第11話 君がいると死なずに済む
翌朝、ミナたちがルシェルのギルドに顔を出すと、救助依頼が朝一番に回ってきた。
薬草採取に出た少年が、森から戻らないという。年は十三。ギルドの正式な冒険者ではなく、薬屋の手伝いとして森の浅い場所へ入っただけらしい。
低ランクの依頼だった。
けれど、ミナは依頼書の文字を見た瞬間、背中が冷えた。
『場所: 東の湿り森。状況: 薬草採取者一名未帰還。注意: 夜間の低体温、毒草接触の可能性あり。』
討伐ではない。
魔物の群れでもない。
それでも、人は簡単に危なくなる。濡れた服。浅い傷。毒草の汁。冷えた夜。空腹。焦り。どれか一つでは死ななくても、重なれば命を削る。
ガイが依頼書を見て言った。
「受ける」
迷いはなかった。
リタも頷く。
「森ならあたしが見る」
セラは包帯の取れた腕を軽く回した。
「私も行けます」
「無理はしないでください」
ミナが言うと、セラは少し照れたように笑った。
「はい。ミナさんの合図、聞きます」
その素直さが、嬉しい。
同時に、怖い。
信頼されるほど、嘘は重くなる。
ミナは木札を鞄の中で確認した。
補助魔術師、ミナ・リース。
今日はその名前で、人を探しに行く。
******
湿り森は、名前の通り湿っていた。
足元の土は柔らかく、靴底に重くまとわりつく。木々の葉は厚く、昼前だというのに森の中は薄暗い。水の匂いと腐葉土の匂いが混ざり、ところどころに甘い薬草の香りが漂っている。
リタが先頭を歩く。
「足跡、ある。小さい。急いでるね」
彼女は地面を見て、枝を見て、草の折れ方を見る。さすが斥候だ。ミナにはわからない痕跡を、すばやく拾っていく。
ミナは別のものを見ていた。
踏まれた草の先に、わずかな汁がついている。触るとかぶれる種類の薬草。少年の手に付着していれば、痒みと熱を起こす。さらに森の湿気で体温が奪われれば、判断が鈍る。
「この草、触れています」
ミナは屈んで葉を指した。
リタが見る。
「よく気づいたね。薬草?」
「薬にもなります。でも、処理しないと皮膚に熱が出ます」
「斥候より細かいもの見てるじゃん」
「体に悪いものなので」
言ってから、リタがこちらを見たのに気づく。
しまった。
まただ。
リタは軽く笑うだけだった。
「便利だね、その見方」
責めるでもなく、流すでもなく。
保留する声だった。
森の奥で、小さな布切れが枝に引っかかっていた。セラが駆け寄りかける。
「待って」
ミナが止める。
セラはぴたりと止まった。
その足元に、細い蔓が張っている。踏めば絡むだけだが、転べば泥に体を打つ。疲れた少年なら、そこから動けなくなったかもしれない。
「足元、蔓があります」
「本当だ」
セラが慎重に避ける。
ガイが低く言った。
「ミナがいると進み方が変わるな」
「遅いですか?」
「いや。戻れる進み方だ」
その言葉は、ミナの胸に静かに残った。
戻れる進み方。
戦うためではなく、生きて帰るための歩き方。
ミナがずっと大切にしてきたものに、初めて名前をつけてもらった気がした。
******
昼を過ぎる頃、少年の足跡は乱れ始めた。
まっすぐ歩いていない。右へ寄り、左へ戻り、同じ木の周りを回った跡がある。焦りか、発熱か、方向感覚の乱れ。
ミナは落ちていた薬草を拾った。
茎が途中で折れている。指で強く握りすぎた跡。葉には汗がついている。汗の匂いに、熱の気配が混じっていた。
「発熱しています。たぶん、毒草に触れた手で顔を拭いています」
ガイが表情を引き締める。
「急ぐか」
「急ぎます。でも走りません」
ミナはすぐに言った。
セラが不安そうに見る。
「走らないんですか」
「こちらが疲れると、見つけた後に運べません。森で息が上がると判断も乱れます」
ガイが頷いた。
「わかった。速歩きだ」
ミナは三人へ小さな支援を入れる。
ガイには体温低下を抑える補助。湿った森で大きな盾を持つ彼は、汗をかいた後に冷えやすい。
リタには集中を保つ補助。視線の動きが速い分、疲労が目に出る。
セラには呼吸を整える補助。焦ると肩が上がり、足が先に出る。
ほんの少しずつ。
気づかれない程度に。
でも、三人の歩き方は変わった。
リタが一度だけ振り返る。
「あたし、さっきより目が楽」
「森に慣れたのかもしれません」
「ふうん」
ごまかしは雑だった。
でもリタは、それ以上聞かなかった。
やがて、ガイが足を止めた。
「声がする」
全員が息を殺す。
風に混じって、小さなうめき声が聞こえた。
