第十一話:始祖の涙
威圧が、十三番街を覆っていた。
空気が重い。
呼吸すら難しい。
低位吸血種達は路地裏で震え、教会兵ですら膝をつき始めていた。
それほどまでに――
“始祖”という存在は、圧倒的だった。
だが。
その中心にいる少女は。
「……っ」
怯えていた。
クロエは自分の身体を抱き締める。
震えが止まらない。
胸の奥が熱い。
お腹が空く。
血の匂いがする。
怖い。
何より――
自分自身が。
「クロエ」
ノクスが静かに呼ぶ。
いつも通りの声。
落ち着いた、優しい声だった。
「こちらを」
クロエの瞳が揺れる。
「……ノクス様」
「大丈夫です」
ノクスはゆっくりクロエへ近づいた。
威圧など気にしない。
恐れもしない。
当然だった。
この方は、自分が永遠を誓った唯一の主なのだから。
セレナが低く呟く。
「正気か……」
始祖の暴走前兆。
本来なら即時討伐対象。
近づくなど自殺行為だ。
だが、ノクスは止まらない。
クロエの前へ跪き、静かに頭を垂れる。
「――お側におります」
その瞬間。
レグルスが静かに目を閉じた。
隠しきれなかった。
ついにノクスは、忠誠を隠しきれなかった。
クロエは涙目のままノクスを見る。
「……なんで」
「なんで、そんな事するの……?」
ノクスは顔を上げる。
そして、ほんの少しだけ困ったように笑った。
「癖のようなものです」
クロエは意味が分からないまま息を呑む。
その時だった。
ノクティスの胸が、強く脈打つ。
ドクン。
血が熱い。
頭の奥が揺れる。
視界の端へ、知らない光景が流れ込む。
玉座。
黒い羽根。
赤い月。
そして。
跪く、銀髪の誰か。
「っ……!」
ノクティスが頭を押さえる。
セレナが振り返った。
「ノクティス!?」
エルだけが、静かにその反応を観測している。
「血統共鳴反応を確認」
「始祖波長との同期率上昇」
セレナの顔色が変わる。
「何だと……?」
エルは淡々と続けた。
「推定」
「ノクティス・アルバ・オウルは、始祖血統に連なる個体です」
沈黙。
ノクティス本人すら、理解できていない。
「……俺が?」
あり得ない。
教会で育った。
吸血鬼を狩る側だ。
なのに。
どうして。
目の前の少女を見て、涙が出そうになるのか。
クロエは苦しそうに息を乱していた。
「……やだ」
「誰も、傷つけたくない……」
その声。
その怯え。
セレナの瞳が、わずかに揺れる。
教会の記録とは、あまりにも違う。
都市を滅ぼした災厄。
世界最悪の吸血鬼。
なのに。
目の前にいるのは。
ただ、泣いている少女だった。
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