第2話 追放宣告
翌朝、ギルドの酒場は焼いたパンと濃いスープの匂いで満ちていた。
冒険者たちは朝から声が大きい。今日の依頼、昨日の戦果、誰が失敗した、誰が稼いだ。そんな話が木のテーブルを跳ね、壁にぶつかり、また誰かの笑い声に変わる。
ミナは、その中で小さく座っていた。
紅蓮の剣のいつもの席。窓際から二番目。グレンが奥、イザークがその隣、カミラが壁側。バルドは大きな体を椅子に押し込むようにして座る。
ミナの席は、通路側の端だった。
席順に意味なんてない。
そう思おうとした。
でも、いつからかこの席が、パーティの中での自分の位置に見えてしまう。
「ミナ」
グレンが名前を呼んだ。
いつもより声が固い。
ミナは膝の上で指をそろえた。
「はい」
「話がある」
スープの湯気が、グレンの顔の前を薄く流れていく。その向こうで、彼はまっすぐこちらを見ていた。逃げ道を塞ぐ目だった。
カミラは視線を外している。イザークは水を飲みながら、どこか退屈そうにしている。バルドだけが、困ったように眉を寄せた。
ミナは、その全員を順番に見た。
誰も、冗談だとは言わなかった。
「紅蓮の剣から、今日で外れてくれ」
音が消えた気がした。
酒場の喧騒は続いている。笑い声も、皿の触れる音も、受付で名前を呼ぶ声も聞こえる。けれど、全部が遠い。
ミナは口を開いた。
「理由を、聞いてもいいですか」
「今さらか?」
グレンは短く息を吐いた。
「攻撃できない。討伐数に貢献してない。回復が必要な時は神殿に運べばいい。昨日みたいに怪我人が出ないなら、なおさらだ」
「怪我人が出なかったのは」
「俺たちがうまくやったからだ」
言葉が、胸に刺さる。
ミナはそれを抜かずに、さらに言葉を重ねようとした。
「でも、グレンさんの足は二度、限界を越えていました。あの時、膝に支援を混ぜて」
「なら、もっとわかるようにやれ」
返事は早かった。
あまりに早くて、ミナの声は途中で止まった。
グレンは椅子の背に体を預ける。
「俺たちは結果で評価される。討伐数、報酬、依頼達成率。お前の言う支援が本当にあるなら、なぜ誰にも見えない?」
「それは、壊れる前に」
「壊れてないなら、何もしてないのと同じだ」
同じではない。
そう言いたかった。
壊れてからでは遅い傷がある。崩れてからでは戻らない動きがある。毒が回ってから、呪いが根を張ってから、疲労で判断が鈍ってからでは、救えない場面がある。
師匠はそう教えてくれた。
ミナも、ずっとそうしてきた。
でも、グレンの前では、それが言葉にならない。
******
「私も、今回の判断には反対しないわ」
カミラが静かに言った。
その声は冷たくはなかった。だから余計に痛かった。
「ミナが嫌いなわけじゃない。ただ、今の紅蓮の剣は上の依頼を狙っている。報酬を分ける以上、見える貢献が必要なの」
「見える、貢献」
「ええ」
カミラはカップの縁を指でなぞる。
「あなたが助けてくれた場面も、あったのかもしれない。でも、記録には残らない。依頼報告にも書けない。ギルド評価にも反映されない」
あったのかもしれない。
その曖昧な言い方に、ミナは小さく息を呑んだ。
見ていたのに。
手首の震えを抑えた時、カミラは一瞬だけこちらを見た。気づいたのではないかと思った。でも、違ったのかもしれない。あるいは気づいていても、言うほどのことではなかったのかもしれない。
イザークが軽く肩をすくめた。
「そもそも、君のやっていることは治療の範囲だろう。戦術貢献として扱うには弱い。支援魔術師ならまた別だけど、君はヒーラーだ」
「ヒーラーでも、支援は」
「中途半端なんだよ」
イザークの声に、少しだけ苛立ちが混じった。
「治癒師なら治癒師らしく、怪我人を治す。魔術師なら魔術師らしく、敵を倒す。君はどちらでもないことを細かくやっている。それは器用かもしれない。でも、パーティの評価にはならない」
ミナは俯いた。
指先が震えている。
怒りではない。悲しみでもない。たぶん、恥ずかしさだった。
自分だけが、自分の仕事を大切なものだと思っていた。
そのことが、急に恥ずかしくなった。
「バルドさんは」
ミナは最後の望みのように、盾役の男を見た。
バルドは大きな手で頭をかいた。
「俺は……ミナがいると助かると思う時はある」
胸の奥に、ほんの少しだけ灯りがともる。
けれど、バルドはすぐに視線を落とした。
「でも、グレンの言うこともわかる。上の依頼に行くなら、火力がいる。俺も盾で受ける回数を減らしたい」
灯りは消えた。
ミナはゆっくり頷いた。
「わかりました」
声は思ったより普通に出た。
それが少し不思議だった。
もっと泣くと思っていた。もっと取り乱すと思っていた。けれど、涙は出なかった。ただ、胸の奥が紙みたいに薄くなっていく。
