第25話 変な補助魔術師
撤退から戻った午後、ミナたちはギルドの会議室で、簡単には終わらない報告会に臨んでいた。
討伐未完了。
全員生還。
毒沼奥地の崩壊遺跡発見。
毒泡袋、古い排水路、撤退線の記録。
並べれば、どれも事実だ。
けれど、どの事実を重く見るかで、評価はまるで変わる。
「討伐できていないなら、成功とは言えないだろ」
会議室に呼ばれた討伐担当の冒険者が、腕を組んで言った。
名は知らない。中ランクの戦士らしい。声には悪意よりも、現場の厳しさがあった。
「遺跡全体が巣になっているとわかったのは大きい」
別の職員が反論する。
「無理に押して全滅すれば、情報も戻りません」
「だが、戻ってきただけで評価されるなら討伐依頼の意味がない」
言い分はわかる。
ミナは椅子の上で背筋を伸ばしていた。
疲れている。
湿地から戻ったばかりで、体の奥に泥の重さが残っている。手を握ると、まだ杖の感触がある。
でも、ここで小さくなってはいけない。
撤退してください。
自分が言った。
その結果として、今ここにいる。
なら、結果の前にも座らなければならない。
ラウラさんが資料を机に置いた。
「未完了ではあります。ただし、撤退判断が遅れていれば全員が遺跡内部で孤立し、毒泡袋の破裂を招いていた可能性があります」
静かな声だった。
ノエルさんも頷く。
「報告された状態変化を見る限り、続行時の危険度は高い。特に盾役の膝負荷と退路側の毒泡流入は致命的です」
「それを見たのが、補助魔術師?」
戦士がミナを見る。
ミナは喉を鳴らした。
「はい」
はい、でいいのか。
今のはいは、何に対するはいなのか。
補助魔術師であることか。
状態を見たことか。
嘘と本当が同じ短い返事の中で絡まる。
リタさんが椅子の背にもたれた。
「うちの補助魔術師、変なんで」
「リタさん」
「事実でしょ」
軽口のようで、庇ってくれている。
ガイさんが腕を組んだまま言った。
「ミナが止めなければ、俺は受けた」
会議室が静かになる。
「受け切れると思った。だが膝は沈んでいた。帰り道で崩れた可能性が高い」
ガイさんは自分の判断ミスを隠さない。
その重さが、ミナの胸に来る。
「私は、前に出ようとしました」
セラさんも言った。
声は少し震えていたが、逃げていない。
「倒せると思いました。でも、ミナさんに止められなければ、退路を失っていたと思います」
戦士が黙る。
現場の人間ほど、仲間の証言を軽く扱わない。
ラウラさんは報告書に印を押した。
「本件は、討伐未完了、封鎖および専門調査準備へ移行。新パーティの判断は、撤退成功および情報取得として評価します」
成功。
未完了。
評価。
疑義。
全部が同じ紙に載る。
ミナはそれを見つめながら、自分の職業欄にも同じような矛盾が載っているのだと思った。
補助魔術師。
治癒式に近い痕跡。
負傷率異常低下。
分類未確定。
名前が、現実に追いついていない。
******
会議室を出ると、ギルドの広間はいつもよりざわついていた。
討伐未完了で戻ったパーティ。
でも全員無傷に近い。
しかも崩壊遺跡と毒泡袋の情報を持ち帰った。
噂になるには十分だった。
「あれが例の補助魔術師?」
「毒沼の時もいた子だろ」
「補助っていうか、なんか変なことするらしいぞ」
「変な補助魔術師か」
変な補助魔術師。
ひそひそ声が、広間の端から端へ渡る。
馬鹿にされている。
たぶん。
でも、完全な侮辱でもない。
「あいつがいると死ににくいって聞いた」
そんな声も混じった。
ミナは足を止めかけた。
死ににくい。
変な褒め方だ。
でも冒険者にとって、それはかなり大事な評価なのかもしれない。
役立たず。
そう言われて追放されたミナが、今は死ににくいと言われている。
嬉しい。
苦しい。
どちらも本当だ。
評価されるほど、嘘の木札が重くなる。
リタさんが隣に来て、肘で軽くつついた。
「有名人」
「やめてください」
「変な補助魔術師さん」
「もっとやめてください」
ミナが小声で返すと、リタさんはにやっとした。
「でも、悪くないじゃん」
「悪くないんですか」
「少なくとも、役立たずよりはだいぶいい」
軽い声だった。
でも、その言葉はミナの胸の奥に落ちた。
役立たずよりは。
その通りだ。
でも、役立つために嘘を続けていいのか。
答えはまだ出ない。
