第10話 仮加入の夜
毒蛾依頼を終えた夜、ミナたち四人はギルド近くの安い食堂で報酬袋を分けていた。
ガイが大きな手で硬貨を数え、リタが横から数え直し、セラが自分の取り分を見て目を輝かせる。
「初めて、ちゃんと依頼の報酬をもらいました」
「前は?」
リタが聞く。
「訓練費で消えました」
「それは報酬というより授業料だね」
セラは少し悔しそうに銅貨を握った。
木のテーブルは傷だらけで、椅子は少し軋む。けれど、出てきた豆の煮込みは温かく、硬いパンもスープに浸せば食べやすい。
ミナは自分の前に置かれた報酬袋を見つめていた。
一人分。
本当に、四等分。
小さな袋なのに、胸の奥まで少し温かくなる重さだった。
「あの、やっぱり私は少し返した方が」
「まだ言う?」
リタが呆れたように頬杖をつく。
「でも、セラさんを怪我させてしまいましたし」
「怪我させたのは毒蛾」
「止めきれなかったので」
「止めてなかったら、もっとひどかった」
リタは軽く言い切った。
ミナは言葉をなくす。
ガイがスープを飲んでから言った。
「依頼は成功。全員戻った。セラは生きてる。それで十分だ」
「でも、職業確認保留が」
「それはギルドの話だ」
ガイは硬貨を袋にしまう。
「俺たちが見たのは、ミナが毒を止めたところだ」
毒を止めた。
そんなふうに言われると、喉の奥が熱くなる。
ミナは水を飲んだ。
熱を押し込むように。
食堂の店主が、追加のパンを籠に入れて持ってきた。
「毒蛾の巣を片づけたんだって?」
ガイが頷く。
「小さい巣だ」
「小さくても助かるよ。あそこ、荷馬車の連中が嫌がってたからな」
店主はパンを一つ多く置いた。
「おまけだ。若いのが無事に帰ってきた祝い」
セラが目を輝かせる。
「いいんですか」
「食え食え。怪我したならなおさら食え」
店主は笑って戻っていった。
ミナはそのパンを見つめる。
依頼は、ただ報酬を得るためのものではない。洞窟を通る荷馬車が安心できる。毒で倒れる人が減る。セラが生きて帰る。ガイが盾を下ろせる。リタが軽口を言える。
そういう小さな結果が、目の前に置かれた余分なパンの形をしていた。
ミナは少しだけ、その温かさに触れる。
役立つというのは、こういうことなのかもしれない。
大きな討伐数ではない。
派手な火球でもない。
誰かが明日も普通に道を通れること。
その普通を残すこと。
ミナはパンをちぎって、ゆっくり口に入れた。
少し硬くて、少し焦げていて、温かかった。
******
セラは包帯を巻かれた腕を、そっと動かしていた。
「腕、動きます」
「無理に動かさないでください」
「少しだけです」
「少しだけでも、今日は休ませてください」
「はい」
返事は素直だった。
洞窟に入る前のセラなら、もう少し反論していたかもしれない。毒針の痛みと、ミナの治療で、少しだけ何かが変わったのだろう。
セラはしばらく包帯を見つめてから、小さく言った。
「助かりました」
ミナは顔を上げる。
「え」
「腕。あと、多分、息も。あのままだったら怖かったです」
セラの頬が赤い。
礼を言い慣れていないのだろう。言いながら、視線があちこちに逃げている。
「ありがとうございました」
ミナは胸の奥が詰まるのを感じた。
ありがとう。
その言葉は、簡単なはずなのに、久しぶりに聞くとこんなに重い。
「私は、できることをしただけです」
「そのできることが、すごかったんです」
セラはまっすぐ言った。
ミナは今度こそ、返す言葉がなくなった。
リタが横からにやにやしている。
「ミナちゃん、褒められるの下手?」
「下手、かもしれません」
「そこは否定しないんだ」
ガイが低く笑う。
食堂のざわめきの中で、その笑いは穏やかだった。
ミナは手元のパンを小さくちぎる。
ここに居てもいいのだろうか。
そう思ってしまう自分がいる。
仮のパーティ。仮の職業。仮の木札。
それでも、今このテーブルで、ミナの前には一人分の報酬と温かいスープがある。
それが少し怖いくらい嬉しかった。
******
「で、次の話なんだけど」
リタが急に切り出した。
ミナはパンを落としそうになる。
「次」
「次。今回で一回限りっていうのもできるけど、相性悪くなかったでしょ」
相性。
その言葉に、ミナの胸がまた落ち着かなくなる。
ガイは頷いた。
「俺は継続でいいと思っている」
「私もです」
セラがすぐに言う。
「ミナさんがいると、前に出るのが怖くないです。いや、怖くないのは駄目ですね。ちゃんと怖いけど、無茶する前に止めてもらえる感じがします」
