第三話:始祖様
「……血って、これでいいのか?」
レグルスが、ものすごく嫌そうな顔で瓶を持っていた。
赤黒い液体。
吸血鬼用保存血液。
ノクスは静かに頷く。
「問題ありません」
少女――クロエは、ソファへ座らされていた。
大きめの毛布に包まれ、ぼんやりしている。
レグルスが瓶を差し出す。
「ほら」
クロエは、きょとんと見上げた。
「……くれるの?」
「腹減ってんだろ」
クロエは、恐る恐る瓶を受け取る。
そして。
こく。
一口飲んだ瞬間。
部屋の空気が変わった。
ドクン――
圧力。
レグルスの表情が消える。
ノクスの瞳が細まった。
少女の周囲へ、黒い羽根が舞い始める。
その姿は。
ほんの一瞬だけ。
“怪物”だった。
クロエは気づいていない。
ただ、夢中で血を飲んでいる。
空腹だったのだろう。
瓶はすぐ空になった。
「……おいしい」
「そりゃ良かったな……」
声が若干引きつっている。
今の一瞬で理解した。
ヤバい。
この少女は、本能だけで周囲を震えさせる。
ノクスは、静かにクロエを見つめていた。
始祖。
間違いない。
代々、自分達の血統が監視し続けた存在。
畏怖。
崇拝。
服従。
血が、そう叫んでいる。
なのに。
クロエは、空瓶を抱えたまま首を傾げた。
「……?」
「なんで、そんな顔してるの?」
「いや……」
「お前、自分が何者か分かってねぇの?」
クロエは、数秒考えて。
「……くろえ?」
「名前じゃねぇよ」
ノクスは、静かに片膝をついた。
「おい?」
ノクスは、クロエの前で頭を垂れる。
それは。
彼の血統へ、深く刻まれた行動だった。
「……始祖様」
「しそ?」
「ご飯?」
レグルスが吹き出した。
「ぶはっ……!」
ノクスですら、一瞬沈黙する。
クロエは、困ったように周囲を見る。
「……ちがうの?」
「違う違う」
「紫蘇じゃねぇよ」
「しそ……?」
全然分かっていない。
ノクスは、静かにクロエを見上げる。
この存在は、本当に始祖なのか。
世界を滅ぼした災厄。
血月の怪物。
そのはずなのに。
目の前にいるのは。
ただ、空腹で倒れていた幼い少女だった。
クロエは、おずおずとノクスへ聞く。
「……えっと」
「あなた、だぁれ?」
ノクスは、ほんの少しだけ目を細めた。
「……ノクスです」
「のくす」
小さく笑う。
「きれいな名前」
その瞬間。
ノクスの心臓が、わずかに跳ねた。
レグルスは、それを見逃さなかった。
「……へぇ?」
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