないの?」
わかってはいる、自分がこの村の謎を解かなければ、この村は『出ない』ままだ。つまり、村の人間は外界に出るすべがない。
でも、もうそれでいいのではとも思う。この村の人間が外に出て、暮らしていける気がしなかった。
世界は思っているより広く、寛大だ。その寛大さに、閉鎖された大人たちは耐えられるのだろうか。
「毎年さ、正月の来客って予想外なんだよね。郵便屋さんの時もあれば、工事業者の時もある。でも、前もって連絡あったのは、太郎だけだもん。だから、村のみんなは太郎は特別なお客さんだからって、恐れているんだよ」
「恐れ……ああ、それで歓迎されてないのか」
「そうそう。だって、前もって『お正月にそちらの村に行きます』なんて、そんな電話、今まで無かったから」
それに、この村に電話はそう置いていない。英恵の家は宿だから置いてあるが、ももの家に電話はないらしい。
昔みたいに、電話をするには電話のある家まで足を運ぶ必要があるのだと、ももはさもありなんといった風に説明した。
「英恵がうらやましいよ。今年は英恵が選ばれたから」
「それ、前も気になってたんだけど。俺の電話を受けたのが英恵だから、英恵は特別なの?」
「そうそう。察しがいいね。この村の呪いを解くのは、確かに村外の人間なの。でも、探偵に助手が必要なように、村の案内役が付けられるのね。で、それらはたいがい、村に来た客人を最初に見た人なんだけど。今回は電話を取った英恵がその役割を仰せつかったって感じ」
ももはよくしゃべる。英恵と違って、なんでも教えてくれる。
ぷつぷつと、パンケーキに穴が開いている。太郎はフライ返しを使って、パンケーキをひっくり返す。いい色に焼けている。
「うわあ、美味しそうだね」
ももがフライパンを覗き込む。裏返したら、もうあとは余熱で火を通すと考えてもいい。
太郎は、フライパンをそっと前後に揺らした。フライパンの中で、パンケーキがプルプルと揺れている。
普通、パンケーキはふわふわに焼けるものだが、メレンゲを入れることでふるんふるんに仕上がるのだ。
「っし、じゃあ、お皿持って来て」
大きなふるふるのパンケーキを、かわいらしいピンクのお皿に盛り付ける。
やはりというか、食器のひとつとっても、この家は先進的だ。英恵の宿のような、懐石料理に使うような皿ではなく、西洋のきれいな柄の入った、ピンクのお皿だった。
「わあ、すごい。こういうのを映えって言うんでしょう?」
「ああ、まあ」
「そういえば、太郎はスマホ? 電話機? なんか、そういうの持っているんでしょう?」
一応、持っていることは持っている。今も、リビングに置いてきた肩掛けのバッグの中にあるが、あれは昨晩、壊れたばかりだった。
太郎が言葉を濁す。
大きなパンケーキを一枚、皿に盛り付け終わると、ももがそれをダイニングテーブルに置いて、太郎に懇願した。
「ねえ、太郎。写真撮ろうよ」
「写真?」
「そう。スマホで」
「ええ、でも、壊れてんだよなあ」
言いながら、太郎はバッグの方へ歩く。ももは、盛り付けたパンケーキの上にバターと蜂蜜をたっぷりかけている。
太郎はバッグからスマホを取り出す。
スマホのサイドの電源ボタンを押すと、どういうわけか、今日は液晶が起動した。
「ええ、なんで」
そのまま、カメラをオンにする。カメラが起動して、レンズの向こうの床を映し出す。
昨日は電源どころか液晶もつかなかったくせに、このスマホまで、太郎に逆らうのだろうか。
「行けそうだ。なんでだ?」
だったら昨夜のは、なんだったのだろうか。
しかし太郎は、女子二人に呼ばれてそれどころではない。
「じゃーん、撮って!」
ももが、パンケーキの載った皿を手にして、太郎のスマホの方に微笑んでいる。太郎は素直にももを写真に収めた。
昔々、カメラが日本に伝わった時、日本人は「魂を取られる」と写真を嫌がった。でも、ももは好奇心のなせる業か、写真になんら抵抗を示さない。
そういえば、テレビは普及しているんだったか。
「英恵は?」
太郎が問えば、英恵は控えめに「私はいい」と答えた。
しかし、ももが半ば無理矢理パンケーキの皿を英恵に持たせた。
「せっかくだし、撮ってもらいなよ」
「いいよ、私は……あんまり撮られるの、好きじゃない」
しかし、太郎はすでに、英恵の方にスマホを向けている。英恵はひきつらせて笑顔を作り、太郎がその写真を撮った。
「見せて見せて」
パンケーキが冷めることなどそっちのけで、ももが太郎のスマホを覗き込む。
「あ、これが私の顔なんだ」
「え?」
「あ、いや……フィルムカメラは見たことあるんだけれど。スマホだとこう映るんだって」
「ああ……え、写真って今もフィルムのを?」
どこまで行っても、部外者にはわからないことばかりだと太郎は思った。
ももと英恵が、恐る恐るスマホ画面をタップする。
左にスワイプ、しかし、先ほど撮った二枚の写真以外のデータがない。
「こら、勝手にいじるなよ」
「だって……」
太郎はスマホに群がるももを追い払う。そのまま、先ほどの写真をスワイプ――しかし、昨日まであったはずのデータが消えている。
嫌な予感がして、電話帳を立ち上げる。やはり、データがなにひとつ残っていない。
「昨日の……やっぱり呪いのせいで、バグった?」
しかし、呪いというのは、電磁波――スマホまでもを侵食できるものなのだろうか。
「太郎、冷めるから食べよう?」
ももが太郎の手を取った。英恵も、テーブルにパンケーキの皿を置いて、ナイフで切り分けて、三つの皿に取り分けた。
パンケーキの断面も、ふるふるしていて見ているだけで美味しそうだ。パンケーキの上を流れる溶けたバターと蜂蜜も。
太郎はようやく『生きた心地』がして、急に空腹を感じる。
「ほら、太郎。私ももうお腹すいちゃって」
英恵が椅子を引いて待っている。
そういえば、今日はまだなにも食べていなかった。昨日の夜だって、食べた記憶がない。
知ったとたん、くう、と太郎のお腹が鳴いた。
「じゃあ、食べるか」
「そそ。食べよう食べよう」
「ももちゃんはさ、なにも手伝ってないのに、なんで自分が作ったみたいな振る舞いなの」
「いいじゃん。私だって手伝ったよ。太郎は手柄を独り占めしたいの?」
「いや……じゃ、いただきます」
ふたりは、太郎がナイフとフォークでパンケーキを食べるのを見届けてから、自分たちもカトラリーを手に取った。
「うわ、甘くておいしい」
「だね。ももの家はいいなあ。暖房もあるし」
「でしょ? でも、来年からは英恵も、もう『終わった』から、許されるでしょ」
「……まあ、ちゃんと『終われば』ね」
気丈にふるまってはいるが、英恵の父親は昨日、死んだばかりだ。それが、『終わり』の意味するところだと、太郎も知っている。
その現実が、やがて太郎を侵食していく。
先ほどまで感じていた甘さが、脳の真ん中に響くようにまとわりついて、不快だった。




