合同戦
合同演習の翌日、俺の評判は最悪な方向へ広がっていた。
聖女に押し倒された司令官。
聖女に背負われて帰った司令官。
聖女四人に囲まれて介護されていた司令官。
どれも事実なので、否定しづらいのが腹立たしい。
王城の廊下を歩けば、軍務官が視線を逸らす。若い士官たちは咳払いをして笑いを誤魔化す。貴族たちは遠巻きに俺を見て、何かを囁いている。
俺は肩を落としながら、魔導盤を抱えて合同指揮室へ向かっていた。
「司令官、背筋を伸ばしてください」
隣を歩くレイナが淡々と言う。
「昨日、君に押し倒されたせいで腰が痛い」
「申し訳ありません。ですが、司令官が倒れたのが原因です」
「正論で刺すな」
「では、次からはもっと優しく押し倒します」
「次を作るな」
後ろでリリスが吹き出した。
「あはっ、司令官、また顔赤い」
「赤くない」
「赤いよ。昨日からずっと、レイナ隊長を見るたび赤い」
「見てない」
「見てる」
ユアが俺の袖をつまんだ。
「司令官。腰が痛むのでしたら、あとでわたしが癒やします。手を当てる必要がありますが」
「遠隔治癒で頼む」
「直接のほうが効果的です」
「精神的な負担が大きい」
ノエルが片眼鏡を押し上げ、楽しげに微笑む。
「司令官は、聖女に触れられることへの耐性が低いのですね。興味深いです」
「分析しなくていい」
「では、実験にしましょう」
「もっと駄目だ」
俺の周りだけ、戦場前とは思えないほど緊張感がない。
だが、合同指揮室の扉を開けた瞬間、その空気は一変した。
室内には昨日の司令官たちが揃っていた。カイルを含む同期三人。その背後には、それぞれの聖女部隊。皆、表情が硬い。
中央の魔導盤には、王都東部から北方山脈までの広域地図が映し出されている。
赤い点が、五つ。
それぞれが、小規模な魔族反応を示していた。
「来たか、司令官」
カイルがこちらを見る。
昨日の軽薄な笑みはない。代わりに、司令官らしい緊張を帯びた目をしていた。
「夜明け前、北方の監視塔が沈黙した。東の森、旧礼拝砦、そして今度は北方山脈だ。点が繋がり始めている」
俺は魔導盤を覗き込んだ。
赤い点の配置に、嫌な規則性がある。
敵は王都を直接狙っていない。周辺の砦や監視塔を潰し、聖女の遺体や聖痕を狙い、通信網を削っている。首を絞めるように、外側から戦場を暗くしている。
「包囲の準備か」
俺が呟くと、カイルが頷いた。
「同意見だ。だからこそ、合同任務になる。僕の部隊と君の部隊で、北方監視塔の調査へ向かう」
「二部隊だけか?」
「他の司令官たちは、残りの反応地点へ向かう。王都に予備戦力はない」
予備がない。
その言葉が、胸の奥に重く沈んだ。
戦争が近づいている。
魔王軍はまだ本格侵攻していない。だが、こちらの防衛線を試し、弱い場所を見つけ、聖女という戦力を奪おうとしている。
昨日までのラブコメみたいな騒ぎが、急に遠く感じた。
「司令官」
レイナが静かに呼ぶ。
俺は彼女たちを見た。
レイナ、リリス、ユア、ノエル。
そして、カイルの背後にいる三人の聖女。
部隊は違えど、全員が聖痕を宿した少女たちだ。戦うために選ばれ、祈りを武器に変えられた存在。強い。けれど、壊れないわけではない。
「出撃前に確認する」
俺は魔導盤へ視線を戻した。
「敵は聖女そのものを狙っている。死体も、生存者も、聖痕も利用する。だから単独行動は禁止。撃破より回収、追撃より生存を優先する」
カイルが片眉を上げた。
「慎重だな」
「臆病なんだ」
「否定しないのか」
「臆病だから、死ぬ可能性を先に見る」
俺は盤面の赤い点をなぞった。
