24話 相談屋の長い一日(五)
秒針のように時を刻みながら西の稜線へと落ちて行く夕陽に照らされて、俺はひどい眩暈に襲われた。
人生の最後を飾るに相応しく、厳かで猛々しい、そして少々眩しすぎる落日に毒されたのだ。
一方、俺の隣にいる頭上に太陽を持つ男の暗さと言ったらなかった。
顧問官の髪は乱れ、顔色を失い、反面、到るところにできた青アザがカラフルに彩っている。無駄に抵抗して兵士に殴られたに違いない。
俺たちは町の広場に作られた舞台の上に、食肉工場に運ばれる家畜のように大人しく並んでいた。
大臣がこちらに背を向けて、舞台の中央前方に立つ。
その傍らには、あの赤毛の少年は見当たらない。
大臣は声も高らかに俺たちの罪状を読み上げ、死罪を宣告した。
大罪人の処刑を見物しようと集まった群集は広場だけには収まらず、道にあふれ出していた。
この一大イベントを見逃すまいと、好奇心旺盛な子どもたちが家の屋根に上り、母親の叱責を無視して文字通り高みの見物を決め込んではやし立てた。
彼らは遠慮なしに大罪人を的に石つぶてを投げる。
それを咎める者などいない。
俺と顧問官はもはや縛られていなかったが、身を庇う気力さえなく、黙って石つぶてを受け続けた。
上半身裸の巨漢の処刑人が斧を片手に壇上に上がると、群衆から一斉に歓声が沸き、一瞬で静まった。
時が止まったと錯覚するような静寂だった。
一度は取り戻したはずの現実感を俺は再び失った。
これは全て夢で、目が覚めれば自宅でいつもの朝を迎え、そしていつもの汽車に乗り、沢木の相談を聞く。
そう信じて疑わなかった。
二人の介添え人が俺の髪を鷲掴みにして腰高のテーブルに顔を押し付け、素早く両手をテーブルの足に縛りつけた。
処刑人がすぐ横で斧を振りかぶるのを、俺は冷めた目で眺めた。
これは夢で、こちらの都合通りに事が運ぶならば、その斧が俺の首に届くことはないはず。
そう、こんなところで死ぬはずはないのだ。
処刑人が短く息を吐き、その腕に力がこもるのが分かった。
斧が振り下ろされる瞬間、俺は無意識に目を瞑る。
長い静寂。
静かで、一筋の光さえも見出せない暗闇に落ちて行く感覚が全身に広がっていく。
そうだ、これは現実だ。
異世界に来たのも、そこで相談屋を始めたのも、冤罪で首をはねられるのも、何もかも現実だ。
「何だ夢か」
そんな一言を、ベッドの上で目覚めて口にすることなど起きはしないのだ。
そんなことは……。
「ギリギリ間に合いましたねえ」
場にそぐわない、あまりにも呑気な声が、俺を暗黒から日の光の下に引き戻す。
プラプラと揺れるポニーテールと、夕陽を浴びてもその白さを失わない全身タイツが目に飛び込んで来る。
「ジエリ、今まで何をやっていたんだ、このバカが」
開口一番、俺はジエリを怒鳴りつけた。
「何ですか、その言い草。こっちだって色々大変だったんですよ」
「知るか、そんなの。俺の方がずっと大変だったぞ」
「私の方こそ知ったことですか」
俺とジエリのやり取りを、処刑人は呆然と眺めていた。おそらく、この広場にいる全員がその状態だった。
俺の頭の上には例の世界を渡る穴があり、首をはねるはずだった斧の刃はそこに吸い込まれていたのである。
穴が閉じると斧の柄だけが処刑人の手に残された。
ここでジエリと無意味な言い争いをしている暇はない。
時間は何より貴重だ。
「俺の縄を解け、早く」
はいはい、とジエリは俺の両手の縄を掴んでヒョイと引き千切った。
いち早く立ち直った処刑人が、彼女を捕らえようと両手を突き出して迫る
ジエリは軽く処刑人の肩を押した。
俺にはそう見えた。
処刑人の巨体が宙に舞い、手足をバタつかせながら壇上を飛び出して、観客の上に落ちて行く。まるでスローモーションの映画でも見ている気分だ。
