23話 相談屋の長い一日(四)
風に乗って町から賛美歌が聞こえた。正確にはようなものと言うべきか。
しかしそれは賛美歌だった。
歌詞までは聞き取れなかったが、穏やかに、そして厳かに流れるメロディーからは、大王の死を悼む歌い手たちの心が伝わって来る。
俺は二人の槍兵に両脇を抱えられ、捕らえられた宇宙人か猿かといった体裁で、広間に引き連れられた。
姫に案内されて通り過ぎた広間である。
広間には顧問官を含め、城の重鎮と思われる五人の男たちが、一様に深刻な面持ちで長机に視線を落とし、査問の開始を待っていた。
彼らは俺の登場と共に疲れて色を失った顔を上げ、こちらを一瞥する。
もう賛美歌は聞こえなかった。
一段高くなった正面の壇上には玉座があり、そこに座しているのは大王ではなく、くすんで輝きを失った金の王冠だった。
玉座の隣には痩せた長身の男が立っていた。
歳は四十を越えていないだろう。にもかかわらず、短く刈られた髪は白一色だった。
男は俺を横目で見定める。それから空の玉座に置かれた王冠に視線を移した。
彼は頬をピクリと動かして、ほとんどそれと分からない不敵な笑みを浮かべ、俺に向き直る。
こいつが大臣だな。
俺は近所の野良猫が一目散に逃げ出す睨みを大臣にくれてやる。
大臣はもちろん逃げ出さなかったし、気にした様子さえうかがえなかった。
彼の傍らには、赤毛の少年が感情どころか生気さえも消え失せた表情で、身じろぎもせずに控えている。
丸みの帯びた顔は、覆い被さる影の中に沈んでぼやけ、非常に印象の薄い少年だった。
そのために、大王の死体を前にして喚き散らして逃げ去った少年だと、すぐには気づかなかった。
赤毛を隠されでもすれば、永遠に同一人物だと分からなかっただろう。
大臣の従者だったのか?
一瞬でも目を離せばその存在を忘れかねない、希薄であやふやな少年が、俺にはひどく不気味に映った。
少年の肩に手を置いて杖代わりにしながら、大臣が一歩前に進み出る。
それを合図に、少年が一通の丸めた書簡を袖の中から取り出して大臣に渡した。
「これは」大臣が耳障りのいい、余韻のある中性的な声で言った。「下手人のねぐらから発見された暗殺を指示する密書だ。これには顧問官の補佐官が迎えに行くこと、その補佐官が場を離れて陛下が一人になること、そして暗殺後の逃走経路まで記されている。顧問官、何か弁明はあるか?」
「弁明? 何を弁明しろと」
名指しされた顧問官は、少なくとも表面上は平静を保っていたが、その声には大臣への隠し切れぬ嫌悪感がむき出しになっていた。
おそらく彼と大臣の仲は、今回の件で決裂したのではなく、ずっと以前から決定的なものになっていたに違いない。
「ならば偶然だとでも。会議の場で相談屋の話を持ち出し、さらに陛下との会談を全てお膳立てしたのは顧問官ではなかったかな。そしてこの密書。内情を知る者でなくては書けぬ内容だ」
槍兵の一人が音もなく動き、俺から離れて顧問官の背後に回る。
「その密書とやらは誰が見つけたのです?」
「私が自ら赴いて発見した」
「なるほど、大臣の懐から落ちたと考える方が納得がいく」
残念ながら、顧問官の皮肉は皮肉以上になっていなかった。反論は無理だと言ったも同然である。
とはいえ、仮に冤罪を必死に説いたとしても事態が好転したとは思えない。
「下手人、お前に指示を出したのはこの者であるな。ここで証言すれば、お前は慈悲を得られるだろう」
俺は顧問官に死刑宣告を出すためだけに呼ばれたわけだ。
大臣の言う「慈悲」とは一体何を意味するだろうか?
