第3話 ヒーラーの仕事は安い
追放宣告の翌日、ミナは前の街の冒険者ギルド受付で、紹介された仕事の一覧を見つめていた。
仕事は、あるにはあった。
問題は、そのほとんどが仕事と呼ぶには細すぎることだった。
「神殿の臨時治療補助。半日拘束で銅貨八枚」
受付職員が淡々と読み上げる。
「薬草の仕分け。成功報酬ではなく日当制、銅貨六枚。負傷冒険者の宿舎介助、夜勤ありで銅貨十枚。ただし食事なし。護衛同行の待機係、報酬は負傷発生時のみ」
ミナは小さく頷きながら聞いていた。
頷くしかなかった。
ここで「それだけですか」と言えば、わがままに聞こえる。実際、仕事を紹介してもらえているだけありがたいのかもしれない。
でも、銅貨八枚では宿代に届かない。
銅貨六枚では、パンと薄いスープで終わる。
負傷発生時のみの護衛同行は、要するに誰かが怪我をしなければ報酬がない。怪我を防ぐことを仕事にしてきたミナにとって、それは少し悪い冗談のようだった。
「あの、探索同行はありませんか」
ミナは勇気を出して聞いた。
受付職員は記録板をめくる。
「ヒーラー同行ですか。ありますが、前パーティからの評価が低いため、紹介優先度は下がります」
「低ランクでも構いません」
「低ランクの場合、回復が必要になるほどの危険依頼は少ないです。逆に中ランク以上になると、推薦状なしでは難しいですね」
「そう、ですか」
つまり、どこにも入りにくい。
怪我が少ない依頼ではヒーラーは余る。怪我が多い依頼では実績のあるヒーラーが選ばれる。ミナのように記録上の貢献が低く、前パーティからの推薦もない者は、ちょうど一番使いづらい場所に落ちる。
受付職員は悪気なく続けた。
「回復量は標準。討伐貢献は低い。前パーティからの推薦なし。となると、紹介できるのはこのあたりです」
回復量は標準。
ミナは目を伏せた。
それも違う。
ミナの治癒は、ただ傷を塞ぐだけではない。痛み、毒、疲労、魔力循環。壊れ方の手前を見る。治す前に支える。けれど評価表には「回復量」という欄しかない。
水をこぼした後に、どれだけ拭いたか。
そこだけを測られている。
こぼさないようにした手は、どこにも記録されない。
******
昼過ぎ、ミナは神殿の裏庭にいた。
紹介された臨時治療補助は、要するに包帯の洗浄と薬草水の運搬だった。治癒魔術を使う機会はほとんどない。使うとしても、正規の治療師が処置した後の軽い仕上げだけ。
「そこ、桶をもう一つ持ってきて」
「はい」
「包帯は血が残っていたら洗い直し」
「はい」
返事をして、運んで、洗って、干す。
必要な仕事だ。
必要な仕事ではある。
けれど、ミナの指先は落ち着かなかった。
隣の治療室から、負傷者のうめき声が聞こえる。足の骨にひびが入っている。呼吸の浅さから、痛みで体を強張らせているのがわかる。あの状態なら、骨の周囲の緊張を先に緩めた方が治癒が通りやすい。
ミナは思わず立ち上がりかけた。
「何をしているの」
年配の治療師に声をかけられ、肩が跳ねる。
「すみません。あの方、痛みが強そうで」
「治療室には資格者がいるわ。あなたは補助」
「はい」
ミナは座り直した。
補助。
その言葉は正しい。今日の仕事は補助だ。正規の治療師ではない。まして、ギルドから臨時で来た低評価ヒーラーだ。
出しゃばるべきではない。
けれど、耳が拾ってしまう。目が見てしまう。魔力の流れが、痛みの形が、体の中でどこが悲鳴を上げているのかが、わかってしまう。
わかっているのに、手を出せない。
それは、役立たずと言われるより苦しかった。
夕方、報酬の銅貨八枚を受け取る。手のひらに乗せると、軽い音がした。
宿代は一泊銅貨十二枚。
足りない。
ミナは銅貨を袋にしまい、少しだけ笑った。
笑わないと、顔が崩れそうだった。
神殿の門を出る時、昼に処置室でうめいていた負傷者が、松葉杖をつきながら廊下を歩いているのが見えた。
正規の治療師が治したのだろう。骨の痛みは抑えられている。けれど、歩き方が硬い。足を庇いすぎて、反対側の腰に負担が逃げている。このまま帰れば、明日には腰の痛みで眠れなくなる。
ミナは反射的に声をかけそうになった。
でも、門番がこちらを見る。
臨時補助の仕事は終わった。もう神殿の治療に口を出す立場ではない。
負傷者は、ミナに気づかず通り過ぎていく。
ほんの少し魔力を流せば、歩き方を楽にできる。痛みを消すのではなく、体重の逃がし方を整えるだけでいい。
それでも、できない。
ミナは銅貨八枚の袋を握りしめた。