リタが走り出しかけ、ミナが短く言う。
「右から。足元に水たまりがあります」
リタは即座に進路を変えた。
茂みを抜ける。
少年は、倒木の陰にいた。
顔は赤い。唇は乾き、呼吸は浅い。手の甲にはかぶれが広がり、服は湿っている。意識は薄いが、まだ反応はある。
間に合った。
でも、余裕はない。
少年の指には、まだ薬草の束が握られていた。
意識が薄れても、手放さなかったのだろう。薬屋へ持ち帰るつもりだったのか、家族に褒められたかったのか。理由はわからない。
ただ、その小さな手が、ミナの胸を締めつけた。
「もう大丈夫です」
ミナは少年に聞こえるように言った。
「薬草は持っています。だから、今は息をしてください」
少年のまぶたがわずかに震えた。
返事はない。
でも、指の力が少しだけ抜けた。
ミナはその手から薬草をそっと外し、セラへ渡した。
「大事に持っていてください」
「はい」
セラは両手で受け取った。
******
「ガイさん、風を遮ってください。セラさん、水を少し。飲ませすぎないで。リタさん、周囲の安全確認を」
ミナの指示に、三人はすぐ動いた。
少年の額に触れる。
熱い。
毒草の刺激で熱が出ている。軽い脱水。体温は上がっているのに、服が濡れているせいで表面は冷え始めている。体の中と外で、状態がずれている。
ミナは治癒式を立ち上げた。
まただ。
また治癒に近い力を使う。
でも、今さら迷わなかった。
この子は冒険者ではない。討伐数も、評価表も、職業欄も関係ない。ただ、助けを待っている。
「少し痛みを抑えます。呼吸を楽にします」
少年には聞こえていないかもしれない。
それでも、ミナは声をかけた。
毒草の刺激を抑える。皮膚の炎症を落ち着かせる。浅い呼吸を少し広げ、喉の乾きを悪化させないようにする。体温を急に変えず、内側の熱と外側の冷えをゆっくり揃える。
細かい作業だった。
派手な光は出ない。
けれど、少年の眉間のしわが少し緩む。
セラが水袋を持ったまま、小さく息を呑んだ。
「顔色、戻ってきた」
「まだ安心できません。運びます」
ガイが少年を背負う。
ミナはその背中にも支援を入れた。ガイの腰と膝へ、負担を逃がす補助。少年の体が揺れすぎないように、腕の力加減も整える。
「妙だな」
ガイが言った。
「軽く感じる」
「持ち方がいいんだと思います」
「そうか?」
ガイは首を傾げたが、歩き出した。
リタがミナの隣に並ぶ。
「ねえ」
「はい」
「今の子にやったの、補助?」
ミナは前を見たまま答えた。
「命をつなぐために必要なことです」
リタはしばらく黙った。
「そういう答え方、嫌いじゃないよ」
それ以上は聞かれなかった。
******
森を出た頃には、夕方の光が街道を薄く照らしていた。
少年はまだ意識がはっきりしないが、呼吸は安定している。ギルドへ運び込むと、すぐに神殿の治療師へ引き継がれた。
ミナはそこで手を離す。
手を離した瞬間、急に疲労が押し寄せた。
ガイが横に立っている。
「大丈夫か」
「はい。少し、魔力を使っただけです」
「少しに見えなかった」
ミナは苦笑する。
「そうですか」
ギルド職員が依頼成功を告げ、報酬の手続きを始める。少年の薬屋からも、後日礼があるらしい。
セラはほっとした顔で椅子に座り込んだ。
「助かってよかった」
リタは壁に寄りかかり、目を閉じている。
「低ランクって、全然低くないね」
「そうだな」
ガイが答える。
そして、ミナを見た。
「ミナ」
「はい」
「君がいると、死なずに済む」
言葉は、静かだった。
大げさではない。飾っていない。ガイが実際に見たものを、そのまま言っただけの声。
だから、逃げられなかった。
ミナの胸の奥で、紅蓮の剣の言葉が遠ざかる。
役立たず。
後ろにいただけ。
回復だけ。
それとは反対の場所から、ガイの言葉が届いた。
死なずに済む。
ミナは何か答えようとした。
でも、うまく声にならない。
「ありがとうございます」
やっと出たのは、それだけだった。
ガイは頷く。
その時、受付職員が新しい依頼書を持ってきた。
「あなた方に、少し難しい依頼が来ています」
ミナは顔を上げる。
周囲の視線が、少しだけこちらへ集まっていた。
目立ち始めている。
成功するほど、必要とされる。
必要とされるほど、嘘は重くなる。
ミナは木札に触れた。
補助魔術師。
その名前が、また一段深く沈んだ。
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