第41話 治す順番
南門広場の救護線で、ミナは紫になりかけた唇の子どもを母親の腕から受け取った。
周囲は騒がしい。
けれど、腕の中の子どもだけが静かだった。
静かすぎる。
泣けない。
咳き込めない。
息を吸おうとして、喉の奥で止まっている。
「寝かせます。頭を少し横に」
ミナが言うと、セラさんがすぐ布を敷いた。
「はい」
「お母さん、手を握っていてください。でも、揺らさないで」
母親は泣きながら頷く。
「この子、さっきまで泣いて、急に静かになって」
「静かになったから危険です」
言い方が強かった。
母親の顔が青くなる。
でも、今は柔らかく説明している時間がない。
ミナは子どもの喉元に手を添えた。
毒は肺まで深く入っていない。喉の奥で粘膜が腫れて、空気の道を狭めている。発熱もあるが、先に熱を下げてはいけない。体が戦っている反応まで消すと、毒の広がりが見えなくなる。
順番。
治す順番を間違えれば、助かるものも助からない。
「喉を少し開きます。強くは治しません。呼吸が戻るところまでです」
「強く治せないんですか」
母親がすがるように聞く。
ミナは胸が痛んだ。
「今、全部治そうとすると、体力を使いすぎます。まず息です」
嘘ではない。
でも、優しい答えでもない。
ミナは術式を立ち上げた。
治癒。
もう、ごまかせない。
喉の腫れを細くほどく。毒の刺激が奥へ進まないよう、膜を薄く押さえる。呼吸筋の拍を整え、吸い込む力を少しだけ助ける。
子どもの胸が、かすかに動いた。
一回。
止まりそうになる。
ミナは息を止めた。
もう一回。
小さな音。
空気が通る。
子どもが、弱く咳をした。
「出ました」
セラさんの声が震える。
母親が泣き崩れそうになる。
「揺らさないでください」
ミナはすぐ言った。
母親は必死に踏みとどまった。
泣きながら、子どもの手を握る。
ミナは子どもの額に触れた。
まだ熱い。
でも、呼吸は戻った。
今はそれでいい。
全部を治したい。
安心させたい。
でも、ここには次の患者がいる。
その次もいる。
ヒーラーは、一人だけを見て終われない。
******
「こっちは後回しかよ」
低い声がした。
さっき怒鳴っていた男だ。父親らしい老人を支えている。老人は咳をしているが、顔色はまだ赤い。呼吸は荒いが、空気は通っている。
ミナは立ち上がった。
「後回しではありません。待てる状態です」
「苦しんでるんだぞ」
「はい。苦しんでいます。でも、声が出ます。咳が出ます。今すぐ呼吸が止まる状態ではありません」
男の顔が強張る。
言葉が冷たいことはわかっている。
でも、ここで曖昧にすれば、次に同じ判断が遅れる。
「青い布の人は、洗浄と水分補給をしながら待機。黄色は状態確認を続けます。赤は今すぐ処置。黒い布は汚染物です。触らないでください」
「色で分けるのか」
ガイさんが聞く。
「はい。声で選ぶと間違えます。色で動いてください」
「わかった」
ガイさんはすぐ頷いた。
その迷いのなさがありがたかった。
ミナは布を受け取り、患者のそばへ置いていく。
赤。
黄。
青。
黒。
一人一人に名前がある。
家族がいる。
痛みがある。
でも今は、色をつける。
命を雑に扱うためではない。
助けられる順番を見失わないために。
セラさんが布を配りながら、時々ミナを見る。
大丈夫ですか、とは聞かない。
聞いたらミナが崩れると、わかっているのかもしれない。
リタさんは汚れた布や桶を集め、黒い布の場所へ積んでいく。
「これ触った人、手洗い。目をこすったら怒る」
「怒るだけで済みますか」
「済ませない」
「ですよね」
セラさんが真面目に頷く。
ほんの少しだけ、空気が緩む。
その間にも、ノエルさんは記録を続けていた。
紙を押さえる手が、途中で一度だけ止まった。
ミナはそれに気づいた。
見られている。
記録されている。
子どもに使った術式は、補助魔術ではない。
喉の腫れをほどき、呼吸を戻した。
治癒だ。
ミナは唇を噛みかけて、やめた。
今は、言い訳を考える時間ではない。
次の患者を見る。
それだけだ。
******
セヴラン司祭が白い袖を汚しながら、ミナの横に来た。
「今の処置は、治癒式ですね」
静かな声だった。
責める響きではない。
でも、逃がさない声だ。
「はい」
ミナは答えた。
短く。
「記録します」
「はい」
「続けなさい」
ミナは思わず顔を上げた。
セヴラン司祭は別の患者へ視線を向けている。
「許可したわけではありません。ですが、止めれば今この場で悪化する人がいる。記録を残し、後で判断します」
「……はい」
喉が詰まりそうになった。
許されたわけではない。
でも、止められなかった。
それだけで今は十分だった。
ミナは次の赤い布の患者へ向かう。
冒険者の男だった。魔力循環が跳ねている。毒を吸った後に、自分で魔力を回そうとして失敗している。強く整えると反動が出る。
「魔力を回さないでください」
「そんなこと言われても、息が」
「回すと毒も回ります。止めます」
ミナは男の肩に触れ、循環を少しだけ細くした。流れを止めるのではない。暴れる流れを、狭い道へ戻す。
男が短く息を吐く。
「楽に、なった」
「楽になりすぎたら動きたくなるので、動かないでください」
「ひどい言い方だな」
「動いたら怒ります」
「さっきの斥候の子と同じこと言う」
「仲間なので」
言ってから、ミナは少しだけ驚いた。
仲間。
まだ、そう言っていいのか。
横を見ると、セラさんが赤い布を持って立っていた。
目が合う。
セラさんは小さく頷いた。
いい、と言われたわけではない。
でも、否定もされなかった。
それだけで、胸の奥が少し温かくなる。
その時、ノエルさんが水路の方を見た。
眼鏡の奥の目が細くなる。
「患者が増える速度が落ちていません」
ミナの手が止まる。
ノエルさんは低く続けた。
「毒の流入が続いています」
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