高嶺
私も一門下生でしかありませんでしたから、詳しい事は知らないのですが、と前置きをしてから十三さんは高嶺という家について語り出す。
「高嶺流というのは本来、その一族にしか継承しない一子相伝形式でずっと続いていたそうです。私共も門下生とは言いますが、高嶺流ではなくあくまで一般的なスポーツレベルまで落とした技術を教えていると言われた事があります」
「んん?つまりどういうこと?」
「武道と武術は違うんだよ。武道はスポーツだけど、武術は戦う術。想定されている前提が違うんだ」
例えば剣道と剣術、弓道と弓術は混同されがちだがまるで違う。
剣道と弓道はあくまでスポーツ。決められたルールの中でどれだけ高いパフォーマンスが出来るか。
剣術と弓術は率直に言えば戦争で使われていた技術。昔の合戦で人を斬ったり射たりするためのモノ。もっと言えば人を殺すための技だ。
高嶺家の道場では高嶺流の武術というよりはスポーツレベルの技術までしか教えていなかったのだろう。
そのレベル差は子供と大人とかそんなレベルではなく、飼い猫と野生のライオンくらい違うモノ。
その差の違いは覚えておいた方がいいだろう。特に戦いに身を置くならな。
「高嶺流というのは沢山の武器の中で一つを選び、それを極める事を良しとしています。流派としてかなり変則的で、どうやって継承されて来たのか疑問が残りますが、それは置いておきましょう」
「気になるのは何を以て高嶺流と言うのかだな。聞く限りでは、その血筋の人が好き勝手に色々やってるだけで、流派としての纏まりが無い」
「えぇ、故に変則的なのですが、高嶺流の大原則として求められるのが『一撃必殺』だったそうです」
一撃必殺。言うのは簡単だが、やるにはあまりにも難しい技術だ。
拳銃ですら人を一発で仕留めるには相当に狙いを澄ます必要があると言う。
なんと心臓ではダメなんだとか。後々確かに死ぬらしいが、反撃の猶予が残るらしい。
一撃必殺というからには、その猶予すら残さずに一撃で殺すということ。
私だって刀一本で魔獣を一撃で倒せと言われたら苦労する。最低でも4〜5回は刀を振るだろうな。
「その一撃必殺の技は確かに存在しました。私がこの目で見ていますよ。魔獣の首を一太刀で斬り落とす師範の後ろ姿を」
「魔法少女じゃないのに生身で魔獣と戦って、しかも倒した……?!」
「そんな話、聞いた事無いぞ」
嘘っぱちだと多くの方に言われましたが、私達は確かにそれを見たのだと十三さんは強く主張する。
嘘を言うような人では無いのはよく知っている。だが、あまりにも非現実的な内容すぎてとてもじゃないが信用が出来ない。
ただの人間が刀一つで魔獣と戦い、そして倒す。
どうすればそんな事が出来るのか、まずそこが理解出来なかった。
「どうやってただの人の身でそのような事が出来たのか、今でもハッキリとは分かりません。ただ、言えるのはあの方々は門下生を逃げ遅れた街の人々を逃すために、生身で魔獣の群れに立ち向かった」
絶句する以外に感情を表現する方法が無かった。生身で魔獣に立ち向かうという無謀にも思える行為にも、それでいて魔獣を一刀の元に斬り捨てたという技にも。
自らの命を投げ捨ててでも、大多数の人を救ったであろうその生き様にも私達には強い衝撃を与えた。
「その人達はどうなっちゃったの?」
「分かりません。生きているなら英雄ですが、その名声を聞かないとなれば恐らくは群れた魔獣と死闘を繰り広げた結果、お亡くなりになったと考えるのが普通です」
墨亜の質問に十三さんはそう答え、私はそうだろうなと心の中で納得する。
魔法少女ですら、数人で魔獣の群れと対峙するのは危険だ。
アズールやアメティア、アリウム、グレースアは群れに対しても強気に行けるだろうが、残りはどちらかと言えば一対一の戦いの方が得意な方。
聞く限りでは高嶺の家の人達は精々4人ほど。街を滅ぼす規模の魔獣の群れに対してでは、どんなに凄腕でも頭数が足りな過ぎる。
安否不明とは言うが亡くなっていると考えるのが自然だろう。
「これはその最後。魔獣に立ち向かう師範に託されたモノなのです。『流石に家宝くらいは後世に残したい』などと笑っておりましたが、私ども高嶺流を模倣した門下生達は、この刀をいずれ笠山の地に返したいと思っておりました」
「……遺言みたいなものだろう?良いのか?」
「返せればで構いませんよ。もし、返せなかった時は千草様がお使いください」
「流石にそれは……」
大事なモノとどころではない。日本刀ともなれば、下手すると国宝かも知れないものをおいそれと受け取れないし、遺品でもある。
私には肩の荷が重過ぎる。




