第22話 中規模討伐の指名
エレナさんの治療から二日後、ミナはギルドの受付前で固まっていた。
理由は簡単だ。
ラウラさんが、笑顔だったから。
ラウラさんはいつも丁寧だ。仕事も早いし、説明もわかりやすい。冒険者が変なことを言っても、たいていは涼しい顔で処理する。
でも今日の笑顔は、少し違う。
逃がさない笑顔だ。
「ミナさん。ガイさんたちはもう会議室にいらっしゃいます」
「会議室」
「はい」
「受付ではなく」
「はい」
ミナは木札を握った。
補助魔術師、ミナ・リース。
最近、この木札を握る回数が増えている。握ったところで文字は変わらないし、問題も小さくならないのだけれど、手が勝手に探してしまう。
「あの、依頼の件でしょうか」
「依頼の件です」
「普通の」
「中規模討伐の前段階です」
普通ではなかった。
ミナの足が半歩下がる。
ラウラさんの笑顔は下がらない。
「大丈夫です。まずは説明です」
「その、大丈夫という言葉は、何に対しての」
「逃げなくて大丈夫、という意味です」
逃げたい気持ちがばれている。
ミナは観念して、会議室へ向かった。
中には、ガイさん、リタさん、セラさんがすでに座っていた。
ガイさんは腕を組み、重い盾を壁に立てかけている。リタさんは椅子を斜めに使い、セラさんは背筋を伸ばしていた。三人とも、ミナを見ると少しだけ表情を変える。
「来たか」
ガイさんが短く言った。
「遅れてすみません」
「遅れてないよ。ミナが来る前に、あたしらが緊張してただけ」
リタさんが肩をすくめる。
「私は緊張していません」
セラさんが言った。
剣の柄を両手で握っている。
とても緊張している。
ミナは隣の椅子に座った。
ラウラさんのほかに、見覚えのある試験官が一人いた。第一部で仮登録の確認をした女性だ。名前はたしか、マルタさん。
そして、部屋の奥にはノエルさんがいた。
壁際に立ち、資料を持っている。
目が合う。
ノエルさんは、ほんのわずかに頷いた。
味方。
というより、証人。
その違いが、今のミナには重かった。
「では、説明を始めます」
ラウラさんが資料を配った。
依頼名。
ルシェル北東湿地、崩壊遺跡周辺の甲殻獣討伐および遺跡調査。
小型ではない。
前回、ミナたちが外縁部で封じた泥の裂け目。その奥へ続いていた泡の筋を、後続の調査員が追ったらしい。
毒沼の奥地には、半分水没した古い石造りの遺跡がある。
そこから中型以上の甲殻獣が確認され、薬草採取路だけでなく、周辺村の水路にも影響が出始めているらしい。
ミナは資料を読み進め、眉を寄せた。
毒泡。
硬い外殻。
水没した石床。
崩落しかけた柱。
古い排水路。
群れの可能性。
嫌な単語の詰め合わせだ。
「あなた方は、直近の毒沼依頼で高い評価を得ています」
ラウラさんが言う。
「特に、依頼成功時の負傷率が異常に低い」
異常。
評価の言葉なのに、ミナの胸に小さく刺さった。
ガイさんが眉を上げる。
「負傷者が少ないのは悪いことか」
「悪いことではありません。むしろ評価しています。ただ、理由の確認は必要です」
ラウラさんの声は穏やかだ。
でも、隣のマルタさんは資料に目を落としたまま言った。
「補助魔術師としての働きは認めます。ただ、治癒式に近い痕跡が複数あります」
部屋の空気が固まった。
ミナは指先を握り込む。
ガイさんがこちらを見る。
リタさんも。
セラさんも。
三人の視線が痛い。
責める視線ではない。
知らないことを、今初めて知った人の視線だ。
その方が痛い。
「ミナは、俺たちを守っている」
ガイさんが低く言った。
「それは報告書にも出ているはずだ」
「はい。だからこそ、今回指名しています」
ラウラさんはすぐ頷いた。
「今回の依頼では、討伐だけでなく撤退判断も重要です。遺跡内部が巣になっている場合、無理に押し切れば崩落や毒の流出を招く可能性があります。あなた方は、生還を優先して情報を持ち帰れる。その点を評価しています」
「でも職業確認はする、ってわけね」
リタさんが軽く言った。
軽く聞こえる。
でも、目は笑っていない。
「必要があれば」
マルタさんが答えた。
ミナは口を開きかけた。
何か言わなければ。
できること。できないこと。危険。
ノエルさんに言われたことが頭の中で鳴る。
でも、言葉が出ない。
補助魔術師です。
そう言えば、いつもの嘘になる。
ヒーラーです。
そう言えば、今ここで全部が変わる。
喉が詰まる。
その時、セラさんが小さく手を上げた。
「質問です」
「どうぞ」
「ミナさんがいない場合、この依頼は私たちに来ましたか」
ラウラさんは少し考えた。
「来ません」
