第4話 補助魔術師です
翌朝、ミナがたどり着いた隣街ルシェルは、石畳の色が少し明るかった。
ミナが前にいた街より道幅が広く、馬車が二台すれ違える。朝の市場には野菜と布と焼き菓子が並び、冒険者ギルドの前には依頼を待つ人たちが集まっていた。
知らない街。
知らない人。
知らない受付。
それだけで、少しだけ息がしやすい。
前の街では、紅蓮の剣から外されたヒーラーとして記録が残っている。低貢献、推薦なし、役割不一致。どれも事実として扱われる言葉だ。
でも、ここなら。
ここでなら、まだ何かをやり直せるかもしれない。
ミナは鞄の紐を握り直した。
中には師匠のノートと、昨日外した依頼紙が入っている。
補助魔術師を一名募集。
攻撃魔術より、索敵・支援・異常対応を優先。
その文字を何度も読み返したせいで、紙の折り目が柔らかくなっていた。
ギルドの扉を押す。
中は思ったより静かだった。朝の依頼受付はすでに一段落した後らしく、広いホールには数組の冒険者と、書類を運ぶ職員がいるだけだ。
受付に座っていた女性が顔を上げた。
「新規登録、または移籍手続きですか?」
「あ、はい。移籍というか、別の街から来ました」
「冒険者証をお願いします」
ミナは木札を差し出した。
受付職員はそれを読み取り、記録板に照合する。名前、年齢、前所属、職業。
ヒーラー。
その文字が読み上げられる前に、ミナの喉が固くなった。
職員は紙をめくりながら言う。
「ミナ・リースさん。前登録はヒーラーですね」
「はい」
「前パーティからの除籍記録あり。推薦状はなし。継続してヒーラーとして登録しますか?」
ここで、はいと言えばいい。
それが本当だ。
私はヒーラーです。
そう言えば、嘘はつかずに済む。
けれど、続く言葉もわかっていた。紹介できる依頼は限られます。回復量は標準。貢献評価は低。神殿補助ならあります。
また同じ場所へ戻る。
治せるのに、支えられるのに、書類の数字だけで狭い箱へ入れられる。
ミナは口を開いた。
「あの」
「はい」
「今、補助魔術師の募集があると聞いて」
受付職員の手が止まった。
「補助魔術師ですか」
「はい。その、支援と異常対応なら、少し」
言いながら、自分の声が小さくなる。
少し。
また逃げ道のある言い方をしている。
職員は記録板を確認した。
「確かに、現在ルシェル周辺では補助魔術師が不足しています。索敵補助、状態異常対応、支援術ができる方は歓迎ですね」
歓迎。
その言葉が、やけに眩しかった。
ミナは師匠のノートを鞄の上から押さえる。
ヒールに支援を混ぜる。毒の流れを見る。疲労を読む。魔力循環を整える。壊れる前に支える。
それは補助魔術ではない。
でも、補助に見える。
見えてしまう。
受付職員が尋ねた。
「現在の主職業を変更しますか?」
ミナは唇を開いた。
ヒーラーです。
そう言うはずだった。
そう言うべきだった。
「補助魔術師です」
言ってしまった。
声は小さかったのに、ギルドの床に落ちたようにはっきり響いた気がした。
受付職員は頷き、書類にペンを走らせる。
『職業: 補助魔術師』
黒いインクが紙に染みていく。
ミナは息を吸った。
「あの、やっぱり」
「はい?」
職員が顔を上げる。
今なら止められる。
訂正できる。
ヒーラーです。すみません、間違えました。支援もできますが、主職はヒーラーです。
言えばいい。
それだけでいい。
でも、口が動かなかった。
職員の後ろの掲示板には、補助魔術師募集の紙がある。ヒーラー募集の紙はない。手持ちの銅貨は少ない。宿代は今夜で終わる。
そして何より、ヒーラーと名乗った瞬間に戻ってくる視線が怖かった。
役立たず。
回復だけ。
後ろにいただけ。
「……いえ。大丈夫です」
ミナは目を伏せた。
受付職員は不思議そうにしながらも、手続きを進める。
紙の上で、ミナの名前の隣に新しい職業が並んだ。
補助魔術師。
その四文字は、思っていたより重かった。
******
「では、登録確認のため簡単な試験があります」
「試験」
ミナの声が裏返りそうになった。
受付職員は慣れた調子で説明する。
「はい。魔術職の方は、安全確認のため最低限の実技を行います。補助魔術師の場合、支援術、異常対応、簡単な攻撃魔術の確認ですね」
「攻撃魔術」
指先が冷える。
攻撃魔術は、本当に使えない。
小さな火を灯す生活魔術くらいならできる。湯を温めたり、灯りを点けたり。その程度だ。敵に向けて撃つ魔術ではない。
師匠も、そこは諦めていた。