ジエリはやはり常識外れの規格外の存在だ。今後、こいつを本気で怒らせないように気をつけよう。
それはともかくとして、今は逃げるのが先決である。
いまだに状況を把握しきれずに戸惑う顧問官の背中を押して、俺たちは舞台を降りて城へと駆け出す。
群集に塞がれていない道は、そこしかなかった。
「煙だ!」
背後から、誰かの悲鳴にも似た叫び声が聞こえた。
城の一角から、赤から黒へと移り変わりつつある空に煙が立ち昇っている。
最初は一筋の煙に過ぎなかったが、俺たちが城に続く丘の坂道を駆け上っている間に、それは勢いを増し、霧のように城を覆い始めた。
「こっちだ」
誰もいない城門をくぐってすぐに、横合いから声がした。
城の陰から鎖帷子に身を包み、腰に剣をぶら下げた臨戦態勢の姫がぬっと現れて、俺たちに手を振る。
城の木造部分である東側の壁から火の手が上がっていた。
「火事の混乱に乗じて助け出すつもりであったが、まさかそっちから来るとは思わなかった」
「また無茶を、貴方は……」
「説教は後でよい」
姫は不満そうな顧問官を一言で黙らせ「父の部屋に抜け道がある」と言って先導する。
俺は迷っていた。
姫の後を追いかけて広間まで来たところで、ようやく決心がついた。
「悪い、城でやることがあるから、先に行っててくれ」
三人は驚きというよりも、何を言っているのかさえ理解できずに困惑した視線を俺に投げかける。
三人の中で最初に口を開いたのは姫だった。
「何を馬鹿なことを言っておる。この機会を逃せば脱出は叶わぬぞ」
「俺は魔法使いですよ、姫。逃げるのなんて造作もありません」
「お主は調子のいい時だけ魔法使いになるのだな。わらわは騙されんぞ」
顧問官が俺と姫の間に体を入れて会話を遮る。
「顧問官、邪魔を……って、お主、ハゲておるぞ」
「以前からです」
「早く姫を連れて行け。俺は大丈夫だから」
「死ぬ気はないのだな、相談屋」
多分、顧問官は勘違いしている。俺が大臣をどうにかするつもりだと思っているのだ。
その誤解を解く時間はない。
「当たり前だろ」
「そうか。また会おう」
「ああ」
それは果たされない約束かも知れないことを、お互い理解していた。
そして俺たちは別れた。
「やることって何です?」
残ったジエリが俺の顔を覗きこんで尋ねる。
「ケリをつけるんだよ。あのガキを見つけ出して、はっきりさせてやる」
この一件の本当の黒幕が誰かを。
顧問官は大臣だと言ったが、そうは思えなかった。
彼は大臣との確執のために近視眼に陥っている。
「よく分かりませんが、素直に逃げた方がいいと思いますけどねえ」
「お前は最後まで付き合えよ」
「言われなくてもそうしますよ」
赤毛の少年がいる場所はおおよそ見当がついていた。もちろん、全くの肩透かしに終わる可能性もあった。
しかし、やらずにはいられなかった。
俺とジエリは開かずの間、すなわち姫の部屋の前まで来ると、扉が向こう側からゆっくりと開いた。
そして光の届かない部屋の暗がりから、俺たちを誘うように袖に半ば隠れた細い手がスッと現れ、再び暗闇の中に消えた。
どうやら、むこうも俺と会いたいらしい。
招きに従い、部屋へと足を踏み入れる。
少年は闇の中に沈みこむようにして佇んでいた。暗闇に目が慣れても、おぼろげな輪郭が確認できるだけで、その顔までは見通せない。
彼が笑っているのか無表情なのか、俺には分からなかった。
「俺を待っていたのか」
「いえいえ、貴方が会いたそうにしていたから、わざわざ来てあげたんですよ」
人を小馬鹿にした口調だった。
「どうして俺をハメた?」
「ちょっと自意識過剰ですよ。まるで僕が貴方を狙っていたみたいじゃないですか。ただ、貴方が都合よくそこにいただけ。本当にただそれだけです」