苦しまずに殺してくれるのか、それとも減刑か。当然、前者だろう。だから慈悲などという言葉を使って明言を避けたのだ。
俺が何も答えずにいると、大臣は静かに片手を上げて槍兵に指示を飛ばす。
それを受けて槍兵は縄を取り出して顧問官に近づき、彼を捕縛するために手を伸ばした。
「俺は大王の親書を持っている」
俺は大臣に向かって言い放つ。
全員の目が俺に集中し、動きを止めた。
「親書だと」
驚きの声を上げたのは顧問官だった。演技ではなく、本当に驚き、うろたえてさえいた。
彼の醜態は俺を不安にさせた。
顧問官はどうも機転が利かない。
しかし、現状を打開するには彼の助けがいる。
これが姫ならば、すぐにこちらの意図を察してくれるだろうに。
「そうです。俺、いえ、私の名はアーサー・アブ・アサド。大王の密偵として、陛下及び王女殿下の暗殺の企てを帝国より持ち帰り、内偵のために相談屋に扮しておりました。暗殺の策謀を阻止できず、無念の極み」
「連れ出せ」
大臣が簡潔な、そしてもっとも適切な判断を下した。
俺に妙なことを発言されるよりも、この場から消えてもらった方が彼にとっては得策だ。
当然、俺と顧問官にとっては違った。
「親書は私の靴下の中だ」
俺は顧問官に目配りしながら言った。
大臣に親書を取られるわけにはいかなかった。
白紙だと宣言される危険があるのだ。
顧問官の動きは素早かった。俺が偽装で姫を襲った時に見せた、あのスイマー張りの俊敏さだ。
背後にいた槍兵を押し退けて立ち上がり、俺に駆け寄るとすぐに靴下の中を検める。
親書を手にした彼は、それを声に出して読み上げた。
『シュレーディンガーの猫が純白の皿と赤い果実を捧げ
穢れのない乙女は永遠の眠りへと導く
そして乙女は平穏を得るだろう
やがて太陽を引き連れて黒船が現れ
全てを業火から救うだろう』
読み終えた顧問官は「なんだ、これは」と俺と大して変わらない感想を述べた。
「大王より承った親書です」
「これが親書……。そうだとしても、まるで意味が分からないではないか」
いいぞ、と俺は内心でほくそ笑む。
顧問官が本気で質問しているかどうかはさておき、大臣に付け入る隙を与えなければ、査問の主導権はこちらが握れる。
「暗号です。陛下はすでに城内に帝国の内通者がいると考え、私とのやり取りは全て暗号にて行っておりました。この親書は陛下の身に何かあったときのために、私がお預かりしていた物です。シュレーディンガーの猫とは帝国の凶手。陛下は、その凶手よって殿下が眠りについたのは、結果的に最善と判断なされました」
「なぜだ」
「殿下には誰も近寄れません。殿下のお命を守るのに、これ以上の楯はありませんから。帝国との戦いが終わり次第、目覚めさせればよいと」
目覚めさせることができるのか、と重鎮の一人が言った。
俺は相手に顔を向け「はい」と明瞭に答える。
「私は、かの魔術を破る方法を存じております。太陽を引き連れた黒船。黒船は黒髪の私です」
では太陽とは、と重鎮が返す。
「それは私だ」
顧問官がそう言い切り、躊躇なく自らの帽子を脱ぎ去る。
広間の重苦しい気配を打ち消すように、彼の頭上で太陽が輝く。
顧問官の頭と親書の内容、そのどちらに広間に居合わせた人間がより驚愕したのだろうか?
そんな疑問が湧くほどに、彼らは目を見開いて息をのんだ。
少年だけは例外だったが。
彼は微動だにしなかった。
「私たちがこの国の憂いを払い、業火から救って御覧に入れます。それが陛下の遺志です」
俺は勝利を確信して言った。
大臣は冷ややかな視線で周囲を見渡す。そして敗北を悟ったのか、静かに目を閉じて凍りついたように動かなくなった。
ジエリが一体、どういう意図でこの手紙を寄越したのか分からない。
しかし、これが死罪を免れるための唯一の武器だと俺は信じていた。
これで全て片がつく。
姫の部屋には彼女以外の人物はいないはずである。少なくとも大臣たちはそう思っているはずだ。
部屋から彼女が出て来る姿を全員に見せ付ければ、偽物だと誰も主張できない。
そして姫と共に密書を偽物だと証明して、大臣を権力の座から追い出す。
それでようやく、俺のこの冤罪の恨みも晴れるというものだ。
「これから殿下の下へ行き、その呪いを払いましょう」
そう俺が言った瞬間だった。
明らかに場違いな笑い声が広間に響き渡る。
ひどくはしゃいだ子どもの笑いだ。
それは少年から発せられたものだった。
彼は、もう可笑しくしかたがないといった様子で腹を抱えていた。
だが、その顔は少しも笑ってなどいない。それどころか俺を鋭い視線で見据える。
あまりにも唐突で無分別な少年の行動を咎める者はおらず、彼が静まるまでただ黙って見守る。
俺が作り上げた勝利の余韻が飲まれて消え去るまで少年は笑い続け、不意にまた、例のあやふやな存在に戻ると、今度は下手な役者が台本でも読むように淡々と話し始めた。
「皆さん、何をそんなに神妙になさっているんです。その親書の内容がどうであれ、真偽がどうであれ、何も関係ないじゃありませんか。だって、彼が陛下を殺したのを僕は目撃したんですよ。それに、姫様に魔法をかけたのが、魔法を破ると言っている彼だとすれば、姫様に止めを刺すに決まっています」
大臣が荒々しく息を吐き、目を開く。
「よく考えたものだ。殿下を眠らせて我々を恐怖に落とし、存在が邪魔になれば殺すとはな」
おかしい。
俺は将棋盤が引っ繰り返るのを、はっきりと感じ取りながら思った。
偽装とはいえ、俺が姫を眠らせたのは真実だ。
しかし、このタイミングでそれを指摘し、加えて俺に姫に近づけさせない口実を作るとは、並大抵の人間にできることではない。現に大臣だって沈黙したのだ。
子ども特有の素直さ、あるいは無知のためか?
いや、と俺はそのどちらも否定した。彼は王殺しを目撃したと嘘をつき、その効果を熟知して笑って見せたのだ。
この少年は何かがおかしい。
「連れ出せ」
本日二度目の大臣の言葉に抗う術はなかった。