「それは、いいことです」
「はい」
セラは照れくさそうに笑った。
ガイがミナを見る。
「ミナがいてくれるなら、次も受けられる」
その言葉で、ミナの中の何かが止まった。
今だ。
真実を言うなら、今だ。
補助魔術師ではありません。
本当はヒーラーです。
ヒールに支援を混ぜています。毒を止めたのも治癒魔術です。攻撃魔術は使えません。魔術師と名乗ったのは、仕事がなくて、怖くて、逃げたからです。
言えばいい。
今なら、まだ一度の依頼だけだ。
このテーブルを離れるなら、傷は浅い。
ミナは唇を開いた。
「私は」
三人が見る。
ガイは静かに。リタは探るように。セラは期待するように。
言わなければ。
言わなければいけない。
「私は、その」
声が出ない。
怖い。
言った瞬間、役立たずヒーラーに戻るのが怖い。
嘘を責められるのも怖い。
でも、それ以上に。
このテーブルから、また席が消えるのが怖かった。
「……次も、できる範囲で支援します」
言えなかった。
リタの目が少しだけ細くなる。
ガイは頷いた。
「助かる」
セラは明るく笑った。
「よろしくお願いします、ミナさん」
ミナは頷く。
胸の奥で、嘘が少しだけ根を張った。
リタはその様子を見ていた。
「ミナちゃん」
「はい」
「無理に言わなくていいこともあるけど、言わないと面倒になることもあるよ」
ミナの手が止まる。
「それは」
「一般論」
リタは豆の煮込みをすくいながら言った。
軽い声だった。けれど、ミナにはわかる。これは見逃してくれている言葉だ。同時に、先延ばしを許していない言葉でもある。
ガイは二人の会話を深追いしなかった。
セラは意味がわからない顔をしている。
ミナは小さく頷いた。
「覚えておきます」
「うん。忘れたら、たぶんあたしが突っつく」
「優しくお願いします」
「内容による」
リタは笑った。
ミナも、少しだけ笑う。
笑えたことが、余計に苦しかった。
******
その夜、ギルドで正式な仮加入の契約書に名前を書くことになった。
依頼一件の成功により、ミナの期限付き仮登録は本登録へ進む。職業確認保留の印は残るが、今すぐ登録を止められるわけではない。
受付職員が書類を並べる。
「パーティ継続の場合、こちらに署名を。構成は盾役、斥候、剣士、補助魔術師ですね」
補助魔術師。
ミナはその欄を見つめた。
黒い文字が、逃げられないように見える。
「訂正があれば今のうちにお願いします」
受付職員は事務的に言った。
今のうち。
また機会が来た。
ミナはペンを持ったまま固まる。
背後では、セラがリタに報酬袋の結び方を教わっている。ガイは盾の留め具を確認している。三人とも、ミナが補助魔術師として署名することを疑っていない。
疑っているのは、たぶんリタだけだ。
でも、彼女も止めない。
ミナは震える指で名前を書いた。
『ミナ・リース 職業: 補助魔術師』
ペン先が紙から離れる。
音はしなかった。
でも、何かが決まった気がした。
宿へ戻ると、ミナは師匠のノートを開いた。
何度も読んだページ。
その端に、昔の自分の字が残っている。
『支援は、気づかれなくてもいい。
でも、嘘にしてはいけない。』
ミナはノートを閉じた。
閉じる音が、部屋の中でやけに大きく響く。
今日、ミナは人を救った。
今日、ミナは必要とされた。
そして今日、ミナは本当の名前をまた飲み込んだ。
補助魔術師。
その嘘は、温かい居場所の形をしていた。
温かいから、手放しにくい。
冷たい嘘なら、捨てられたかもしれない。誰かを騙して得た報酬だけなら、まだ戻れたかもしれない。
でも、この嘘の先には、セラの笑顔がある。ガイの「助かる」がある。リタの面倒くさそうな優しさがある。
ミナは灯りを消した。
暗くなった部屋で、木札だけが机の上に残る。
見えなくなっても、そこにある。
嘘も、同じだった。
ベッドに入っても、眠りはすぐに来なかった。
食堂の笑い声、セラの礼、ガイの短い肯定、リタの一般論。どれも温かくて、どれも胸に引っかかる。
ミナは布団の中で目を閉じる。
明日も、この人たちと依頼に出たい。
そう思ってしまったことが、一番の問題だった。
同時に、それが今夜いちばん嬉しいことでもあった。
だから眠れない夜は、少しだけ優しかった。
******
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