「北方監視塔は山道が狭い。魔導銃の射線は通るが、崩落させられたら退路が死ぬ。君の部隊は正面から調査。俺たちは斜面側を取る。ノエルの狙撃で上を見張り、リリスが横穴を潰す。レイナは俺とユアの護衛。ユアは負傷者の回収準備」
「僕の部隊を囮にする気か?」
「違う。君の部隊は正面対応が得意だ。うちは奇襲を潰すのが得意。それだけだ」
カイルは少し黙ったあと、苦笑した。
「昨日の演習を見ていなければ、反発していたかもしれない」
「見ていたせいで、俺が押し倒されたことまで広がってるんだが」
「それは僕のせいじゃない」
リリスが小さく手を挙げた。
「あ、それたぶんあたし」
「お前か!」
「だって兵舎で聞かれたから。司令官が可愛かったって」
「報告するな!」
重かった空気が少しだけ緩んだ。
カイルの聖女たちまで、口元を押さえている。俺は恥ずかしさで死にそうになったが、こういう緩みも必要なのだろう。戦場前に全員が張り詰めすぎていれば、最初の異常に気づけない。
ただし、俺の尊厳は確実に削られている。
出撃は昼過ぎだった。
北方監視塔へ向かう山道は、灰色の雪に覆われていた。雪と言っても、ただの雪ではない。魔力を吸った灰が凍り、空から降っている。触れると指先が痺れるため、聖女たちは薄い結界をまとって進んでいた。
俺は厚い外套を着込み、杖代わりの木剣をついて歩く。
当然のように、四人が周りを囲んでいた。
「司令官、足元」
レイナが俺の肘を支える。
「大丈夫だ」
「今、滑りかけました」
「滑ってない。世界が傾いた」
「それを滑ったと言います」
リリスが前方を警戒しながら笑う。
「司令官、もうおんぶしてもらえば?」
「しない」
「レイナ隊長の背中、気に入ってたくせに」
「気に入ってない」
ユアが心配そうに覗き込む。
「司令官、無理は禁物です。疲れたら、わたしが抱き上げます」
「抱き上げられる選択肢しかないのか」
ノエルが後方から淡々と告げる。
「ちなみに、わたしは狙撃銃を持っているので片腕しか空いていません。片腕で抱く形になります」
「具体的に想像させるな」
前を歩いていたカイルが振り返り、呆れたように言った。
「君たち、本当にその調子で戦場に行くのか」
「この調子で勝っている」
俺が答えると、カイルは何とも言えない顔をした。
だが、その直後だった。
ノエルが足を止めた。
「上です」
声と同時に、彼女の魔導狙撃銃が跳ね上がる。
雪の崖上。白い灰に紛れて、黒い影がいた。
人型の魔族。背中に、聖女のものと思われる白い翼の残骸を縫いつけている。手には、黒い魔導銃。銃身に祈祷文字が逆さまに刻まれていた。
「伏せろ!」
俺が叫ぶより早く、レイナが俺を抱き込んだ。
次の瞬間、黒い弾丸が頭上を裂いた。
着弾した岩が、白い花のように腐食する。聖属性を反転させた呪弾だ。まともに受ければ、治癒魔法が逆流する。
「リリス、右斜面!」
「見えてる!」
リリスの双銃が連射される。青白い魔導弾が雪を裂き、崖上の影を追い立てた。
「ノエル、狙えるか」
「風が悪いです。ですが、司令官が命じるなら」
「撃つな。敵は一体じゃない」
魔導盤に赤い光点が増える。
崖上に三つ。後方に二つ。さらに、足元。
まずい。
「カイル! 隊を止めろ! 雪の下に術式がある!」
カイルが即座に手を上げた。
「停止! 障壁展開!」
彼の聖女たちが一斉に魔法障壁を張る。直後、山道の雪が黒く光り、地面から槍のような呪詛が突き上がった。
間一髪だった。
カイルがこちらを見る。
「助かった!」
「礼は後だ! 敵は聖女を殺す気じゃない、分断する気だ!」
言った瞬間、俺の足元が崩れた。
崖下へ滑る。
レイナの手が俺を掴む。だが、灰雪に足を取られ、彼女まで体勢を崩した。
