第37話
二〇二六年四月十八日、土曜日。
一週間の入院生活を経て、医者の先生から「数値も完全に正常です。退院していいですよ」と太鼓判を押され、俺はついにあの味の薄い病院食から解放された。
退院したその足で、俺は一先ず会社へと向かった。週明けの業務に支障が出ないよう、休んだ分の謝罪と、何より俺の不在をカバーしてくれた仲間たちに顔を見せるためだ。
「皆さん、この度はご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした!」
オフィスのフロアで頭を下げると、課長をはじめ、周囲の社員たちは一斉に顔を上げてワハハと笑った。
「気にするな浅野! お前が倒れた時、佐藤から連絡が来てこっちも肝を冷やしたんだぞ。ほら、まずはしっかり体力を戻せ」
いつもは数字に厳しい課長が、優しく俺の背中を叩いてくれる。そのスマホの待ち受け画面が、例の保護犬サイトの『アプリコットパグ』に変わっているのを見逃さなかった。面会は上手くいったらしい。
俺は、一番の功労者である佐藤を誘って、一週間ぶりの職場の喫煙所へと向かった。
敷地内禁煙の呪縛から解き放たれ、愛用のタバコに火をつける。紫煙が肺に染み渡る感覚とともに、ようやくシャバに戻ってきた実感が湧いた。
「佐藤。……俺が入院してる間、大福とアズサの面倒、ずっと見ててくれたんだってな。本当に、なんて言っていいか」
俺が缶コーヒーを差し出すと、佐藤は加熱式タバコを燻らせながら、いつもの軽い調子で笑った。
「水臭いこと言うなよ。お前の部屋の鍵を大家さんから預かってさ、うちのミニチュアダックスのコタロウも連れ込んで、数日間『3頭飼い』の合宿状態だったんだよ。お前のパグ共、最初は寂しそうにしてたけど、コタロウと飯の奪い合いをしてるうちに完全にマブダチになってたわ。今日の夜、お前のアパートに連れて行くから、感動の再会をしてきな」
その日の夜。
一週間ぶりに帰ってきた我が家のワンルーム。ドアを開け、鍵を置いたその瞬間だった。
「――フゴッ!? フゴフゴフゴーーーッ!!」
リビングの奥から、地響きのような鼻息とともに、二つの肉塊が猛スピードで突撃してきた。
大福とアズサだ。佐藤に連れられたコタロウが後ろで尻尾を振る中、我が家のパグ姉弟は、俺の姿を見るなり嬉しすぎて白目を剥きそうな勢いでジャンプしてきた。
「おっと……! 悪かった、寂しかったな!」
床に膝をついた俺の顔面に、二匹の潰れたマズルが容赦なくめり込む。一週間分の寂しさと愛を爆発させた大福が、狂ったように「ぬちゃぬちゃ」と音を立てて俺の頬や鼻の頭を舐め上げ、アズサは俺の顎の下に頭を激しく擦り付けて「もうどこにも行くな」と激しく抗議の遠吠えをあげている。
抱き上げた大福の体は、佐藤に美味いものでも貰っていたのか、入院前よりさらにズッシリと重く、そして最高に温かかった。
「おい浅野、顔中パグのヨダレまみれだぞ」
後ろでコタロウを抱いた佐藤が、呆れたように、だけど嬉しそうに笑っている。
「いいんだよ、これが我が家の最高のインフラだからな」
俺はヨダレを拭うことも忘れて、二匹のシワだらけの顔を力一杯抱きしめた。
九死に一生を得た四月の夜。頼れる親友と、さらに絆を深めた三匹の怪獣たち。
俺の日常のネジは今、これ以上ないほど完璧な形で、再び力強く回り始めるのだった。




