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パーティを追放されたのでヒーラーが魔術師とうそをつきました  作者: Miris
嘘の魔術師、仲間を生かす

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第21話 魔法式は石板ではない


 翌朝、ミナはノエルさんと一緒にエレナさんの部屋へ入り、治療の準備を始めた。


 静か、というより、音が慎重に置かれている。


 水差しを置く音。椅子を引く音。ノエルさんが紙をめくる音。どれも小さい。


 エレナさんはベッドの上で、両手を膝に置いていた。


 顔色は昨日より少し良い。けれど、緊張で肩が上がっている。


 ミナも緊張していた。


 もちろんしていた。


 していないふりをしたかったが、杖を握る手が少し湿っているので無理だった。


「ミナさん、緊張していますか?」


 エレナさんに先に聞かれた。


 ミナは一瞬だけ固まる。


「……しています」


「よかった」


「よかった?」


「緊張しない人に体を任せるのは、ちょっと怖いです」


 その言い方があまりにまっすぐで、ミナは小さく笑ってしまった。


「では、ちゃんと怖がりながらやります」


「お願いします」


 ノエルさんが横で咳払いをした。


 たぶん、緊張をほぐす会話に入りたいが入り方がわからない兄の咳払いだ。


 エレナさんがそちらを見た。


「兄さまは、怖がりすぎです」


「私は必要な警戒をしているだけです」


「昨日から同じ紙を六回見ています」


「七回です」


「増えました」


 兄妹のやり取りに、部屋の空気が少しだけ柔らかくなる。


 ミナはその隙に、深く息を吸った。


 薬草、温めた布、インク、乾いた紙。


 治療の匂いだ。


 戦場とは違う。


 でも、命の前にいることは同じだった。


「始めます」


 ミナが言うと、エレナさんの背筋が伸びる。


 ノエルさんも紙を置いた。


「ノエルさんは、私が指定したところだけ補助をお願いします」


「わかっています」


「先に動かないでください」


「わかっています」


「本当に」


「……わかっています」


 少し間があった。


 エレナさんがくすっと笑う。


 ミナも少しだけ肩の力を抜いた。


 それから、エレナさんの手を取る。


 冷たい。


 でも、昨日より流れが見やすい。治療前にしっかり休んだからだろう。


 ミナは目を閉じた。


 見えるのは、光ではない。


 痛みの形。冷えの深さ。魔力の湿度。流れが体のどこで迷っているか。


 そういうものが、言葉になる前の感覚として広がる。


 胸の奥。


 左肩。


 首の後ろ。


 戻る。


 やはり、逆流の輪がある。


 そこへ、普通の治癒を足してはいけない。


 魔力を足せば、輪が太る。


 補助で押せば、戻る勢いが強くなる。


 だから、足さない。


 押さない。


 流れの角度を変える。


「エレナさん。少し、左肩が温かくなるかもしれません」


「はい」


「苦しくなったら言ってください」


「はい」


 ミナは細い治癒式を組む。


 いつものヒールではない。


 傷を塞ぐ式でも、毒を薄める式でもない。


 逆流している道の縁に、指をかけるような式。


 戻る流れを一気に止めると、ぶつかった魔力が行き場を失う。だから止めない。少しだけ狭める。


 そのぶん、正常な経路を温める。


 こっちへ流れていい。


 体にそう教える。


 魔法式は石板ではない。


 師匠の声がする。


 相手の体に合わせて縫い直せ。


 縫い目はきつすぎても緩すぎても駄目だ。きつければ裂ける。緩ければほどける。


 ミナはゆっくり魔力を流した。


 エレナさんの指がぴくりと動く。


「温かい、です」


「痛みは?」


「ありません。変な感じ」


「どんな感じですか」


「左の肩で、丸まっていた糸が、引っ張られているみたい」


 いい。


 痛みではない。


 流れが動いている。


「ノエルさん。左肩の外側に、弱い安定を」


「はい」


 ノエルさんの魔力が加わった。


 さすが本物の魔術師だ。無駄がない。ミナの式に触れすぎず、外側で支える。


 ただ、少し強い。


「半分にしてください」


「半分」


「はい。エレナさんの体には強いです」


 ノエルさんの魔力がすぐ細くなる。


 正確。


 指摘への反応が早い。


 兄としては怖がりすぎるが、術者としては信頼できる。


 ミナは逆流の輪を見た。


 戻っていた流れが、少しだけ迷う。


 そこへ、正常な道を示す。


 胸の奥から左肩へ。


 肩から腕へ。


 腕から指先へ。


 戻るな。


 進め。


 命令ではなく、誘導。


 押すのではなく、手を添える。


 エレナさんの呼吸が浅くなった。


「苦しいですか」


「少し、胸が」


「止めますか」


 すぐに聞く。


 エレナさんは目を閉じた。


 数秒。


