第31話
二〇二六年四月三日、金曜日。
花の金曜日。宇品から少し離れた繁華街の居酒屋に、俺は「人数合わせ」という名目の、しかし本音では「門脇さんに会うため」の合コンへ赴いていた。
3対3の構成。相手は他部署の女性陣だったが、席に着くやいなや、その場は奇妙な空気に包まれた。乾杯の挨拶もそこそこに、全員が口々に「で、どんなワンちゃん飼ってるんですか?」と問いかけ合い、スマホのフォルダには我が子の写真がずらりと並ぶ。
普通の合コンなら「趣味は?」から始まる会話が、ここでは「犬の悩み」から始まるのだ。
「うちのチワワ、全然ごはんを食べなくて……」と憂う女性の横で、佐藤がコタロウのノミ予防の熱弁を振るい、場はもはや「居酒屋で行われるミニ・ドッグラン」の様相を呈していた。
俺の目の前には、私服姿の門脇さんがいた。今日の彼女は、オフィスの堅い印象とは違い、柔らかい春色のカーディガンを纏っている。彼女がちまきの写真を見せながら「大福くん、最近の食欲はどうですか?」と話しかけてくれるたびに、俺の心拍数は大合唱の動画の再生数以上に跳ね上がっていた。
「あ、大福ですか? ビーグルに早食いで負けてから、少しスランプ気味で……」
「ふふ、ライバルがいると成長しますよね。ちまきも、大福くんが来てから少しだけ勇敢になった気がします」
合コンらしい恋の駆け引きなんて、ここにはない。あるのは犬飼い同士の「同志」としての信頼と、少しの照れくささだけ。それでも、俺にとってはこれがどんな華やかなパーティーよりも心地よかった。
二時間があっという間に過ぎ、お開きの時間。
店を出る際、俺は勇気を出して門脇さんにスマホを差し出した。
「あ、あの。もし良かったら、今度大福たちが最近覚えた『芸』の動画、送ってもいいですか?」
門脇さんは少しだけ驚いた表情を見せた後、パッと花が咲くような笑顔で頷いてくれた。
「もちろんです。楽しみに待ってますね」
交換された連絡先。画面に浮かぶ『門脇さん』の文字。
駅へ向かう帰り道、春の夜風は心地よく、俺の足取りは、まるでリードを解かれたパグのように軽かった。
「あー、今日、ビール一杯しか飲んでないのに、なんでこんなに足がふらつくんだろうな……」
佐藤にニヤニヤとからかわれながら、俺はポケットの中のスマホをぎゅっと握りしめた。家に帰れば大福とアズサが待っている。そして、明日からは門脇さんと「犬の写真」という名目で、繋がることができる。
四月の夜は、まだ少しだけ肌寒かったけれど、俺の心の中には、最高に温かい春が到来していた。




