第38話
二〇二六年四月二十日、月曜日。
退院から二日。日常生活のインフラを少しずつ取り戻し、久しぶりに定時で仕事を終えてアパートの部屋へと帰ってきた。
「フゴッ! フゴフゴフゴッ!」
ドアを開けた瞬間、我が家のパグ姉弟が猛烈な「おかえりスピン」で俺を出迎えてくれる。俺の足の周りを、まるでUFOのようにぐるぐると回り続ける大福とアズサ。そのあまりのキレの良さに、一週間前、病院の診察台の上で狂ったコンパスのように旋回していた二匹の姿が重なり、思わず苦笑してしまう。元気になって本当に良かった。
だが、大福の動きが不自然にピタリと止まった。
そのギョロ目が、ふとローテーブルの上に注がれる。そこには、佐藤が俺の入院中にパグたちのために買い込んでおいてくれたのだろう、まだ青みの残る立派なバナナが一房、どっしりと置かれていた。
「フゥ……フゥー……ッ」
大福の鼻息が急に荒くなる。お前、さっきまで俺の帰還をあんなに喜んでスピンしていたくせに、視線は完全にバナナにロックオンされているじゃないか。アゴをテーブルの端に乗せ、短い尻尾をピコピコと振る姿は、完全に「泥棒の作戦」を練っている怪獣のそれだった。
そんな大福のフゴフゴという落ち着きのない音をBGMにしながら、俺はポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を開き、門脇さんとのLINEのトーク画面を表示する。
あの日――四月十二日の日曜日。極度の過労で視界が暗転する直前、俺は彼女をデートに誘おうとして、送信ボタンを押せないまま倒れてしまった。佐藤の話では、彼女は俺が倒れたことを誰よりも心配して、病室にまで駆けつけてくれたのだ。
退院した今、これ以上不甲斐ない姿のままでいるわけにはいかない。
大福がじりじりとバナナに向かって匍匐前進を開始する横で、俺は深く息を吸い、液晶画面に文字を打ち込んだ。
『門脇さん、先日はお見舞いに来ていただき、本当にありがとうございました。おかげさまで体調は万全です。もし良ければ、今度の日曜日、大福たちの散歩がてら、一緒にどこかへ出かけませんか?』
一文字ずつ、今度は倒れないことを確認しながら慎重にタイピングする。
一度は暗転の闇に消えかけた、俺の個人的なラブコメのインフラ。一週間のタイムラグを経て、その送信ボタンの上に、俺の親指が静かに添えられた。
「大福、静かにしろ。今、俺の人生の重大な進捗がかかってるんだ」
バナナの皮に歯を立てようとしていた大福の首根っこを左手で優しくホールドしながら、右手の親指に、ぐっと力を込めた。
トントン、と、画面をタップする小さな音が静かな部屋に響く。
メッセージの横に、送信完了のマークが灯った。