「続けます。まだ、大丈夫」


 ノエルさんの手が動きかけた。


 ミナは視線だけで止める。


 ノエルさんは止まった。


 偉い。


 いや、偉いと言う立場ではないが、今は本当に偉い。


 ミナは式を少し緩める。


 逆流の道を狭めすぎた。


 胸の奥で、魔力が小さく渋滞している。


 全部を直そうとしない。


 今日の目標は、発作の輪を弱めること。


 完治ではない。


 焦るな。


 ミナは自分に言い聞かせた。


 ******


 時間の感覚が薄くなった。


 実際には、十分も経っていないのだと思う。


 けれどミナには、細い糸を何百本も指先でより分けているように感じられた。


 戻る流れを細くする。


 正常な流れを温める。


 冷えすぎる指先へ、ほんの少し体温維持の支援を混ぜる。


 痛みは消しすぎない。


 痛みは敵ではない。


 異常を知らせる声だ。


 全部黙らせたら、壊れる音まで聞こえなくなる。


「ミナさん」


 エレナさんの声がした。


「はい」


「手が、温かいです」


 ミナは目を開けた。


 エレナさんの指先に、わずかに血色が戻っている。


 本当に少しだ。


 奇跡みたいに劇的ではない。


 でも、その少しが遠かった。


 ノエルさんが息を呑む。


「エレナ」


「兄さま、まだ動かないでください」


「……はい」


 妹に止められている。


 ミナは危うく笑いそうになったが、今笑うと式が揺れるのでこらえた。


 最後の処置に入る。


 今日作った流れを、体が一時的に覚えられるよう、弱い目印を残す。


 強すぎると異物になる。


 弱すぎると消える。


 体が自分で見つけ直せるくらいの、細い目印。


 ミナは魔力を引いた。


 式を閉じる。


 治療の終わりは、始まりより大事だ。


 急に切れば、流れが跳ね返る。


 ゆっくり。


 ゆっくり。


 最後の一本をほどくように、ミナは手を離した。


 部屋が戻ってくる。


 暖炉の音。


 自分の呼吸。


 ノエルさんの視線。


 エレナさんは、目を閉じていた。


 ミナの胸が一瞬止まる。


「エレナさん?」


「……眠いです」


 小さな声。


 それから、ふっと肩の力が抜けた。


 発作の落ちる眠りではない。


 体がようやく休める時の眠りだった。


 ミナは力が抜けて、椅子の背にもたれかけた。


 成功。


 完治ではない。


 でも、今は成功だ。


 その一線を、ミナは何度も心の中で引き直した。


 エレナさんの呼吸は深い。指先の冷えも、完全ではないが弱まっている。逆流の輪はまだある。けれど、昨日より細い。


 ノエルさんが静かに近づき、妹の顔を見た。


 表情が崩れそうになって、ぎりぎりで持ちこたえる。


「久しぶりです」


 声がかすれていた。


「こんなに深く眠るのは」


 ミナは何も言えなかった。


 よかったですね、と言うには軽い。


 治りました、と言うには嘘になる。


 だから、黙って頷いた。


 ノエルさんはエレナさんの毛布を直し、それからミナに向き直った。


「ミナ・リース」


 呼び方から、さんが消えた。


 責める声ではない。


 術者が、術者を呼ぶ声だった。


「次の患者は、あなたでなければ間に合いません」


 ミナの背筋が冷えた。


 認められた。


 たぶん、そういう言葉だ。


 でも同時に、逃げ道を一つ失った音でもあった。


 できると知られた。


 必要だと言われた。


 嘘の木札の向こう側で、ミナの手が誰かに届いてしまった。


「記録を残しましょう」


 ミナは言った。


 声は少し震えていた。


「はい」


 ノエルさんは頷く。


 机に戻り、治療記録を書き始める。ミナが何をしたか。どの流れを狭め、どこへ逃がし、何を残したか。


 正確に。


 隠さずに。


 その紙は、きっと神殿へ届く。


 セヴラン司祭という人の手に渡る。


 怖い。


 でも、エレナさんの眠りを見ていると、怖いだけでは終われなかった。


 ******


 同じ日の夕方。


 神殿の奥にある執務室で、セヴラン司祭は定期報告書を読んでいた。


 厚い机。整えられた書類。磨かれた燭台。


 彼の指は、エレナ・アスターの治療記録の一行で止まる。


 外部術者による一時調整。


 治癒式を土台とした魔力循環経路の改変。


 術者名、ミナ・リース。


 セヴラン司祭の眉が、わずかに動いた。


「ミナ・リース」


 静かな声が、執務室に落ちる。


 彼は別の書類を引き寄せた。


 ギルドから共有された、最近の依頼報告。


 毒沼依頼。


 補助魔術師、ミナ・リース。


 負傷率異常低下。


 治癒式に類似する痕跡。


 セヴラン司祭は紙を重ねた。


 同じ名前。


 同じ痕跡。


 彼は燭台の火を見つめ、ゆっくりと言った。


「この治療痕は、誰の許可で行われたものですか」


 ******


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