第50話 新しい契約
翌朝、ミナはギルドの小会議室で、新しい登録票を前に座っていた。
南門の毒霧は急性期を抜けた。
けれど、街の空気にはまだ薄い薬草と洗浄水の匂いが残っている。
机の上には二枚の紙が並んでいた。
一枚は古いパーティ記録。
一枚は、新しい契約書。
古い方には、見慣れた文字がある。
盾役、ガイ・ロックベル。
斥候、リタ・ベル。
剣士、セラ・ウィン。
補助魔術師、ミナ・リース。
補助魔術師。
その文字は、もう返した木札と同じように、机の上に置かれているだけだった。
ラウラさんが新しい紙を示す。
「改めて、パーティ契約を確認します。無理に継続する必要はありません」
その言葉に、ミナの胸が少し縮む。
無理に継続する必要はない。
当然だ。
嘘をついていた。
必要な情報を渡していなかった。
助けた事実があっても、傷つけた事実は消えない。
ミナは三人を見た。
ガイさんは腕を組んでいる。
リタさんは椅子を斜めに使っている。
セラさんは背筋を伸ばし、膝の上で手を握っていた。
前にも、こんなふうに書類を囲んだことがある。
あの時、ミナは言えなかった。
職業欄に変更はありますか。
変更はありません。
そう言った。
今日は違う。
違わなければならない。
******
最初にガイさんが口を開いた。
「俺は、知った上で組む」
短い。
いつものガイさんの言葉だ。
でも、ミナの胸には深く入った。
「俺は前衛だ。ミナが何を見て、何ができて、何ができないかを知る必要がある。もう隠すな。それなら組む」
「はい」
ミナは頷いた。
許してほしい、とは言わない。
約束する。
その方が、今は必要だ。
リタさんが指を立てる。
「あたしは条件追加」
「条件」
「次に大事なこと黙ってたら、揚げ菓子百本」
ミナは瞬きした。
「百本」
「安い?」
「高いです」
「命に関わる情報料だからね」
軽い声。
でも、言っていることは軽くない。
リタさんは少し目を細める。
「待ってたのは、あたしの判断。言わなかったのは、ミナちゃんの判断。次は、待たせすぎないで」
「はい」
今度の返事は、胸に残った。
セラさんは少し遅れて口を開いた。
「私は」
声が揺れる。
ミナは黙って待った。
セラさんがミナにしてくれたように。
今度は、ミナが待つ。
「全部すぐ平気になったわけではありません」
「はい」
「ミナさんの支援を思い出すと、助けられたことも思い出します。でも、嘘を知らなかったことも、一緒に思い出します」
「はい」
「だから、たぶん、これからも時々怒ります」
「はい」
「でも」
セラさんは顔を上げた。
「私はまた、合図を聞きます」
ミナの喉が熱くなる。
今度こそ、泣きそうになった。
でも、涙で返すのは違う。
ミナは深く頷いた。
「できることも、できないことも、隠しません」
言葉が、部屋に落ちる。
今度は、嘘ではない。
******
ラウラさんが新しい契約書へペンを置いた。
ガイさんが署名する。
リタさんが少し崩した字で書く。
セラさんは丁寧すぎるくらい丁寧に書く。
最後に、ミナがペンを持った。
手が震える。
でも、止まらない。
ミナ・リース。
職業欄。
ヒーラー。
備考。
戦場治癒支援、仮運用。
文字が紙に残る。
もう、こすっても消えない。
だからこそ、逃げない。
署名が終わった時、扉が控えめに叩かれた。
入ってきたのは、バルドだった。後ろにカミラがいる。さらに少し離れて、グレンとイザークも立っていた。
ミナの体が少し強張る。
ガイさんが椅子をわずかに引いた。
リタさんの目が細くなる。
セラさんも姿勢を正す。
バルドが深く頭を下げた。
「ミナ。南門でも、廃坑でも、助かった。礼を言う」
ミナは立ち上がった。
「無事でよかったです」
その言葉に、嘘はない。
カミラは少し遅れて口を開く。
「追放の時、私は見ていたのに黙っていた。ごめんなさい」
遅い。
遅すぎる。
その痛みは、今も残っている。
ミナはすぐに許すとは言えなかった。
「謝罪は、受け取ります」
それだけ言った。
カミラは静かに頷く。
グレンはしばらく黙っていた。
それから、不器用に頭を下げる。
「……悪かった」
短い。
足りない。
でも、初めての言葉だった。
ミナは胸の痛みを感じながら、頷いた。
「私は、紅蓮の剣には戻りません」
「わかってる」
グレンの声は苦い。
完全な和解ではない。
戻る場所でもない。
それでいい。
ミナには、今の契約書がある。
イザークは最後まで黙っていた。
ミナは少しだけ身構える。
また職業詐称の話をされるかもしれない。無認可術者だと責められるかもしれない。
けれど、イザークは眼鏡を押し上げただけだった。
「君のやったことが危険だったという意見は、変わらない」
リタさんの目が細くなる。
イザークは続けた。
「ただ、南門で火を使っていれば悪化した。君の制止は正しかった」
ミナは瞬きした。
謝罪ではない。
礼でもない。
でも、事実を認める言葉だった。
「ありがとうございます」
「礼を言われる筋合いではないよ」
「では、記録しておきます」
ノエルさんが横から言う。
「今の発言は、紅蓮の剣イザーク氏がミナ・リースさんの現場判断の正当性を認めた証言として」
「待て。そこまで言っていない」
「では訂正しますか」
イザークは口を閉じた。
リタさんが吹き出しそうになり、セラさんが真面目に下を向いて肩を震わせる。
グレンは苦い顔で言った。
「相変わらず、面倒な連中と組んでるな」
ミナは少し考えた。
「はい。でも、私が選びました」
グレンは何も言わなかった。
その沈黙は、昔のようにミナを押しつぶさなかった。
今のミナには、選んだ契約書がある。
ラウラさんが、机の端に置いていた小さな封筒を手に取った。
「登録票が通りました」
ミナの心臓が跳ねる。
封筒の中には、新しい木札が入っている。
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