司令官達
旧礼拝砦から帰還した翌日、俺たちは王城地下の合同指揮室に呼び出された。
そこには、俺以外の司令官たちがいた。
黒い軍服を着た若い男が三人。年齢は俺と近い。士官学校で顔を見たことがある者もいる。彼らの背後には、それぞれ聖女部隊が控えていた。剣を帯びた聖女、魔導杖を持つ聖女、重い魔導銃を肩に担いだ聖女。祈るだけではない。撃ち、斬り、焼き、守るために造られたような女たち。
この国には、俺以外にも司令官がいる。
聖痕を宿した聖女たちは強すぎる。だからこそ、単独で戦場に放つことは許されない。彼女たちには指揮官がつき、部隊として運用される。司令官とは、聖女という兵器に人の形を保たせるための楔でもあった。
そのはずなのに、俺の部隊だけは少しおかしい。
「へえ。君が噂の司令官か」
同期の一人、金髪の青年が笑った。
名前はカイル。士官学校では常に上位。剣も魔法も標準以上で、指揮演習でも悪くない成績だった。俺と違って、ちゃんと司令官らしい司令官だ。
「東の森、旧礼拝砦。続けて手柄を立てたそうだな。病弱なわりに、運がいい」
言葉は柔らかいが、棘がある。
俺は反論しなかった。ここで感情的になれば、隣に立つリリスが先に噛みつく。
案の定、リリスの指が銃帯に伸びていた。
「司令官。あいつ、撃つ?」
「撃たない」
「膝なら?」
「駄目だ」
カイルの背後にいた聖女たちが、ぎょっとした顔をする。
レイナは無言で俺の半歩前に立ち、ユアは微笑みながら俺の袖を掴み、ノエルは片眼鏡の奥でカイルを観察していた。四人の圧が強すぎて、俺のほうが申し訳なくなる。
「随分と慕われているんだな」
カイルが肩をすくめる。
「だが、聖女に甘やかされるだけでは戦場は勝てない。今日の合同演習で、実力を見せてもらおう」
合同演習。
複数の司令官が、それぞれの聖女部隊を率いて模擬戦を行う。目的は連携確認だが、実際には評価試験に近い。ここで失態を見せれば、俺の指揮権にまた疑義がつく。
俺は魔導盤を抱え直した。
「分かった。よろしく頼む」
「ずいぶん素直だな」
「喧嘩をするために来たわけじゃない」
「へえ」
カイルは笑った。
その笑みを見て、レイナの視線がさらに冷たくなる。
演習場は王城地下の広大な空洞だった。魔法で作られた廃墟、崩れた塔、遮蔽物、疑似魔獣の幻影。魔導銃の訓練弾が飛び交い、聖女たちの魔法が青白い火花を散らす。
俺たちの任務は、中央に設置された聖核を防衛しつつ、敵役の疑似魔獣を殲滅すること。
カイル隊は正面突破を選んだ。悪くない。彼の聖女たちは統率が取れていて、魔導銃と魔法の切り替えも早い。指揮能力も十分ある。少なくとも、俺より声は堂々としている。
だが、盤面は少しずつ歪んでいた。
「司令官、指示を」
レイナが言う。
俺は魔導盤の赤い光点を見つめた。
「まだ動くな。リリス、右奥の壁を撃て。敵じゃなくて壁だ」
「了解。司令官のそういう陰湿なとこ、好き」
「褒め言葉として受け取れない」
リリスの魔導銃が火を噴いた。術式弾が壁を砕き、崩れた瓦礫が疑似魔獣の逃げ道を狭める。
「ユア、聖核の周囲に薄い結界。厚く張るな。敵に防衛位置を悟られる」
「はい。司令官のために、薄く、優しく、逃がさないように包みます」
「最後の表現は忘れてくれ」
「忘れません」
ノエルが小さく笑った。
「司令官、左上に高位反応。狙撃許可を」
「まだだ。カイル隊が射線に入る。三歩下がって、塔の影から撃て」
「わたしの呼吸まで読まれると、少し困りますね。好きになってしまいます」
「作戦中だぞ」
「作戦中だからこそです」
頭が痛い。
だが、四人は完璧に動いた。
レイナが前線を支え、リリスが銃撃で地形を変え、ユアが聖核を隠し、ノエルが指揮個体だけを撃ち抜く。俺はただ、彼女たちが一番強く、一番壊れにくい位置へ置いていくだけ。
演習は、こちらの勝利で終わった。
だが、終了直後、問題が起きた。
通信を切った瞬間、俺の足元がふらついた。長時間の指揮で、体力が限界だったのだ。情けないことに、踏ん張る前に膝が折れた。
「司令官!」
一番近くにいたレイナが受け止める――はずだった。
だが、勢いが強すぎた。
俺はそのまま押されるように床へ倒れ、レイナに組み敷かれる形になった。白銀の鎧の重みはなく、訓練用の軽装なのに、俺はまったく動けない。
近い。
レイナの銀灰色の髪が頬に触れる。冷たい美貌が、すぐ目の前にある。
「……レイナ、重い」
「申し訳ありません。ですが、司令官が倒れたので」
「それは分かるが、起き上がれない」
