第5話 攻撃魔術を撃ってください
仮登録の手続きを終えた午前、ミナはルシェルのギルド試験場に立っていた。
試験場の床は、傷だらけだった。
焦げ跡。剣の擦れた跡。杖を突いた小さなくぼみ。いろいろな冒険者が、ここで自分の力を見せてきたのだとわかる。
ミナはその中央に立っていた。
手には杖。
胸には仮登録の木札。
そして心の中には、今すぐ帰りたいという気持ちが、かなり正直に居座っていた。
「ミナ・リースさんですね」
試験官は三十代くらいの男性だった。ギルド職員の制服を着ているが、腰には短い杖を差している。魔術師としての経験があるのだろう。魔力の見方が鋭い。
ミナは丁寧に頭を下げた。
「はい。よろしくお願いします」
「補助魔術師として登録希望。支援、異常対応が得意。攻撃は不得手、と」
試験官は書類を読み上げる。
不得手。
その言葉で済ませてくれていることに、ミナは少しだけ感謝した。使えない、と書かれていたら逃げ場がなかった。
いや、どちらにしても逃げ場はない。
試験官は木製の標的を示した。
人の胴ほどの大きさ。表面にはいくつもの焦げ跡や切り傷がついている。
「まずは簡単な攻撃魔術を一つ。火でも風でも構いません」
来た。
ミナは杖を握る指に力を入れた。
火でも風でも構いません。
そう言われても、どちらも構う。
火は灯せる。風は起こせる。けれど標的に撃ち込むほどの形にはならない。無理にやれば、標的ではなく自分の袖を焦がす可能性の方が高い。
「どうしました?」
試験官の声は穏やかだった。
穏やかだからこそ、余計に苦しい。
ミナは唇を湿らせる。
「攻撃は、不得手です」
「書類にもありますね。ですが最低限の自衛確認です」
「その……支援特化なので」
試験官の眉が少し上がった。
ミナは、ああ失敗した、と思った。
支援特化。便利な言葉だ。できないことを隠すにはちょうどいい。けれど、試験官のような人には通じにくい。
「支援特化」
彼は繰り返した。
「では、攻撃魔術は登録後の制限事項に入れます。先に支援を見せてください」
ミナは息を吐きかけて、止めた。
まだ助かったわけではない。
ここからが本番だ。
******
試験官が手を上げると、訓練場の隅から一人の若い兵士が歩いてきた。
革鎧に木盾。新人らしく背筋がまっすぐで、緊張のせいか肩に力が入っている。
「彼に支援をかけてください。内容は任せます。その後、盾打ちを三回行います」
「わかりました」
ミナは兵士の前に立った。
「失礼します。腕に触れてもいいですか」
「あ、はい」
兵士は少し驚いた顔をした。
補助魔術師なら、普通は離れた位置から術をかけるのだろう。ミナもそうできればよかった。でも、相手の体の状態を正確に読むには、触れた方が早い。
ミナの指先が兵士の前腕に触れる。
すぐにわかった。
右肩が固い。盾を構える時、肘が少し外へ逃げている。昨夜あまり眠れていないのか、呼吸が浅い。足裏の踏み込みも左右で違う。
怪我ではない。
だから、治さない。
支える。
ミナは治癒式を立ち上げ、その外側をほどく。傷を塞ぐ光ではなく、筋肉の震えを小さく抑え、関節の負担を散らし、呼吸に合わせて魔力の流れを薄く整える。
光は淡い。
白とも青ともつかない、ほんの短い揺らめき。
兵士が目を瞬かせた。
「今のが支援ですか?」
「はい。強くしすぎると動きが不自然になるので、少しだけ」
試験官が黙って見ている。
その視線が怖い。
ミナは手を離し、一歩下がった。
「盾を構えてください」
試験官の指示で、兵士が盾を持ち上げる。
その瞬間、兵士の表情が変わった。
「あれ」
「どうしました」
「盾が、軽い……?」
軽くしたわけではない。
重さは同じだ。ただ、肩の余計な力が抜け、肘の逃げが少なくなり、踏ん張る場所が安定しただけ。
でも本人にとっては、盾が軽くなったように感じる。
試験官が木剣を手に取った。
「受けてください」
一撃目。
乾いた音。兵士の足は下がらない。
二撃目。
盾が少し沈む。ミナは思わず魔力を伸ばしかけて、止めた。試験中に追加で流すのはよくない。今は見守る。
三撃目。
兵士は受けきった。
呼吸は乱れているが、腕は落ちていない。
「すごい」
兵士が自分の手を見た。
「いつもなら二回目で肩が抜ける感じがするのに」
ミナは小さく笑いかけた。
「肩だけで受けていたので、肘と足にも逃がしました」
言ってから、しまったと思った。
説明が治療師寄りだ。
補助魔術師なら「防御補助です」と言えばいい。なのに、つい体の使い方を説明してしまう。
