第43話 水路をたどる
南門広場の救護線で、ミナは患者の呼吸を見ながら、水路の奥を思い浮かべていた。
現場から離れることはできない。
けれど、毒の流れは患者の体に出ている。
肺から入った毒。
皮膚から染みた毒。
水を飲んで腹へ入った毒。
同じ毒霧と言われているのに、症状が揃わない。
つまり、毒は一つの道で来ていない。
「ミナさん」
セラさんが赤い布の患者を運んでくる。
「この人、咳は少ないんですけど、腕が赤いです」
ミナはすぐ手袋を替え、患者の腕に触れた。
皮膚から入っている。霧というより、毒を含んだ水滴が付着したのだ。服の袖が濡れている。
「服を切ります。皮膚をこすらないで。洗浄用の水で流してから、青から黄色へ変更」
「赤じゃないんですか」
「呼吸は安定しています。皮膚から深く入る前に洗えば待てます」
「はい」
セラさんは一瞬だけ迷い、それから頷いた。
頭で理解しようとしている。
感情が追いついていなくても、動こうとしている。
ミナはその姿に、胸の奥が少し痛くなった。
嘘をついていたのは、ミナだ。
それでもセラさんは今、ミナの判断を使って人を助けている。
許されたわけではない。
でも、信じ直すための足場がここにある。
崩してはいけない。
******
リタさんは水路の蓋の前でしゃがみ込んでいた。
ミナは直接そこへ行けない。だが、リタさんの声は伝令役の若い冒険者を通じて届く。
「蓋の隙間、霧は一定じゃない。時々、下から押されるみたいに濃くなる。虫が低く飛んでる。水が跳ねてるね」
若い冒険者が息を切らして報告する。
ミナは頷いた。
「水路の中で水面が乱れています。毒泡袋がまだ残っているか、破れた袋から泡が出続けている可能性があります」
ノエルさんが横で記録しながら言う。
「患者の症状とも一致します。霧だけでなく、細かな毒液が混じっている」
「風で飛ばすと」
「皮膚症状の患者が増えます」
「水路を塞ぐと」
「水圧で別の蓋から出るかもしれません」
「嫌な二択ですね」
「三択です。中に人がいます」
さらに嫌だった。
ミナは唇を噛みかけて、やめた。
噛む暇があるなら、考える。
「中へ入る人には、呼吸を浅くしすぎないよう伝えてください。浅すぎると焦って一気に吸います。布は濡らしすぎない。水が跳ねたら、皮膚についた毒をこすらず流す。音が大きく響いたら、崩落か毒泡袋の破裂の前兆です」
若い冒険者が必死に頷く。
「全部伝えます」
「全部でなくていいです。優先は、火を使わない、音を立てない、水を跳ねさせない」
「火を使わない、音を立てない、水を跳ねさせない」
「はい」
冒険者は復唱して走った。
リタさんなら、きっとわかる。
ガイさんも。
セラさんも。
でも、わかっていても危険は減らない。
ミナは救護線へ戻った。
ここにも、患者がいる。
見えない水路と、目の前の患者。
どちらか一つだけを選べないのが、今の現場だった。
******
ガイさんたちは水路へ向かった。
蓋を完全には開けない。端を少しだけ持ち上げ、霧が広がりすぎないよう濡れ布で囲む。リタさんが先に覗き込み、セラさんが光を入れ、ガイさんが蓋を支える。
ミナはその様子を、伝令の言葉で追った。
「中は狭い。腰をかがめないと進めないそうです」
「水位は」
「足首くらい。ただし、ところどころ深い穴があると」
「作業員の声は」
「一人は返事あり。もう一人は不明」
返事あり。
不明。
その二つの差が、胸に刺さる。
ミナは別の患者の処置を終え、赤い布を黄色へ変えた。
「この人は観察。呼吸が荒くなったら呼んでください」
「はい」
神殿職員の返事が、少しだけ素直になっている。
最初は硬かった声だ。
今は違う。
現場が、人を変えている。
いい方向か、悪い方向かは、まだわからない。
ノエルさんが水路側から戻ってきた伝令の紙を受け取った。
「ガイさんたちが一人を発見。意識あり。足を瓦礫に挟まれています」
「呼吸は」
「咳があるが会話可能」
「なら、焦らせないで。瓦礫を無理に引かない。挟まれている間は出血が止まっている可能性があります」
ミナが言うと、ノエルさんはすぐ紙に書き足した。
「もう一人は」
「奥です。返事なし」
ミナの指が止まる。
返事なし。
まだ、決まったわけではない。
返事ができないだけかもしれない。
意識がないだけかもしれない。
まだ、間に合うかもしれない。
「ガイさんへ。先に返事のある人を安全に動かしてください。ただし、奥の人の気配があるなら、リタさんに位置だけ確認してもらって」
「先に動ける方ですか」
伝令の神殿職員が聞く。
「はい。二人同時に助けようとして全員が詰まる方が危険です」
また、順番だ。
治す順番。
運ぶ順番。
助ける順番。
順番を決めるたび、誰かを待たせる。
それが苦しい。
でも、決めなければもっと失う。
******
少しして、リタさん本人が戻ってきた。
顔色が悪い。
いつもの軽口が、少し遅れた。
「中、最悪」
「具体的にお願いします」
「うん。最悪って言葉、具体的じゃなかった」
リタさんは息を整え、早口で言う。
「奥に丸い袋がある。遺跡で見たやつより小さいけど、同じ。壁に張り付いてる。水が当たるたび膨らんで、霧を吐く。作業員の一人、その近くに倒れてる」
ミナの胸が冷える。
「触れましたか」
「触ってない。触ったらたぶん破れる」
「火は」
「絶対駄目」
「音は」
「大きい音で水が揺れる。袋も揺れる」
やはり。
毒泡袋。
遺跡から流れてきたものか、破れた一部が水路内で張り付いたものか。どちらでもいい。今、そこにあって、人を殺す。
リタさんは続けた。
「ガイが伝言。毒泡袋らしきものがある。触れれば破れる」
ミナは杖を握った。
救護線の患者が咳き込む。
水路の奥には、返事のない作業員。
ここから先は、治すだけでは追いつかない。
毒泡袋を破らず、人を出す。
それが次の仕事だった。
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