「司令官!」
リリスの叫びが聞こえる。
俺は落ちると思った。
だが、次の瞬間、レイナが俺を庇うように抱え込み、背中から斜面へ転がった。雪と石が体を打つ。俺は息が詰まり、視界が回った。
数秒後、俺たちは細い岩棚で止まった。
上の道からはかなり離れている。
通信石に雑音。魔力妨害だ。
「レイナ……無事か」
「はい。司令官は?」
「たぶん、生きてる」
俺は起き上がろうとして、失敗した。
レイナが俺の上に覆いかぶさる形になっていた。彼女の腕が俺の肩を押さえ、足が俺の脚を固定している。守るための姿勢なのは分かる。
分かるが、動けない。
「レイナ、どいてくれ」
「敵影確認中です。動かないでください」
「いや、重いというか、近いというか」
レイナが俺を見下ろした。
冷たいはずの瞳が、少しだけ熱を帯びている。
「司令官。また私に力負けしています」
「今それを言う場面か?」
「確認は重要です」
「重要じゃない」
彼女はほんのわずか、唇を緩めた。
「男なのに、私の腕を振りほどけないのですね」
顔が熱くなる。
戦場のど真ん中で、何を言っているんだこの騎士聖女は。
「俺が非力なのは知ってるだろ」
「知っています。けれど、こうして確かめると……胸が苦しくなります」
「心配で?」
「それもあります」
「他は?」
「司令官を、私の腕の中に閉じ込められると思ってしまう自分がいます」
曇った声だった。
甘くて、怖い。
「そんな自分を、私は恥じるべきでしょうか」
俺は息を整えた。
上ではまだ戦闘音が響いている。リリスの銃声。ノエルの狙撃。ユアの聖光。カイルの号令。俺たちは分断された。早く戻らなければならない。
それでも、今のレイナを雑に扱ってはいけないと思った。
「恥じなくていい」
レイナの目が揺れる。
「でも、閉じ込めるな。俺は逃げたいわけじゃない。戻りたいんだ。お前たちのところへ」
「……私たちのところへ」
「ああ。だから手を貸してくれ。俺一人じゃ登れない」
レイナはしばらく俺を見つめた。
やがて、そっと体を起こし、俺の手を取る。
「了解しました、司令官」
その声は、いつもの冷静さを取り戻していた。
だが、指は離れなかった。
俺たちは岩棚を伝い、上へ戻る道を探した。通信妨害の範囲を抜ければ、指揮に復帰できる。だが敵もそれを分かっているのだろう。崖の上から、黒い魔導弾が断続的に撃ち込まれてくる。
レイナが俺を庇いながら進む。
俺は魔導盤を開いた。雑音がひどい。赤と青の光点が滲んでいる。それでも、敵の配置は読めた。
「レイナ、次の弾を受けるな。右へ跳んで、岩壁を斬れ」
「岩壁を?」
「崩せば煙幕になる。俺たちはその陰を抜ける」
「承知しました」
レイナが動く。
黒弾を躱し、聖銀剣で岩壁を裂く。崩れた石と灰雪が舞い、視界が白く染まった。
その瞬間、通信石に音が戻る。
『司令官!? 聞こえる!?』
リリスの声だ。
「聞こえる。生きてる」
『よかった……! もう、もうほんとに、心臓止まるかと思った!』
泣きそうな声だった。
次にユアの声が重なる。
『司令官、お怪我は? 血は? 痛むところは? 誰に触れられていますか?』
「最後の質問は何だ」
『重要です』
ノエルの声は落ち着いていたが、少しだけ低かった。
『司令官、現在位置を。敵狙撃手を排除します。あと、レイナ様だけ司令官と二人きりなのは不公平です』
「任務中だぞ」
『任務中でも感情はあります』
上ではカイルが号令を飛ばしている。
『こちらは持ちこたえている! 君の指示を待つ!』
俺は魔導盤を見た。
敵は崖上に集まり、俺とレイナを狙っている。つまり、上の本隊への圧は少し薄い。なら、ここで逆に挟める。
