第36話 神殿からの聴取
三日後の午前、ミナは神殿の白い廊下を歩いていた。
ルシェルの冒険者ギルドからは歩いて十分ほど。
同じ街なのに、空気の重さがまるで違った。
ギルドは木と鉄と汗と食事の匂いがする。人の声が大きく、床には傷があり、失敗も成功も同じ掲示板に貼られる。
神殿は白かった。
壁も、床も、窓から落ちる光も、静かすぎるくらい整っている。香の匂いが薄く漂い、歩くたびに靴音が小さく反響した。
ミナは杖を握り直す。
戦場ではない。
でも、怖い。
隣にはノエルさんがいる。ギルド側からはラウラさんも同席する。二人とも落ち着いて見えた。少なくとも、ミナよりは。
「緊張していますか」
ノエルさんが淡々と聞いた。
「しています」
「よいことです」
「エレナさんにも同じようなことを言われました」
「妹は時々、私より正確です」
真顔で言うので、ミナは少しだけ笑いそうになった。
笑えなかったけれど。
扉の前で、神殿の若い職員が礼をした。
「セヴラン司祭がお待ちです」
扉が開く。
中は広すぎない聴取室だった。中央に長机。片側に席が三つ、向かい側に二つ。壁際には記録係の神官が一人座っている。
そして、奥にセヴラン司祭がいた。
年は五十代くらい。白と淡い金の法衣を着ている。顔つきは穏やかで、声も荒くなさそうだった。
けれど、柔らかい人だとは思えなかった。
静かな水のように見えて、底が深い。
「ミナ・リースさんですね」
「はい」
「お越しいただきありがとうございます。あなたの善意を疑っているのではありません。まず、事実を確認しましょう」
最初の言葉から、逃げ道が少なかった。
善意を疑っていない。
つまり、問題は善意ではない。
ミナは椅子に座り、背筋を伸ばした。
******
セヴラン司祭は、机の上に書類を並べた。
ギルドの職業登録。
依頼報告。
エレナさんの治療記録。
紅蓮の剣救助時の処置記録。
紙が並ぶたび、ミナの胸が少しずつ重くなる。
記録は嘘をつかない。
少なくとも、書かれたもの同士は勝手につながる。
セヴラン司祭は穏やかに言った。
「現在の登録職業は、補助魔術師」
「はい」
「旧登録は、ヒーラー」
「はい」
「複数の冒険者依頼において、治癒式に類似、あるいは治癒式そのものの痕跡があります」
「はい」
「エレナ・アスターさんの治療記録には、外部術者による魔力循環経路の一時調整が残っています」
「はい」
「神殿の正式許可は、ありません」
ミナは指を握った。
「はい」
はい、ばかりだ。
でも、違うとは言えない。
セヴラン司祭は少しだけ目を細めた。
「では、確認します。あなたは補助魔術師ですか」
部屋が静かになる。
ノエルさんも、ラウラさんも何も言わない。
これはミナが答えることだ。
ミナは息を吸った。
補助魔術師です。
今まで、何度も言った言葉。
仕事を得るための言葉。居場所を得るための言葉。怖さから逃げるための言葉。
でも、もう使えない。
「いいえ」
声は小さかった。
それでも、部屋の中でははっきり聞こえた。
「私は、本当はヒーラーです」
言ってしまった。
神殿の前で。
記録係のペンが紙を走る音がした。
ミナはその音を聞きながら、胸の奥が少しだけ軽くなるのを感じた。怖さは消えない。むしろ、今からの方が怖い。
でも、嘘を抱えている重さは、少しだけ下りた。
セヴラン司祭は表情を変えない。
「なぜ、補助魔術師として登録を」
ミナは答えた。
旧パーティから追放されたこと。
ヒーラーとしての評価が低く、仕事が来なかったこと。
補助魔術師の募集を見て、自分の支援がそこに近いと思ってしまったこと。
最初は、仕事を得るための嘘だったこと。
人を助けるたびに、言えなくなったこと。
話しながら、何度も喉が詰まりそうになった。
セヴラン司祭は遮らない。
ただ聞く。
その聞き方が、かえって怖かった。
話し終えると、セヴラン司祭は書類を一枚めくった。
「事情は理解しました」
その言葉に、ミナは少しだけ息を吐きかけた。
「ですが、事情は規則違反を消しません」
やっぱり。
胸がまた重くなる。
「あなたは、神殿の認定外で治癒式を使用しました。さらに、通常の治癒式ではなく、対象者に合わせて式を組み替えています」
ノエルさんが少しだけ姿勢を正す。
セヴラン司祭は続けた。
「人を救う力には、責任と許可が必要です」
穏やかな声だった。
でも、強い。
「あなたの善意を疑っているのではありません。野放しにできないと言っているのです」
野放し。
その言葉に、ミナは少しだけ息を止めた。
自分は、野放しなのだろうか。
命に触れる術を持ちながら、怖くて嘘をついて、戦場で使ってきた。
否定しきれない。
でも、ただ危険なだけだとも思えなかった。
「私は、治療記録を消していません」
ミナは言った。
「エレナさんの記録も、救助時の処置も、何をしたか残しました。次に診る人がわからないと困るからです」
セヴラン司祭は頷く。
「それは評価すべき点です」
ミナは顔を上げた。
「ただし、記録を残したから許可なく行ってよい、ということにはなりません」
「はい」
また、はい。
でも、今度のはいは逃げではなかった。
ラウラさんが横から口を開いた。
「ギルドとしても、ミナさんの職業登録には問題があると認識しています。一方で、彼女が参加した依頼の負傷率低下と救助実績も記録されています」
セヴラン司祭はラウラさんを見る。
「記録は拝見しています」
ノエルさんも続けた。
「彼女の術式は、既存の分類だけでは扱いにくい。禁止だけでは、現場の被害が増える可能性があります」
「魔術師組合としての意見ですか」
「現時点では、私個人の鑑定意見です」
「個人の意見では、制度は動きません」
「制度が現場に追いついていない時は、まず記録が必要です」
ノエルさんの声は淡々としている。
けれど、退いていない。
セヴラン司祭はしばらく黙った。
それから、ミナへ視線を戻す。
「本日の聴取は、これで終わりではありません。関係者からの証言も確認します」
「はい」
「処分が決まるまで、あなたの治癒式使用停止を求める可能性があります」
ミナの指先が冷えた。
治癒式の使用停止。
それは、誰かが倒れても手を出すなという意味に近い。
セヴラン司祭は穏やかなまま言った。
「必要な措置です」
ミナは、すぐに頷けなかった。
必要。
安全。
規則。
どれも大切だ。
でも、目の前で呼吸が止まりかけている人がいたら。
その時、自分は手を止められるのだろうか。
答えは出なかった。
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