ガイさんが前を歩きながら言った。
「今日は休め。全員だ」
「ガイさんも休んでくださいね」
「俺は休む」
「本当に?」
「……少し盾を見る」
「それは休みではありません」
セラさんが真面目に注意する。
リタさんが笑う。
いつもの空気。
戻ってこられたからこそ、交わせる会話。
ミナはその会話を聞きながら、指先をそっと握った。
守れた。
でも、これからは守った分だけ問われる。
そんな予感がしていた。
******
神殿では、同じ頃、別の紙が机の上に広げられていた。
セヴラン司祭は、エレナ・アスターの治療記録とギルドの依頼報告を並べていた。
外部術者による魔力循環経路の一時調整。
補助魔術師による毒拡散抑制。
治癒式に類似する痕跡。
術者名、ミナ・リース。
記録は、嘘をつかない。
少なくとも、書かれたもの同士は勝手に結びつく。
「補助魔術師」
セヴラン司祭はその言葉を静かに読んだ。
机の上の燭火が揺れる。
「神殿の認定を受けず、治癒式に干渉している可能性」
彼は新しい紙を取り出し、短い指示を書いた。
ミナ・リースの職業登録、治癒履歴、過去所属パーティの確認。
関係者、ノエル・アスターへの照会。
筆先が止まる。
セヴラン司祭は、最後に一行を加えた。
必要に応じ、本人聴取。
紙が折られ、封がされる。
ミナの知らないところで、嘘はもう一つ先へ進んでいた。
******
ギルドの広間に戻ると、ノエルさんがミナを待っていた。
人の流れから少し外れた柱のそば。目立たない場所を選んでいるのに、本人が整いすぎていて目立つ。
ミナが近づくと、ノエルさんは資料を閉じた。
「報告、お疲れさまでした」
「ありがとうございます」
「撤退判断は適切でした」
「さっきも聞きました」
「必要な評価は、複数回伝えるべきです」
淡々と言われた。
褒められているのに、なぜか講義を受けている気分になる。
「ただし」
「来ると思いました」
ミナが小さく言うと、ノエルさんは眼鏡の奥で少しだけ目を細めた。
「神殿が動きます」
短い言葉。
広間のざわめきが遠くなった。
「エレナさんの記録ですか」
「ええ。セヴラン司祭は見落としません。ギルド報告のあなたの名前とも結びつくでしょう」
ミナは息を吸った。
来るとわかっていた。
記録を残すと決めたのは自分だ。
それでも、実際に言われると怖い。
「私、逃げるべきですか」
自分でも情けない問いだった。
でも、出てしまった。
ノエルさんはすぐに首を横に振らなかった。
少し考えた。
その誠実さが、逆に怖い。
「逃げれば、短期的には楽になるかもしれません」
「はい」
「ですが、あなたの術式痕跡は残っています。ギルドにも、神殿にも、証人にも。逃げれば、危険な無認可術者として扱われる可能性が高い」
「ですよね」
「神殿が動きます。あなたの嘘は、もう個人の問題ではなくなりつつある」
個人の問題ではない。
ノエルさんに最初に言われたことが、別の形で戻ってきた。
ミナは木札に手を伸ばしかけて、止めた。
握っても、もう隠れられない。
「ガイさんたちに、話さないといけませんね」
「早い方がいい」
ノエルさんは言った。
「ただし、話し方を間違えれば、あなた自身も彼らも傷つきます。できること、できないこと、なぜ隠していたか。順序立てて話してください」
「ノエルさん、そういうの得意そうです」
「必要なら、整理は手伝います」
意外だった。
ミナは顔を上げる。
「いいんですか」
「私はあなたを放置しないと言いました。告発だけが放置しない方法ではありません」
厳しい。
でも、今はその厳しさが少しありがたかった。
「ありがとうございます」
ミナはもう一度、木札へ視線を落とした。
補助魔術師、ミナ・リース。
その文字は、まだ消えない。
けれど、もうそれだけで守られる時期は終わりに近づいている。
神殿の記録。
ギルドの報告。
ノエルさんの言葉。
どれも、ミナの嘘を少しずつ薄くしていく。
それでも、今日はまだ帰れる。
ガイさんたちが待っている場所へ。
変な補助魔術師と呼ばれても、死ににくいと言われても、そこには自分の席がある。
これは勝利の音ではなかった。
嘘で得た居場所が、本当の問いに変わり始める音だった。
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