「お前は敵を焼くより、焼かれる前に人をどかす方が向いている」
褒め言葉だったのか、慰めだったのか、今でもわからない。
ミナは喉を鳴らした。
「攻撃は、得意ではなくて」
「補助特化の方でも、最低限の確認は必要です。危険な依頼に出る場合、自衛手段があるかどうかは大切ですので」
正論だった。
正論は、逃げ道を塞ぐのがうまい。
「明日の午前、試験場へ来てください。そこで仮登録の可否を判断します」
「今日では、ないんですね」
「試験官の都合がありますので」
ミナは胸を撫で下ろしかけて、すぐに気づいた。
明日になっても攻撃魔術は撃てない。
一日延びただけだ。
それなのに、少しだけ助かったと思ってしまう自分が情けない。
受付職員は仮の木札を差し出した。
「こちらをお持ちください。まだ正式な冒険者証ではありません。試験後、問題がなければ本登録になります」
ミナは木札を受け取る。
薄い板に、仮の文字が刻まれている。
名前の下には、やっぱりこう書かれていた。
『補助魔術師』
ミナはそれを見つめた。
ヒーラーの木札より軽いはずなのに、手の中でずっしり沈む。
「明日の試験までに、得意な支援の内容を整理しておいてください」
受付職員が言った。
「説明、ですか」
「はい。魔術職は何ができて何ができないかを明確にしておく方が、パーティ内の事故が減ります」
その言葉は正しい。
正しすぎて、ミナは胸の内側を押された気がした。
何ができて、何ができないか。
できることなら、たくさんある。毒の回りを遅らせる。筋肉の負担を逃がす。魔力循環を整える。疲労が判断に出る前に補う。痛みを消しすぎず、でも動ける程度に抑える。
できないことも、はっきりしている。
火球は撃てない。
敵を吹き飛ばせない。
魔術師らしい派手な一撃を、見せられない。
それを明確にした時、自分はまだ補助魔術師と名乗れるのだろうか。
「わかりました」
ミナは木札を両手で包んだ。
受付職員は事務的に微笑む。
「では、明日お待ちしています」
その笑顔に悪意はない。
だから、逃げられない。
******
ギルドを出ると、ルシェルの夕方の空は淡い橙色になっていた。
人通りはまだ多い。冒険者が武器を背負って歩き、子どもが焼き菓子の屋台の前で足を止め、商人が声を張って値段を叫んでいる。
そのどれもが、ミナとは関係なく元気だった。
ミナは路地の隅に立ち、仮登録の木札を見下ろした。
「補助魔術師」
小さく声に出す。
嘘だ。
でも、完全な嘘ではない。
そう言い訳をしてみる。
支援はできる。異常対応もできる。毒の流れは読める。疲労も、魔力の乱れも、筋肉の震えも見える。
ただ、それは全部、ヒーラーとして身につけたものだ。
魔術師らしい攻撃はできない。
明日、それを求められる。
ミナは壁に背をつけた。
師匠のノートを開く。ページの間に挟まっていた古い紙が落ちた。そこには、昔のミナが練習した支援式の図が描かれている。
治癒式の外側に、小さな補助線。
筋力を上げるというより、負担を逃がす。反応を速くするというより、迷いを減らす。痛みを消すというより、体が折れない範囲に抑える。
派手ではない。
でも、戦場で効く。
「これなら」
ミナは呟いた。
「支援魔術として、見せられるかもしれない」
問題は攻撃魔術だ。
小石を動かす。灯りを点ける。温風を出す。
どれも攻撃とは言えない。
標的を撃てと言われたら終わりだ。
木札を握る手に力が入る。
嘘をついた。
その嘘は、まだ誰も傷つけていない。けれど、明日には自分を追い詰める。
ミナは空を見上げた。
薄い雲が夕日に染まっている。その色が、少しだけ治癒魔術の光に似ていた。
「私は」
ヒーラーです。
言葉は喉まで来て、そこで止まる。
代わりに、別の言葉が出た。
「補助魔術師です」
口にした瞬間、胸が痛んだ。
明日の試験で、ミナはその痛みごと証明しなければならない。
自分が何者なのかではなく。
自分が、何者のふりをするのかを。
その夜、宿の机で、ミナは何度も小さな火を灯そうとした。
指先に乗る程度の灯りはつく。蝋燭の火を移すくらいならできる。けれど、標的へ撃つ形にしようとすると、すぐに魔力が崩れた。
焦げた匂いがして、紙の端が少し黒くなる。
ミナは慌てて手で払った。
「……やっぱり、無理」
小さな声が部屋に落ちる。
明日、攻撃魔術を求められる。
その時、自分はまた何かを言い換えるのだろう。
******
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