治せることと、治していいことは違う。
その違いは、思っていたより冷たかった。
******
三日目の朝には、財布の底が見え始めた。
宿代を払うと、残るのはパン二つ分くらい。薬草の補充はできない。杖の先につけた魔石も、しばらくは交換できない。
ミナはギルドの掲示板の前に立っていた。
ヒーラー募集の紙は少ない。
あっても条件が悪い。
『神殿搬送補助。負傷者を運ぶだけ。
薬草採取。治癒師歓迎、ただし危険手当なし。
討伐同行。報酬後払い、治療費は報酬から差し引き。』
最後の一枚を見て、ミナは指を止めた。
治療費は報酬から差し引き。
紅蓮の剣の時と同じだ。
怪我をすれば費用扱い。怪我をしなければ暇扱い。どちらにしても、ヒーラーの価値は削られる。
ミナは掲示板から一歩下がった。
自分は、ヒーラーに向いていないのだろうか。
そう考えて、すぐに首を振る。
違う。そうじゃない。
私は、治せる。
壊れる前に支えられる。
ただ、それを誰にも見てもらえないだけだ。
見えない支援ほど、感謝されない。
師匠の声がよみがえる。
ミナは鞄から古いノートを取り出した。角が丸くなり、何度も開いたページには自分の字がびっしり並んでいる。
『治癒式に筋力補助を混ぜる時は、出力を極小にする。
痛覚緩和は消しすぎない。危険信号を奪わない。
魔力循環補助は対象者の呼吸に合わせる。
支援は気づかれない程度が最も自然。』
その下に、師匠の赤い字。
『気づかれないことと、価値がないことを混同するな。』
ミナはその一文を見つめた。
価値は、ある。
あるはずだ。
でも、ヒーラーとして名乗る限り、その価値は「回復量」だけで測られる。
なら。
ミナは、ノートの端に書いた別の単語に目を止めた。
支援。
補助。
異常対応。
それは治癒魔術の中に混ぜてきたものだ。けれど、戦闘中に仲間を動きやすくし、毒を避け、疲労を軽くし、魔力の乱れを整える。
普通の人から見れば、それはもしかして。
補助魔術に見えるのではないか。
******
夕方、新しい依頼が掲示された。
掲示板の上段ではない。人気依頼が貼られる場所でもない。端の方、少し曲がった釘に引っかけられるようにして、一枚の紙が揺れていた。
『低ランク探索補助。
補助魔術師を一名募集。
攻撃魔術より、索敵・支援・異常対応を優先。
依頼地: 隣街ルシェル周辺。』
ミナは息を止めた。
補助魔術師。
攻撃魔術より、索敵・支援・異常対応。
紙に書かれた言葉が、こちらを見ているようだった。
自分にぴったりだ、と思ったわけではない。
むしろ逆だ。
怖かった。
ミナはヒーラーだ。師匠に教わり、治癒魔術を学び、壊れる前に支えることを覚えた。補助魔術師ではない。魔術師と名乗るには、攻撃魔術が使えなさすぎる。
でも、ヒーラーとしての仕事はない。
宿代もない。
このままだと、明日の夜には部屋を出なければならない。
ミナは依頼紙の端に触れた。
紙は乾いていて、少しざらついていた。
「補助魔術……なら」
声が小さく漏れる。
自分の支援術は、少しだけ似ている。
ほんの少しだけ。
嘘ではない、と言い切れない。
でも、完全な嘘でもない。そう思いたかった。
その時、背後で冒険者たちの笑い声が上がった。
「ヒーラーなんて、怪我してからでいいだろ」
誰かの軽口だった。
ミナの肩が小さく揺れる。
怪我してからでいい。
その言葉を聞いた瞬間、胸の奥にあった迷いが、別の形に変わった。
怪我してからでは、遅い。
壊れてからでは、遅い。
だから私は、支えることを覚えた。
それをヒーラーとして見てもらえないなら。
ミナは依頼紙を、そっと掲示板から外した。
補助魔術師。
その言葉は怖い。
けれど、今のミナには、怖くても手を伸ばすしかなかった。
掲示板の前に立ったまま、ミナは周囲を見た。
誰もこちらを気にしていない。冒険者たちはもっと報酬の高い依頼を探し、受付職員は別の書類を運んでいる。紙を外したところで、誰かが止めるわけでもない。
だからこそ、これはミナ自身の選択だった。
追い込まれたから。
仕事がないから。
お金がないから。
理由はいくつもある。でも、最後に紙を外したのは自分の手だ。
ミナはその重さを、指先で感じた。
「少しだけ、できるかもしれない」
口にした瞬間、自分の声が震えていることに気づいた。
それでも、紙は手放さなかった。
手放せば、明日も同じ場所で立ち尽くすだけだとわかっていた。
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