はっきりした答えだった。
セラさんは頷いた。
「では、ミナさんの能力込みで評価されているんですね」
「その通りです」
「なら、私たちは聞くべきことを聞いてから受けます」
セラさんがミナを見た。
まっすぐな目。
逃げられない。
でも、逃げ道を塞ぐための目ではない。
隣に立つための目だった。
「ミナさん。今回、私たちはどう動けばいいですか」
職業を聞かれたわけではない。
でも、それ以上に重い。
ミナは息を吸った。
今言える範囲で、言うしかない。
「私は、攻撃魔術は使えません」
まず、それを言った。
会議室の空気が少し動く。
ガイさんは驚かない。リタさんは「やっぱりね」という顔をしている。セラさんは、少しだけ目を見開いた。
「支援はできます。毒の広がり、疲労、足場の負荷、痛みの出方を見て、倒れる前に止めることができます。でも、強い魔物を一撃で倒すことはできません。治しきれない傷もあります」
全部ではない。
まだ肝心の名前を言っていない。
けれど、何も言わないよりは進んだ。
ガイさんが頷く。
「十分だ。攻撃は俺たちでやる」
リタさんが片手を上げる。
「あたしは前から火力枠だと思ってないし。むしろミナが火を吹いたら怖い」
「吹きません」
「だよね」
少しだけ、空気が緩む。
セラさんはまだ真剣な顔のまま、でも頷いた。
「なら、私は止まる練習をします」
「セラさん」
「勝てそうでも、帰れないなら止まります」
ミナの胸が熱くなった。
伝わっている。
全部ではないけれど、少しだけ。
******
依頼説明の後半で、さらに面倒な情報が出た。
「同系統の湿地依頼を、別地点で紅蓮の剣が受けています」
ラウラさんの言葉に、ミナの心臓が嫌な跳ね方をした。
紅蓮の剣。
グレン。
イザーク。
カミラ。
あの名前が、今の会議室に入り込んでくる。
「場所は違います」
ラウラさんは補足した。
「ただ、発生源が近い可能性があります。どちらかの依頼結果が、もう一方の危険度に影響するかもしれません」
「あいつら、毒沼で一度撤退してなかった?」
リタさんが言う。
「前回は調査不十分で撤退しています。負傷者なし」
その記録の言い方に、ミナは小さく眉を寄せた。
負傷者なし。
でも、毒沼で見つけた破れた手袋と折れた矢を思い出す。
記録に残らない消耗は、負傷者なしに含まれない。
疲労も、焦りも、軽い毒も、次の依頼へ持ち越される。
「ミナ」
ガイさんの声で、ミナは顔を上げた。
「気になるか」
「……はい」
嘘はつけなかった。
「でも、私たちの依頼は私たちの依頼です。まず、自分たちが生きて戻ることを優先します」
ガイさんは短く頷く。
「それでいい」
リタさんが肘をつく。
「元仲間のこと考えて沼に沈むのは、趣味悪いしね」
「リタさん」
「言い方は悪いけど、間違ってないでしょ」
間違っていない。
だから痛い。
マルタさんが資料を閉じた。
「受諾するかどうかは、今日中に返答してください。ただし、受ける場合は詳細な戦闘報告と術式報告を提出していただきます」
術式報告。
ミナの胃がまた縮む。
ラウラさんが最後に言った。
「今回の報告次第では、職業欄の再確認が必要になります」
会議室に、その言葉が残った。
補助魔術師という木札が、急に重くなる。
でも、ミナはもう下を向くだけではいられなかった。
ガイさんたちが待っている。
エレナさんが眠っている。
ノエルさんが記録を残した。
嘘はまだ消えない。
けれど、何を守るために動くのかは、少しずつ見え始めている。
「受けます」
ミナが言う前に、ガイさんが言った。
リタさんが頷き、セラさんも頷く。
そして三人が、当然のようにミナを見た。
最後に決めるのは、ミナだと言うように。
逃げたい。
怖い。
でも、毒と疲労と足場の悪さを知っている。
知らないふりで誰かを行かせる方が、もっと怖い。
ミナは三人を見た。
ガイさんは結果を急がない目をしている。
リタさんは笑っているようで、出口と窓の位置まで見ている。
セラさんは緊張している。それでも、止まる練習をすると言った自分を裏切らないよう、膝の上で拳を握っていた。
この人たちなら、無理をしないでくれるかもしれない。
この人たちだから、無理をさせたくない。
ミナは木札から手を離した。
「受けます。ただし、撤退判断は私にも出させてください」
ラウラさんが静かに頷く。
「記録します」
記録される。
また一つ、嘘の周りに証拠が増える。
それでもミナは、今度は目を逸らさなかった。
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