試験官の目が細くなった。
「もう一度、支援なしで受けてみますか」
試験官が兵士に聞いた。
ミナは思わず顔を上げる。
兵士は少し迷ったが、頷いた。
「お願いします」
今度はミナが一歩下がる。追加の支援は入れない。先ほど流した補助は、短時間で薄れるようにしてある。強く残すと、本人の感覚を狂わせるからだ。
兵士が盾を構える。
一撃目。
受けられる。
二撃目。
肩が浮いた。
三撃目の前に、兵士は足を一歩下げた。盾は落ちていない。けれど、さっきとは違う。重さがそのまま腕に乗っている。
「なるほど」
試験官が呟く。
ミナは息を詰めた。
違いが見えてしまった。
支援の効果を認めてもらえるなら嬉しい。けれど、その分、どんな術式かを見られる。
兵士は肩を回しながら笑った。
「さっきの方が、ずっと楽でした」
ミナは小さく頭を下げる。
「無理はしないでください」
「それ、支援をかけた人が言うんですね」
兵士の軽い冗談に、ミナは少しだけ笑った。
その一方で、試験官の視線は笑っていなかった。
******
「合格にしてもいいでしょう」
試験官の言葉に、ミナは肩の力を抜いた。
抜きすぎて、そのまま座り込みそうになった。
「ありがとうございます」
「ただし」
来た。
ミナの背筋が伸びる。
「攻撃魔術は確認できていません。よって登録は制限付きです。低ランク依頼に限り、三日以内に一件成功させてください。成功後、本登録を検討します」
「三日以内」
「はい」
短い。
でも、仕事がもらえる。
ミナは頷いた。
「わかりました」
試験官は書類に印を押した。仮登録から、期限付き仮登録へ。進んだのか、追い詰められたのか、少し判断に困る。
木札を受け取ろうとした時、試験官が言った。
「それから、ミナさん」
「はい」
「あなたの支援式は、補助魔術にしては治癒式に近い」
心臓が跳ねた。
ミナは木札を落としそうになる。
「そう、でしょうか」
「治療経験があるのなら不思議ではありません。ですが、職業登録は補助魔術師ですね」
「はい」
「今後、治癒魔術を使う場合は報告してください。神殿との管轄にも関わります」
管轄。
その言葉は、ミナにとってまだ遠いものだった。けれど、何か硬い壁の気配がした。
「わかりました」
そう答えるしかない。
試験官は木札を渡した。
「では、三日以内に依頼成功を」
ミナは両手で受け取った。
期限付き。
低ランク依頼。
攻撃魔術は使えない。
補助魔術師として登録したのに、魔術師らしさは足りない。
それでも。
昨日まで、ヒーラーとして仕事がなかった。
今日は、まだ細いけれど道がある。
ミナは試験場を出る。
外の空気を吸った瞬間、足の力が少し抜けた。
助かった。
けれど、嘘は終わっていない。
むしろ、ここから始まった。
仮登録の木札は、昨日より少しだけ重く感じた。
******
依頼掲示板の前には、低ランクの紙がいくつか残っていた。
ミナは期限付きの木札を握りしめながら、一枚ずつ見る。
単独では危険なものが多い。薬草採取、荷運び護衛、洞窟の小型魔物駆除。補助魔術師として入るには、パーティが必要だ。
問題は、誰が期限付き仮登録の補助魔術師を入れてくれるか、ということだった。
ミナが迷っていると、受付職員が声をかけてきた。
「仮パーティ募集の机へ行ってみますか」
「仮パーティ」
「低ランク依頼を一度だけ組んで受ける仕組みです。相性が良ければ継続する方もいます」
相性。
ミナは少しだけ身構えた。
紅蓮の剣の席を思い出す。通路側の端。誰にも見られていなかった場所。
また同じことになるかもしれない。
でも、一人では依頼に出られない。
「お願いします」
職員に案内された先には、丸い机があった。
そこに、三人の冒険者が座っていた。
大きな盾を横に立てかけた男性。
椅子を後ろに傾けている斥候らしい女性。
剣を抱えた、まだ若い少女。
三人の視線が、同時にミナへ向く。
ミナは一瞬だけ足を止めた。
逃げたい。
でも、逃げたら今日の試験まで嘘になる。
ミナは小さく頭を下げた。
「ミナ・リースです。補助魔術師です」
言葉はまだ胸に痛かった。
けれど、三人のうち大柄な男性だけは、少しほっとした顔をした。
「補助か。ちょうど探してた」
その一言で、ミナは初めて、嘘の名前で必要とされた。
嬉しさと怖さが、同じ速さで胸に広がった。
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