「全員、聞け。敵は俺を餌にして分断したつもりだ。なら、その餌に食いつかせる」
『また自分を餌にする気!?』
リリスが叫ぶ。
「前に出るわけじゃない。レイナが守る」
レイナが俺の手を握る力を強めた。
「命に代えても」
「代えるな。守りながら生きろ」
「……了解」
俺は指示を飛ばした。
「リリス、敵の左側を撃って逃げ道を右へ寄せろ。ノエル、右へ寄った敵の銃身だけを撃ち抜け。ユア、カイル隊の障壁に聖光を重ねて前進路を作る。カイル、正面突破じゃない。三歩進んで二歩下がれ。敵を苛立たせろ」
『了解!』
返事が重なる。
すぐに戦場が動いた。
リリスの弾幕が崖上を削り、ノエルの狙撃が黒い魔導銃を次々に破壊する。ユアの聖光が山道を白く照らし、カイル隊がじわじわと敵を押し込む。
そして、俺とレイナは下から登る。
敵にとっては、逃げ場が消えていく形だ。
最後の一体が翼の残骸を広げ、空へ逃げようとした。
「ノエル!」
『射線、通りました』
一発。
静かな祈りのような銃声が、灰雪を裂いた。
魔族は胸を撃ち抜かれ、黒い羽を撒き散らしながら落ちていった。
戦闘終了。
そう判断した瞬間、俺は膝をついた。
まただ。体力が尽きた。情けない。だが今回は倒れる前にレイナが支えてくれた。
遅れて、リリス、ユア、ノエルが駆け寄ってくる。
「司令官!」
リリスが勢いよく抱きついてきた。
俺は受け止められない。
当然のように押し倒された。
「ぐえっ」
「あ、ごめん! でも生きてる! 司令官、生きてる!」
「生きてるが、潰れる」
リリスは俺の上に乗ったまま、涙目で笑った。
「ほんとに非力だね、司令官。男なのに、あたしにも力負けしちゃうんだ」
「今すぐどいてくれれば、その事実は忘れる」
「やだ。ちょっとだけ覚えてたい」
ユアがその横に膝をつき、俺の頬に手を添える。
「司令官が弱くてよかったと思う自分がいます。こうして、わたしたちが触れていないと壊れてしまいそうで」
「壊れ物扱いが過ぎる」
「壊れないでくださいね」
ノエルが見下ろして、薄く笑った。
「これはまた貴重な資料です。司令官はリリス様にも抵抗不能、と」
「記録を増やすな」
レイナがリリスの襟首を掴んだ。
「交代です」
「交代って何!?」
「私の司令官です」
「みんなの司令官でしょ!」
ユアが微笑む。
「では、順番を決めましょう」
「決めなくていい!」
カイルが少し離れた場所で、額を押さえていた。
「……君の部隊、戦闘後のほうが制御難しくないか?」
「分かってくれたか」
「ああ。心から同情する」
俺は灰雪の上で、四人に囲まれながら深く息を吐いた。
戦場は暗い。
敵は聖女を狙い、祈りを呪いに変え、俺たちを分断しようとしてくる。
それでも、彼女たちは俺を見ている。
名前も知らないくせに、俺を司令官と呼び、守り、縛り、笑い、時々押し倒してくる。
重い。
甘い。
危ない。
けれど、この重さがあるから、俺はまだ戦場に戻れる。
「全員、帰還準備」
俺はどうにか声を出した。
「監視塔を調べる。まだ終わってない」
四人は一瞬で表情を変えた。
甘い空気が消え、聖女の顔になる。
「了解、司令官」
その切り替えを見るたびに思う。
彼女たちは兵器ではない。祈りでも、道具でもない。
俺よりずっと強くて、俺よりずっと危うい、ただの女の子たちだ。
だから俺は、彼女たちを勝たせるだけじゃ足りない。
ちゃんと帰らせなければならない。
この重すぎる愛ごと、誰にも奪わせないために。
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