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パグ日記〜俺とパグの同居日記〜  作者: 水前寺鯉太郎
第2部

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23/41

第23話

 二〇二六年三月十三日、金曜日。


 明日は世間一般に言う『ホワイトデー』だ。

 先月のバレンタインデーに、経理部の門脇さんからあの極上のビターチョコレートを貰って以来、俺の脳内ハードディスクの一部は、常に「そのお返しを何にするか」というタスクで占有されていた。

 会社帰りの足で宇品のお洒落な洋菓子店へと滑り込み、門脇さんの雰囲気に合いそうな、甘さ控えめの少し上質なクッキーアソートを無事に調達することができた。これで大人の男としての最低限のインフラは整ったはずだ。

 その帰り道、立ち寄った輸入食品店で、ふと目が合って購入したのが、自分用の『無添加・ノンフライ・砂糖不使用』のバナナチップスだった。

 先日の「お風呂上がりの大戦争」以来、我が家ではその果実の名自体が禁句トップシークレットになっているが、これなら原材料が純粋な素材だけなので、もしもの時にも犬の体に害はない。久しぶりに、あのサクサクとした優しい甘みを自分自身が味わいたくなったのだ。

 アパートに帰り、クッキーの袋を大切にクローゼットへ仕舞い込む。

 リビングのローテーブルに腰を下ろし、小皿に黄色い楕円形をカラカラと小気味よい音を立てて広げた。

 その音を聞きつけた瞬間、ケージの中で寝ていたはずのフォーン色と黒の怪獣たちが、バチッと目を開けて起き上がった。二匹のギョロ目が、テーブルの上の獲物を捉えてギラリと光る。

「駄目だぞ、お前たち。これは俺の夜食だ。さっき晩飯食べたばっかりだろ」

 俺は二匹にそう言い残し、ちょうどタイミング悪く襲ってきた便意に促されるまま、席を立ってトイレへと向かった。器をテーブルの中央に少し押しやっておいたから、短い前足の彼らには届かないはず――その時の俺は、パグという生き物の「食に対する底知れぬ知能」を完全に甘く見ていた。

 トイレの個室に入って、しばらく経った頃だった。

 リビングの方から、カサ……カララン、という、硬いプラスチックの小皿がフローリングを擦るような、妙に静かで不穏な音が微かに聞こえてきた。

「……ん?」

 嫌な予感が頭をよぎる。大福のいつもの「フゴォ!」というけたたましい咆哮ではない。むしろ、気配を完全に消したプロの犯罪組織のような、静寂を伴った音だった。

 大急ぎで用を足し、手を洗ってリビングのドアを勢いよく開けた。

「――お前らっ!!」

 怒号と共に飛び込んだ俺の目に飛び込んできたのは、映画のワンシーンのように完璧な役割分担を果たした、二匹の「現行犯」の姿だった。

 ローテーブルの真下で、二匹は完全にフリーズしていた。

 大福はソファのクッションに短い後足をかけ、限界まで身体を伸ばした状態で、右の前足を小皿のフチに「カチッ」と引っ掛けたまま静止している。外見に似合わぬ器用さで、手前へと引き寄せていた真っ最中だったのだ。

 そしてその真下では、黒いアズサが「サクサク、サクサク」と、信じられないほどリズミカルに、落ちてくるチップスを驚異的な高速スピードで咀嚼していた。

 完璧な連携プレー。

 俺が席を外しているわずか数分の間に、二匹のパグ姉弟は『標的を奪取する』という唯一無二の目的のために、人類の進化の歴史を飛び越えるほどの知性を発揮していた。

 俺と目が合った瞬間、二匹は「ヤバい!」とばかりに、最後のひとかけらを交互に口に押し込み、蜘蛛の子を散らすようにして部屋の隅へと脱走した。

 テーブルの上に取り残された小皿は、すでにほとんど空っぽだった。わずかに残った黄色い粉の横で、俺のお楽しみは綺麗に消え去っていた。

 部屋の隅のカーテンの陰から、フォーンと黒の二つの顔が、ニュッと覗いている。

 大福の潰れた口の周りには、証拠隠滅しきれなかったチップスの粉がいっぱいに付着しており、アズサは「私はただ落ちてきたものを食べただけです」と言いたげな、すました顔で額のシワを寄せている。

「ハァ……。砂糖不使用のヘルシーなやつにしといて、本当に良かったよ……」

 俺は空になった器を手に、ドサリとソファに崩れ落ちた。

 自分へのご褒美のはずが、またしても怪獣たちにすべてを巻き上げられてしまった。だけど、口の周りを粉だらけにしながら、満足そうに「プフゥ」と甘い息を吐き出している二匹を見ていると、怒る気力すらどこかへ吹き飛んでしまう。

 何はともあれ、クローゼットのクッキーが無事で本当によかった。あっちまでこの泥棒たちに見つかっていたら、俺のホワイトデーのインフラは完全に崩壊するところだった。

 明日、門脇さんへのお返しは無事に渡せるだろうか。まさか、俺の口から甘いバナナのフレーバーが漂うなんてヘマはしないように気をつけないといけない。

我が家の泥棒姉弟の驚異的なチームワークに呆れ果てながらも、俺は散らかったテーブルを拭き、少しだけ可笑しく、そして何より愛おしい、三月の金曜日の夜を締めくくるのだった。

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