第47話 木札を外す日
毒霧の急性被害が落ち着いたのは、その日の夜になってからだった。
南門広場にはまだ白い天幕が残っている。
けれど、鐘の音は止まっていた。
ミナはギルドの小会議室で、膝の上に鞄を置いて座っていた。
体は重い。
手の奥に、まだ治癒式の熱が残っている。
何人助けたのか、正確にはわからない。何人を待たせたのかも、何人に怒られたのかも、数えきれていない。
ただ、記録は残っている。
ミナが使った術式も。
救った患者も。
補助魔術師では説明できない処置も。
全部。
会議室には、ラウラさん、セヴラン司祭、ノエルさん、ギルド幹部、神殿の使者がいた。新パーティの三人も後ろに座っている。
ギルド幹部の一人が、書類を指で叩いた。
「南門での働きは認める。だが、職業登録を偽っていた者をそのまま置けば、他の冒険者への示しがつかない」
別の職員が口を開く。
「一方で、即時資格停止にすれば、毒霧後の経過観察にも支障が出ます。患者の一部は、ミナさんの処置内容を前提に管理されています」
「だから問題なのです」
神殿の使者が静かに言った。
「個人の技術に患者が依存すれば、管理できなくなる」
管理。
その言葉に、ミナの指が少しだけ動いた。
人を物のように言われた気がして、胸がざわつく。
でも、すぐに飲み込んだ。
管理がなければ、誰が責任を取るのか。
南門でミナが倒れたら。
ミナが間違えたら。
患者は、仲間は、誰に守られるのか。
制度が怖いのは、制度にも理由があるからだ。
旧パーティは別室で事情聴取を受けているらしい。
ミナは机の木目を見ていた。
ここに来るたび、何かを記録されている気がする。
そして今日は、自分から記録を変えなければならない。
ラウラさんが資料を置いた。
「議題は三つです」
声はいつも通り丁寧だ。
でも、内容は軽くない。
「一つ、ミナ・リースさんの職業登録。二つ、神殿許可なしの治癒式使用。三つ、南門毒霧救護における功績と危険性」
功績。
危険性。
同じ紙に並ぶ言葉。
ミナは唇を結んだ。
セヴラン司祭が続ける。
「南門での処置により、重症化を防いだ事実はあります。ですが、無認可治癒と式改造の問題は消えません」
「神殿としては、これを前例化することはできません」
使者が言う。
言い方は冷たい。
でも、内容は間違っていない。
ミナはもう、そのことで怒れなかった。
自分が嘘をついたのは事実だ。
許可のない治癒を使ったのも事実だ。
人を救ったのも事実だ。
全部が一緒にある。
どれか一つだけを選んで、自分を楽にすることはできない。
******
「ミナさん」
ラウラさんがこちらを見る。
「職業登録について、あなた自身の意向を確認します」
来た。
ミナは鞄に手を入れた。
木札に指が触れる。
補助魔術師、ミナ・リース。
初めて受け取った時、手が震えた。
仕事が来た時、少しだけ安心した。
仲間ができた時、この名前で居場所を得てしまった。
何度も、返す機会はあった。
そのたびに怖くて、握りしめた。
でも今日、南門で見た。
この木札を握っていても、毒は止まらない。
患者は待ってくれない。
仲間の傷も消えない。
ミナは木札を取り出した。
小さな木片なのに、ひどく重い。
机の上へ置く。
乾いた音がした。
「この木札は、返します」
会議室が静かになった。
セラさんが息を呑む気配がした。
リタさんは何も言わない。
ガイさんも。
ミナは木札から目を離さず、続けた。
「私は、補助魔術師ではありません」
言った。
今度は、言えた。
声は小さかったかもしれない。
でも、消えなかった。
神殿の使者がペンを取る音がした。
ノエルさんの記録紙も動く。
ラウラさんは、少しだけ表情を和らげた。
「では、何と記録しますか」
問いは静かだった。
責めるためだけの問いではない。
逃げ道を塞ぐ問いでもある。
ミナに、自分で名乗らせる問いだった。
喉が震える。
ヒーラーです。
その一言を言えばいい。
言えば、もう戻れない。
嘘の名前で仕事を受けることはできない。
便利な補助魔術師として笑ってもらうこともできない。
神殿の許可。
ギルドの記録。
仲間の信頼。
全部が、本当の名前へ乗ってくる。
ミナは手を握った。
師匠の字が、頭の中に浮かぶ。
最後に選ぶのは、お前が何者として立つかだ。
ミナは息を吸った。
まだ、怖い。
でも、もう木札は机の上にある。
握って隠れることはできない。
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