第二十九話:契りの血
赤月が、静かに輝いていた。
崩れた時計塔。
紅い雨。
血の匂い。
その中心で。
クロエは、そっとノクティスを抱き寄せている。
ノクティスの呼吸は、もうかなり弱い。
黒い侵食紋様は、首元まで広がっていた。
エルが静かに告げる。
「侵食率、五十パーセントを突破」
「限界まで、残り僅かです」
クロエの指先が震える。
怖い。
また、壊してしまうかもしれない。
昔みたいに。
ノクスが、静かに彼女の隣へ立った。
「クロエ」
「……貴女が迷えば、彼は不安定になります」
優しい声だった。
責めるでもなく。
止めるでもなく。
ただ、信じている声。
クロエは、小さく頷いた。
レグルスは、少し離れた場所で壁へ寄りかかる。
「……ったく」
「ほんと、無茶ばっかしやがる」
だが、その赤い瞳には確かな祈りがあった。
セレナは、静かに槍を下ろしている。
もう、討つ気などどこにも残っていない。
クロエは、そっとノクティスの頬へ触れた。
熱い。
暴走した始祖因子が、彼を焼いている。
ノクティスが、薄く目を開ける。
「……逃げて、ください」
クロエは首を振る。
「やだ」
即答だった。
ノクティスの瞳が、少しだけ揺れる。
クロエは、泣きそうな顔のまま笑った。
「ティス、私を守ってくれたもん」
「だから今度は、私の番」
その言葉に。
ノクティスは、ゆっくり目を閉じた。
安心したみたいに。
クロエは、静かに首筋へ牙を立てる。
柔らかな音。
赤い血が、ゆっくり流れ込む。
その瞬間。
ドクン――
空気が震えた。
ノクティスの身体へ、赤黒い紋様が走る。
暴走していた始祖因子が、クロエの血へ反応する。
エルの端末が、高速で数値を書き換えていく。
「侵食停止」
「始祖血統、再固定開始」
「共鳴率、急上昇」
ノクスの瞳が細まる。
「……深いですね」
レグルスが、苦い顔で笑った。
「そりゃそうだろ」
「もう半分家族みてぇなもんだ」
その時。
ノクティスの身体が、ふわりと浮いた。
セレナが目を見開く。
「……なっ」
黒銀の翼が、再び広がる。
だが、さっきまでとは違う。
暴力的な力じゃない。
どこか静かで。
優しい。
クロエの血が、彼を壊すためではなく。
“繋ぎ止める”ために流れている。
ノクティスの閉じていた瞳が、ゆっくり開いた。
赤と紫が混ざる、不思議な色。
クロエが、少し安心したように笑う。
「……ティス?」
ノクティスは、ぼんやり彼女を見つめる。
そして。
消えそうな声で呟いた。
「……綺麗」
「え?」
ノクティスは、少しだけ笑った。
「ずっと……綺麗だと思ってました」
沈黙。
レグルスが、思わず顔をしかめる。
「うわ」
セレナも呆れたように息を吐いた。
「この状況で言うのか……」
ノクスは、静かに目を閉じる。
「なるほど」
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