第43話
二〇二六年四月二十五日、土曜日の夕刻。
カフェを出た俺と門脇さんは、潮風が心地よく吹き抜ける広島の海沿いのプロムナードを、二人と三匹でゆったりと歩いていた。
少し落ち着きを取り戻した大福とアズサ、そしてスリングから顔を出してご満悦なちまきちゃん。歩幅を合わせて歩く門脇さんの横顔に夕陽が差し込み、その美しさに俺の胸が静かに高鳴っていた、その時だった。
プロムナードの先から、見覚えのあるどっしりとした影が歩いてくるのが視界に入った。
夕暮れの光の中、大切そうに腕の中に抱えられていたのは――あの保護犬サイトで見た、濃いオレンジゴールドの毛並みを持ったアプリコットカラーのパグだった。そして、そのパグを愛おしそうに抱きかかえている人物の顔を見て、俺と門脇さんは同時に息を呑んだ。
直属の上司、あの職場では鬼と恐れられる課長だった。
普段のオフィスでの厳格な表情はどこへやら、老眼鏡の奥の目をデレデレに下げ切った、完全なる「親バカのオジサン」がそこにはいた。
「帰蝶、暑いかな? お水飲むか?」
課長は愛犬の一挙手一投足に目を光らせ、まるで赤子をあやすような甘い声で語りかけている。
(……き、帰蝶……!?)
心の中で思わず激しいツッコミを叩き込んでしまった。
まさか織田信長の正室(濃姫)から名付けるとは。課長、いくらなんでもパグにつける名前としてぶっ飛んでいませんか。我が家の「大福」も大概だが、戦国武将の妻の名を背負わされたアプリコットパグの重厚すぎるネーミングセンスに、俺は一人で笑いを噛み殺すのに必死だった。
「――あ、浅野!? それに門脇まで……!?」
俺たちの存在に気づいた課長が、ハッと我に返ったように直立不動になった。
「か、課長、お疲れ様です! 可愛いワンちゃんですね」
「お、おう……。先週、無事に保護センターから我が家に迎えたんだ。名前は……その、帰蝶というんだが……」
バツの悪そうな顔で頭を掻く課長。その腕の中で、アプリコットパグの帰蝶ちゃんは、大福にも負けない見事なギョロ目をパチパチさせ、俺たちの足元の大福とアズサに興味津々で首を傾げている。
「ふふ、とっても素敵なお名前ですね、課長」
隣で門脇さんが、クスクスと可愛らしく微笑んだ。
会社では見られない上司のあまりにも人間味溢れる素顔と、新しく家族になった『帰蝶ちゃん』。
潮風が通り抜ける夕暮れの海沿いで、俺たちの日常のインフラは、また一つ可笑しくも温かな思い出のページを刻んだのだった。




