第33話
二〇二六年四月六日、月曜日、午後。
ついに運命の診察室へと連行された我が家の怪獣たちは、期待を裏切らないリアクションを見せてくれた。
ベテランの獣医の先生が、お尻のあたりにチクリと手際よく注射針を刺した、その瞬間だった。
「――フゴッ!?」
大福は声にならない声を上げると、恐怖と衝撃のあまり、診察台の上でまるで磁針の狂ったコンパスのようにぐるぐると高速で回り始めたのだ。止めようとする俺の手をすり抜け、短い足をシャカシャカと動かしてトップスピードで旋回するパグ。続いてアズサも、大福の回転の気流に巻き込まれるようにして、逆方向にぐるぐると回り出す。
「お、二人とも元気だね。ナイス・スピン!」
先生と看護師さんが慣れた手つきで二匹を優しくホールドしてくれなければ、我が家のパグ姉弟は診察台の上で永久機関になるところだった。
すべての儀式が終わり、命からがらといった風体でアパートの駐車場まで帰ってきた時のことだ。
車のエンジンを切り、キャリーケースの扉を開けると、そこにはさっきまでの「絶望の置物」の姿はどこにもなかった。二匹は同時に身を乗り出し、これでもかとギョロ目を輝かせながら、「おい、俺たちは耐えたぞ」「頑張った分の報酬を早くくれ」という猛烈な催促の視線を俺に突きつけてきたのだ。パグの現金さのインフラは、どうやら世界一のスピードで復旧するらしい。
「分かった、分かったから。ちょっと待ってろ」
俺は車内のエアコンを『強』に設定し、防犯のロックをしっかり確認してから、駐車場の目の前にあるスーパーへとダッシュした。車内で大人しく待つ二匹へのご褒美として、俺が果物コーナーで買い求めたのは、一房の「バナナ」だった。
我が家に帰宅し、リビングの床に腰を下ろす。
俺がバナナの皮を剥き始めると、その特有の甘い香りを察知した大福とアズサの尻尾が、プロペラ顔負けの速度で回り始めた。
「ほら、お疲れさん」
小さくちぎって差し出すと、大福は待ってましたとばかりに、バナナを丸ごと口の奥へと吸引した。潰れたマズルをこれでもかとすぼめ、「チョパ、チョパ、ぬちゃ、ぬちゃ」と、リビングに妙な吸着音が響き渡る。喉を鳴らしながら、白目を剥くほどの恍惚の表情で味わっている。
隣では、臆病なアズサも小さな前足で俺の膝をがっしりとホールドし、夢中になってバナナの甘みをペロペロと舐めとっていた。
注射の恐怖なんて、バナナの糖分の前には一瞬で消し飛ぶらしい。
足元では、ちぎれんばかりに短い尻尾を振りながら、口の周りをバナナまみれにしている二匹のパグ。
「お前ら、本当に分かりやすい怪獣だな……」
俺は残ったバナナを自分で一口齧りながら、そのあまりにも幸せそうなカオスな光景に、思わずお腹を抱えて吹き出してしまった。
ワクチン休暇の月曜日。
少しだけ騒がしくて、だけどバナナの甘い香りに満ちた我が家のリビングで、俺たちの新年度のインフラは、また一つ温かい思い出を積み上げていくのだった。




