第45話 隠せない治療
毒泡袋が破れた直後、南門広場の空気は一段重くなった。
緑の霧が地面を這い、白い天幕の裾を濡らしていく。
ミナの前には、倒れた人が三人いた。
一人は水路から運び出された作業員。呼吸が細い。
一人は皮膚に斑点の出ていた商人。急に膝をついた。
一人は魔力を回そうとしていた冒険者。目の焦点が揺れている。
同時に見なければならない。
同時に全部は治せない。
「ガイさん、作業員をこちらへ。セラさん、人垣を開けてください。リタさん、風上を確保。ノエルさん、術式記録をお願いします」
「任せろ」
「はい!」
「はいはい、空けて空けて! 見物料は取らないから下がって!」
「記録します」
声が返る。
その声に支えられて、ミナは作業員の胸元に手を置いた。
肺に毒が入っている。
深い。
喉ではなく、肺の奥。呼吸筋も硬くなり始めている。ここで解毒を全身へ流しても間に合わない。まず空気の道を作る。
ミナは一瞬、周囲の視線を感じた。
神殿職員。
冒険者。
街の人。
旧パーティ。
新パーティ。
ノエルさん。
セヴラン司祭。
見られている。
記録されている。
補助魔術師では済まない。
ここで使えば、もう隠せない。
「考えるのは後」
リタさんの声が飛んだ。
「今、見て」
ミナの胸に、その言葉が落ちた。
そうだ。
今は見る。
今は治す。
ミナは杖を構えた。
「治療します」
広場のざわめきが、一瞬だけ止まる。
治療。
支援ではない。
補助ではない。
ミナは自分の言葉で、そう言った。
術式が開く。
喉、肺、呼吸筋。毒の広がりを遅らせ、呼吸の拍を戻す。痛みは消しすぎない。意識は無理に引き上げない。体が空気を受け取れる場所まで、細く道を作る。
作業員の胸が震えた。
浅い息。
もう一度。
今度は、少し深い。
「戻った」
ガイさんの声が低く響く。
ミナはすぐ次へ向いた。
商人の腕に触れる。皮膚から毒が深部へ入ろうとしている。洗浄が遅れた部分が赤く熱を持っている。
「洗う前にこすらないでください。皮膚の表面で止めます」
治癒式を浅く広げる。
毒を消すのではない。
入る道を狭める。
深く染みる前に、表面へ留める。
商人が痛みに呻く。
「痛い、痛い」
「痛みは少し残します。触るとわかるように」
「ひどい」
「後で謝ります」
「今、謝ってくれ」
「すみません」
リタさんが横で小さく笑った。
「謝る余裕あるなら大丈夫」
「あまりありません」
「じゃあ、あとでまとめて」
こんな時なのに、少しだけ空気が動く。
ミナは三人目の冒険者へ向かった。
魔力循環が跳ねている。
毒を押し出そうとして、逆に全身へ回している。
「魔力を止めます」
「止めるな、動けなくなる」
「動いたら毒が回ります」
「戦える」
「今は患者です」
冒険者が目を見開く。
ミナは構わず、循環を細く抑えた。
彼の手が震える。
怒りではない。
体が、ようやく止まれた震えだ。
「くそ」
「言葉は出ます。呼吸も戻っています。動かないでください」
「……変なヒーラーだな」
ミナは手を止めかけた。
ヒーラー。
今、そう呼ばれた。
補助魔術師ではなく。
魔術師でもなく。
ヒーラー。
胸が熱くなりかけて、すぐ押し込める。
まだ終わっていない。
ガイさんが次の患者を運んできた。
老人だった。意識はあるが、指先が冷たい。毒で呼吸が浅くなったところへ、逃げる途中で胸を打ったらしい。肋骨は折れていない。けれど痛みで息を深く吸えず、結果として毒が肺の奥で残っている。
「肋骨は折れていません。でも、深く吸うと痛みます」
「治せるか」
ガイさんが聞く。
「痛みを全部消すと動いてしまいます。呼吸できる分だけ抑えます」
ミナは老人の胸に手を添えた。
痛みの波を少しだけ低くする。肺の動きに合わせ、固まった筋肉をほどく。治したと言えるほどではない。けれど、次の息を吸うには足りる。
老人がゆっくり息を吸った。
「……吸える」
「大きく吸わないでください。小さく続けます」
「注文の多い治療だな」
「すみません」
「助かるなら、聞く」
その言葉に、ミナの胸がまた熱くなる。
助かるなら聞く。
その信頼は、名前を偽って得るものではない。
ヒーラーとして、受け取らなければならないものだった。
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周囲のざわめきは変わっていた。
「あれ、補助魔術じゃないだろ」
「ヒールだ」
「でも、ただ治してるんじゃない。さっきの男、動きを止められてたぞ」
「ヒーラーなのか」
「補助魔術師じゃなかったのか」
言葉が広がる。
一つ一つが、小さな石のようにミナへ当たる。
痛い。
でも、昔のように全部が自分を砕くわけではなかった。
今のミナの横には、ガイさんがいる。
リタさんがいる。
セラさんがいる。
ノエルさんが記録している。
セヴラン司祭が止めずに立っている。
嘘はもう守ってくれない。
でも、嘘がなくても、立てるかもしれない。
そう思った瞬間、別の神殿職員が走ってきた。
白い衣の袖に、金の縁取りがある。現場職員ではない。神殿の上の方から来た人だと、ミナにもわかった。
彼はセヴラン司祭の前で足を止める。
「セヴラン司祭」
「今は現場対応中です」
「承知しています。しかし、報告を受けました。無認可術者が公衆の前で治癒式を行使していると」
広場の空気が硬くなる。
無認可術者。
その言葉は、さっきのヒーラーという響きとまるで違った。
ミナの指先が冷える。
セヴラン司祭は表情を変えない。
「私の臨時監督下です」
「それでも限度があります」
神殿の使者はミナを見た。
責める目ではない。
もっと怖い。
人ではなく、規則の対象を見る目だ。
「これ以上、無認可術者を現場に立たせるわけにはいきません」
ミナは杖を握った。
まだ患者はいる。
水路からは、まだ薄い霧が出ている。
ここで止まれば。
その先を考えただけで、息が詰まった。
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