レイナは目を瞬かせた。
そして、ほんの少しだけ頬を赤くした。
「司令官。男なのに、私に力負けしてしまうのですね」
演習場が静まり返った。
俺の顔が一気に熱くなる。
「そ、それは言うな」
「事実確認です」
「確認するな」
リリスが腹を抱えて笑い出した。
「あはっ、司令官かわいい! ほんとに動けないの?」
「笑うな。助けろ」
「やだ。ちょっと見てたい」
ユアが頬に手を当て、うっとりと目を細める。
「司令官はやはり、わたしたちが守らなければなりませんね。こんなにも儚くて、押せば倒れてしまうなんて」
「儚い扱いするな」
ノエルが片眼鏡を押さえながら、興味深そうに覗き込む。
「これは貴重な資料です。司令官は聖女の腕力に抵抗不能、と」
「記録するな!」
周囲の司令官たちと聖女たちが見ている。
カイルは口元を押さえていた。笑いを堪えているのが分かる。ものすごく腹立たしいが、今の俺はレイナに押さえられていて反撃どころか起き上がることもできない。
「司令官」
レイナが小さく囁いた。
その声だけ、周囲に聞こえないほど甘かった。
「お名前を知らないのに、こんなに近くにいていいのでしょうか」
息が止まった。
彼女たちは俺の名前を知らない。
だから、心の中でずっと飢えている。役職ではなく、俺自身を呼びたい。でも知れば戻れない。そんな危うい場所で踏みとどまっている。
リリスも笑うのをやめた。
「……ねえ、司令官。いつか教えてよ。あたしたちだけに」
ユアが俺の手を包む。
「祈りの中で、本当の名を呼べたら、どれほど満たされるのでしょう」
ノエルが柔らかく微笑む。
「でも、知らない今も悪くありません。空白があるから、想像で何度も恋ができます」
重い。
甘い。
怖い。
そして、周囲の視線が痛い。
「まず起こしてくれ」
俺が絞り出すと、レイナはようやく体を起こした。だが、手は離さない。リリスが反対側の腕を取り、ユアが背を支え、ノエルが外套を直す。
完全に介護だった。
カイルが近づいてくる。
「なるほど。君の部隊は、ずいぶん特殊だな」
「否定はしない」
「だが、強い。正直、驚いた」
その声から、先ほどまでの軽薄さは少し薄れていた。
「僕たちも司令官だ。君ほどではないが、それなりに戦えるつもりだった。だが、聖女の心まで盤面に置く指揮は、僕にはできない」
「俺だって、できているか怪しい」
俺は四人を見た。
レイナは俺の手首を離さず、リリスはまだ笑いを噛み殺し、ユアは幸せそうに俺の背を撫で、ノエルは何かを記録している。
「むしろ、毎回ぎりぎりだ」
「それでも、彼女たちは君を見ている」
カイルは少しだけ真面目な顔をした。
「次の合同任務、君と組みたい。司令官同士、連携を学ばせてもらう」
意外な申し出だった。
俺は少し迷い、頷く。
「分かった。ただし、俺の部隊を変に刺激しないでくれ」
「努力する」
その返事は、どこかレイナに似ていて不安だった。
演習場を出る頃には、俺の足腰は完全に限界だった。リリスが「おんぶしようか」と言い、ユアが「抱き上げます」と続き、ノエルが「四人で運べば公平です」と提案した。
レイナだけは静かに俺の前へ膝をついた。
「司令官。私が背負います」
「いや、歩ける」
「先ほど、私に力負けしました」
「蒸し返すな」
「事実です」
四人の視線が集まる。
逃げ場はなかった。
結局、俺はレイナに背負われることになった。背中は思ったより温かく、腕は俺よりずっと強い。悔しい。情けない。なのに、少し安心してしまう自分がもっと情けない。
リリスが横から覗き込む。
「司令官、顔赤い」
「運動後だからだ」
「押し倒されたからじゃなくて?」
「黙れ」
ユアが微笑む。
「大丈夫です。司令官がどれほど非力でも、わたしたちは愛しています」
「慰め方が刺さる」
ノエルが楽しそうに言った。
「むしろ、弱いほど逃げられませんからね」
「それは慰めじゃない」
地下通路の先に、夜の王都が見えた。
ほかの司令官たち。ほかの聖女部隊。これからの戦場は、俺たちだけでは終わらない。連携も、競争も、裏切りもあるだろう。
それでも、俺の周りには四人の聖女がいる。
強すぎて、重すぎて、俺よりずっと眩しくて危うい彼女たちが。
俺はレイナの背中で小さく息を吐いた。
世界で一番非力な司令官は、今日も自分の部隊に力で勝てない。
けれど、その心だけは、絶対に手放してはいけないのだと思った。
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