第39話 処分保留
翌朝、ミナは神殿の聴取室で、処分判断を待っていた。
窓の外は晴れている。
それなのに、街の空気は少し落ち着かなかった。
昨日の証言から一晩。
眠れたかと言われると、あまり眠れていない。布団に入っても、セヴラン司祭の言葉と、自分の言葉が何度も頭の中を回った。
神殿に所属しなさい。
私は、ヒーラーです。
どちらも重い。
ミナは膝の上で手を重ねる。今日は木札を握っていない。鞄の内側にしまってある。
補助魔術師の木札。
嘘で得た薄い盾。
もう、表に出して守ってもらうものではない。
部屋にはセヴラン司祭、ラウラさん、ノエルさんがいる。新パーティの三人は廊下で待っている。中に入るかと聞かれたが、ミナは首を横に振った。
これは、まず自分で聞かなければならない。
セヴラン司祭が書類を開いた。
「ミナ・リースさん。昨日までの聴取と証言を踏まえ」
その時だった。
遠くで鐘が鳴った。
一度。
二度。
三度。
神殿の鐘。
礼拝の鐘ではない。
救護要請の鐘だった。
セヴラン司祭の言葉が止まる。
廊下が慌ただしくなる。神官が走る足音。誰かが低い声で指示を出している。
扉が叩かれ、若い神官が飛び込んできた。
「失礼します。南門方面で毒性霧の被害が発生。呼吸困難者、発熱者が複数。ギルドからも救護要請が来ています」
毒性霧。
ミナの体が先に反応した。
喉が締まるような感覚。肺に入る細かな刺激。毒が血へ回る前の、あの嫌な気配を思い出す。
ラウラさんが立ち上がる。
「南門? 毒沼の水路につながる地区です」
ノエルさんの目が鋭くなる。
「先日の中規模討伐で未完了になった崩壊遺跡ですか」
ラウラさんが頷く。
「昨日、封鎖準備の前に、別の討伐隊が強行して入りました」
言葉の途中で、事情が見えた。
遺跡の奥の毒泡袋。
古い排水路。
破れば、毒は水路に流れる。
ミナは立ち上がっていた。
「行きます」
セヴラン司祭がこちらを見る。
「まだ処分は決まっていません」
「はい」
「あなたには、治癒式使用停止を求める可能性があります」
「はい」
ミナは頷いた。
「処分は後で受けます。今は、行かせてください」
部屋が静かになる。
セヴラン司祭の表情は厳しい。
当然だ。
規則を確認する場で、処分対象の本人が治療へ行きたいと言っている。
でも、外では人が苦しんでいる。
ミナには、それがもう見えている気がした。
浅い呼吸。
腫れる喉。
毒の種類が一定でなく、通常解毒が効きにくい患者。
ただ薬を飲ませるだけでは間に合わない。
毒の入り方を見なければ。
ノエルさんが静かに言った。
「通常解毒だけでは間に合わない可能性があります。毒の侵入経路を見られる人間が必要です」
視線がミナへ向く。
セヴラン司祭は目を閉じた。
ほんの短い沈黙。
でも、長く感じた。
やがて、彼は目を開ける。
「臨時監督下での出動を認めます」
ミナは息を吸った。
「ただし、記録はすべて残します。神殿職員の監督下で行動すること。独断で大規模な式改造を行わないこと。必要な場合は、私またはノエル・アスター氏へ申告すること」
「はい」
ミナは頷いた。
完全な許可ではない。
でも、止められなかった。
今はそれで十分だ。
******
廊下へ出ると、ガイさんたちが待っていた。
鐘の音を聞いて、全員もう準備を始めている。
ガイさんは盾を背負い、リタさんは短剣と薬草袋を確認し、セラさんは剣帯を締め直していた。
「南門ですか」
セラさんが聞く。
「はい。毒性霧です。水路に流れた可能性があります」
「行きます」
迷いのない声だった。
ミナはセラさんを見る。
「危険です」
「知っています」
「治癒支援を使います。たぶん、隠せません」
「もう隠さないんですよね」
セラさんの目は、まだ少し揺れている。
でも、前を向いていた。
「合図、聞きます」
その一言で、ミナの胸が熱くなった。
リタさんが肩をすくめる。
「あたしは毒の流れを見る。ミナちゃんは体に入った後を見る。合わせれば、少しはましになるでしょ」
ガイさんが頷く。
「俺は運ぶ。倒れる前に言え」
「はい」
ミナは答えた。
短く。
迷いなく。
ノエルさんが横に並ぶ。
「私は神殿とギルドの記録係も兼ねます。必要な術式はその場で確認します」
「お願いします」
「無茶はしないでください」
「ノエルさんに言われると、少し不思議です」
「私は無茶を推奨したことはありません」
「エレナさんの時」
「あれは必要な検証です」
こんな時なのに、少しだけ笑いそうになった。
笑えたことに、自分で驚いた。
******
神殿の外へ出ると、南門の方角から薄い鐘の音が続いていた。
街の人々が不安そうに道を空ける。荷馬車が止まり、店の人が布を口元に当てている。遠くの空が、わずかに緑がかって見えた。
毒霧。
まだ薄い。
でも、風が変われば広がる。
ミナは杖を握った。
木札は鞄の中にある。
補助魔術師、ミナ・リース。
その名前で隠れに行くのではない。
処分は後で受ける。
記録も残す。
怒られるかもしれない。
神殿に管理されるかもしれない。
ギルドで問題になるかもしれない。
それでも、今は行く。
目の前で、人が倒れる前に。
毒が回る前に。
帰れない場所になる前に。
ミナは一歩踏み出した。
私は、補助魔術師として隠れに行くんじゃない。
ヒーラーとして、人を生かしに行く。
南門へ向かって、四人と一人の魔術師が走り出した。
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