グレンは、少し気まずそうに報酬袋をテーブルへ置いた。
「これまでの分だ。昨日の依頼の取り分も入れてある」
「ありがとうございます」
「悪く思うなよ。これはパーティのためだ」
悪く思うな。
ミナはその言葉を聞いて、思わず笑いそうになった。
悪く思わないでいるには、どうすればいいのだろう。
自分が役立たずだったと認めればいいのか。
何もしていなかったと思えばいいのか。
それとも、みんなが正しいと信じればいいのか。
「お世話になりました」
ミナは椅子から立ち上がり、頭を下げた。
誰も引き止めなかった。
席を離れる時、テーブルの上に置かれた空の皿が目に入った。
この席で、何度も食事をした。依頼の成功を祝ったこともある。グレンが大物を倒した話を大声でして、イザークが魔術理論を語り、カミラがそれを半分だけ聞き、バルドが黙って肉を食べていた。
ミナはその隅で、みんなの手の震えや呼吸の乱れを見ていた。
疲れているなら、明日は休んだ方がいい。
魔力が荒れているなら、詠唱を短くした方がいい。
足を引きずっているなら、踏み込みを浅くした方がいい。
言えばよかったのかもしれない。
でも、そのたびに「心配しすぎだ」と笑われた。だから、言葉の代わりに支援を入れた。気づかれないように。邪魔だと思われないように。
その結果が、今だった。
ミナはもう一度だけ席を見た。
そこには、自分の分の椅子がまだあった。けれど、次に来た時には誰か別の人が座るのだろう。
攻撃魔術師かもしれない。
見える功績を出せる人かもしれない。
ミナは報酬袋を鞄に入れた。
椅子の背には触れなかった。
******
ギルドの受付では、パーティ変更の手続きが淡々と進んだ。
受付職員は書類に目を通し、ミナの名前の横に小さな印をつける。
「ミナ・リースさん。紅蓮の剣からの除籍で間違いありませんか」
「はい」
「理由は、役割不一致。貢献評価は低。推薦状はなし」
紙に書かれた言葉は、思っていたより重かった。
役割不一致。
貢献評価は低。
推薦状はなし。
ミナはそれを見つめる。自分の数ヶ月が、三つの言葉に畳まれていた。
「この記録は、次のパーティ紹介時にも参照されます」
「はい」
「ヒーラーとして登録は継続しますか?」
ヒーラー。
その言葉に、喉が少し詰まった。
師匠に初めて治癒魔術を褒められた日のことを思い出す。褒められたといっても、「遅い。だが、見ている場所は悪くない」と言われただけだった。それでも嬉しかった。
自分はヒーラーだ。
そう思えた。
今は、その名前が少し怖い。
「……継続します」
「わかりました。ただし、紹介できる依頼は限られます。前パーティからの評価が低いため、護衛同行や上位探索への推薦は難しくなります」
「はい」
受付職員は悪人ではない。
ただ、書類を見ている。
書類には、ミナの支援は残っていない。
残っているのは、低評価だけだ。
手続きが終わると、木札が返された。ミナの名前と職業が刻まれている。
ヒーラー、ミナ・リース。
見慣れた文字なのに、今日は少し遠く見えた。
******
宿へ戻る道は、夕方の市場を抜けていた。
野菜を売る声。肉を焼く匂い。子どもの笑い声。どれもいつも通りで、ミナだけが世界から一歩遅れているようだった。
荷物は少ない。
着替えが二組。師匠のノート。治癒用の小道具。杖。少しの薬草。今日受け取った報酬袋。
それだけ。
紅蓮の剣に入った時、もっといろいろなものを持っている気がしていた。仲間とか、目標とか、認められる未来とか。
でも、宿の小さな部屋に荷物を広げると、それらはどこにも見つからなかった。
ミナはベッドの端に座り、師匠のノートを開いた。
古い紙に、師匠の硬い字が残っている。
『見えない支援ほど、感謝されない。
だからこそ、折れるな。』
その下には、昔のミナの字で小さく書き足してあった。
『私は、折れない。』
ミナはその文字を指でなぞった。
昔の自分は、ずいぶん強気だったらしい。
今のミナには、その言葉をまっすぐ信じる力がない。
見えない支援は、感謝されない。
なら、見えないまま支え続ける意味はあるのだろうか。
壊れる前に支えることは、壊れなかった時、何もしていないことになるのだろうか。
ミナはノートを閉じた。
窓の外で、ギルドの鐘が鳴る。
新しい依頼の掲示時刻だ。
明日から、仕事を探さなければならない。
ヒーラーとして。
低貢献ヒーラーとして。
ミナは木札を握りしめた。
手の中で、刻まれた職業名が痛いほど硬かった。
******
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