第42話 白い天幕の外で
南門広場に白い治療天幕が立ったのは、毒霧の知らせが神殿へ届いてから少し後だった。
白い布は本来、清潔で安心できる色のはずだ。
けれど今のミナには、入口に押し寄せる人の影で、少し苦しそうに見えた。
「中へ運べ!」
「順番に入れてください!」
「うちの子を先に!」
神殿職員が必死に声を上げている。中では認定治療師たちが処置をしているはずだ。白い布の向こうから、祈りの言葉と咳が混じって聞こえる。
正しい形だ。
許可を受けた治療師。
清潔な天幕。
順番に運ばれる患者。
記録される処置。
でも、今は数が合っていなかった。
患者の数が、天幕より多い。
毒の流れが、順番より速い。
ミナは天幕の入口を見て、すぐ首を振った。
「全部を中へ入れると詰まります」
近くにいた神殿職員が振り返る。
「ですが、治療は天幕内で」
「重症者だけを中へ。青い布の人は外で洗浄と水分補給。黄色は観察。赤でも呼吸が安定した人は風上で待機です」
「あなたが判断するのですか」
声が硬くなる。
当然だ。
ミナは処分対象者だ。
臨時監督下で動いているだけで、許可された治療師ではない。
「はい」
それでも、答えた。
今だけは、下を向けない。
神殿職員の眉が上がる。
「治療判断は、神殿の許可を受けた者が行うべきです」
正しい。
正しすぎて、胸が痛い。
ミナは言い返せなかった。
その時、セヴラン司祭が横から歩いてきた。
白い袖はもう汚れている。裾には泥が跳ね、手袋には毒洗浄の薬液が染みていた。
「今は記録を取りなさい」
神殿職員が息を呑む。
「司祭様」
「処分は後で決めます。現場を止めてはなりません」
「しかし」
「あなたは天幕内の空きを確認。重症者の受け入れ数を三人分確保しなさい。ミナ・リースさんの判断は、私の監督下で記録します」
許されたわけではない。
でも、道が開いた。
ミナは深く頭を下げそうになって、やめた。
今は頭を下げるより、手を動かす。
「ありがとうございます。セラさん、外の救護線を広げます」
「はい!」
セラさんが布を持って走る。
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白い天幕の外に、もう一つの線ができた。
白ではない。
色布と木箱と倒した樽で作った、少し不格好な救護線だ。
風上側に呼吸症状の患者。
水路側から来た人は、まず靴と裾を洗う。
皮膚に斑点のある人は、汚染された布を外す。
動ける冒険者は搬送役。
子どもと老人は、地面ではなく荷台の上へ。
「飲む水と洗う水を分けてください。洗った布は黒い布の場所へ。触ったら手を洗ってから別の患者に触ってください」
ミナは声を出し続けた。
喉が痛い。
でも止められない。
「ミナさん、水です!」
セラさんが桶を運んでくる。
「飲用ですか、洗浄用ですか」
「飲用です! 匂いも確認しました!」
「ありがとうございます。青い布の人から少しずつ。大量に飲ませないでください」
「はい!」
セラさんの返事は力強い。
それでも、時々目が揺れる。
ミナが治癒を使うたび、その目の奥が少し痛む。
嘘は消えていない。
救護現場でも、消えない。
でも、セラさんは動いてくれている。
その事実を、ミナは無駄にしたくなかった。
ガイさんは患者を運び続けていた。
重い盾は背中にある。手には患者。肩には子どもを抱いた母親を支える力。
「ガイさん、交代を」
「まだいける」
「三人運んだら交代です」
「四人」
「三人です」
「……わかった」
ガイさんが折れた。
近くの冒険者が少し驚いた顔をする。
大盾の戦士が、細いヒーラーの声で止まる。
その光景も、きっと記録に残らない。
でも、生きて帰るには必要なことだった。
******
リタさんが水路の方から戻ってきた。
髪が湿っている。鼻に皺を寄せ、手袋を片方外していた。
「やな感じ」
「触りましたか」
「触ってない。触りそうになった手袋を捨てた」
「正解です」
「褒められた。珍しい」
「いつも褒めています」
「あたしの記憶にはないね」
軽口の後、リタさんの表情が締まる。
「霧、水路の蓋の隙間から出てる。止まってない」
ミナの胸が沈む。
「蓋は開けられますか」
「開けたら濃くなる。あと、下で水が動いてる。古い排水路とつながってるっぽい。普通の用水じゃない」
やはり。
崩壊遺跡の古い排水路。
毒沼の遺跡で見た、あの細い流れ。
封鎖準備が整う前に強行した討伐隊が、毒泡袋を破ったのだ。
毒は、水に乗った。
霧になった。
街へ来た。
ミナは自分の手を見た。
どれだけ治しても、毒が入り続ければ患者は増える。
治療だけでは足りない。
止めなければ。
「ノエルさん」
ミナが呼ぶと、ノエルさんはすでに水路を見ていた。
「風で散らすのは危険です。強い風を入れると、霧が広範囲へ広がります」
「では」
「流入を止める必要があります。ただし、魔術で水路を焼くのは論外です」
「焼く人、いそうですね」
「います」
ノエルさんの返事は早かった。
ミナは少しだけ遠い目になりかけた。
その時、神殿職員が走ってきた。
「水路内を確認しに入った作業員が戻りません!」
広場の音が、一瞬遠くなる。
「何人ですか」
「二人です。蓋の奥を見に行ったまま」
リタさんが短く息を吐いた。
「中に、まだ人がいる」
ミナは杖を握り直した。
救護線の外にも、まだ命がある。
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