「お前が大王を殺して、大臣をそそのかしたんだな」
「そそのかしたわけじゃありません。大臣の望みを叶えただけです。彼は権力を欲しがっていた」
少年の返答は、はぐらかされてはいたが自供とも取れる内容だった。
彼が大王を殺し、その罪を俺に被せるのと同時に顧問官を主犯として排除する。そして企みは達成した。
顧問官も姫も、ついでに俺も、この城を去らねばならない。
もっとも、その件で少年に相応の代償を払わせるつもりはなかった。
彼の仕業だとはっきりした以上、それで終わりである。
今さら真実を声高々に叫んでみても現状は変わらないだろうし、誰も信じはしないだろう。それに俺には少年を処刑台に引きずり、その首がはねられるのを見物する趣味はないのだ。
俺の関心は少年自身、つまりその正体は何か、ということに移っていた。
彼が普通の少年とは到底思えなかったのである。
「お前は大臣に忠誠を誓っているのか?」
「忠誠ですって、何て馬鹿馬鹿しい。僕は大臣と取引しただけです。彼は権力を手に入れ、その代償を僕に捧げる。あの人が僕に何をくれるのか、考えるだけでも楽しいですよ」
こいつは悪魔だ。
俺は心の中で断言した。
この赤毛の少年は悪魔のメフィストフェレスだ。
「メフィストフェレス」と少年が呟いた。「変わった名前ですね、それ。帝国の架空の生き物ですか。それとも、もっと別な何かかな?」
俺がうろたえるには十分な言葉だった。
少年は心の中を読んだのだ。
あの村岡のように。
「なるほど、僕みたいな人間が他にもいるんですね。ぜひとも会って見たいものです」
「お前は何者だ」
自分でもはっきりと分かるほどに声が震える。
少年とこれ以上、一緒にいてはいけないと警鐘が激しく頭の中で打ち鳴らされる。
ジエリも同じらしく、不安そうにずっと俺のシャツの裾を握り締めいていた。
「僕は大臣の従者です。他の何者でもありません。安心してください、貴方を取って喰おう何て考えていませんから。もうすぐ、ここに人が来ます」
少年は窓を開け、片手を広げて俺たちにそこから逃げるように示した。
俺は躊躇せず、窓に手をかける。
「出て左側の側塔に、ろくに補修もされずに空いた穴があります。そこから外に出られますよ。では、またお会いしましょう」
返す言葉も思いつかず、俺は逃げ出した。
外に出るなり、ジエリが必死に腕を振り回して円を描き、穴を作り出そうとする。
しかし、彼女の腕は哀しく空を切るだけだった。
「何をやっているんだよ。早く元の世界に戻るぞ」
「分かってますよ、そんなの」
俺が何度も早くと急き立てても穴は一向に開かず、彼女は首を傾げるばかりだった。
このままでは埒が明かない。
加速度的に腕を振るうジエリの首根っこを掴んで、少年が教えてくれた塔に向かう。
城壁の隅に建てられた塔の一階に、板で簡易的に補修された箇所があった。
板はジエリによって簡単に取り除かれ、抜け穴が顔を出す。
俺たちは町を出た。
もう二度と帰れない町を。
日はすっかり沈み、空には月が出ていた。
俺の田舎で見られるものと変わらない、描かれたウサギ模様の細部に到るまで瓜二つの異世界の月だ。
月に見守られ、木々のざわめきだけを聞きながら、しばらく夜道を当てもなく歩く。
俺たちは少年のことを話題にしなかった。話題にするのも不気味で、ためらう相手だったのだ。
「相談屋は廃業だな」
俺は窮地を脱した安心感から、ふと思い至って口にする。
「何を言っているんですか。またどっかの町で始めればいいじゃないですか」
相変わらず腕を振り回し続けるジエリが言う。
「潮時ってやつだよ」
「柄にもなく潮らしいことを言わないで下さい。うーん、おっかしいなあ。これはもしかして、管理官の資格を剥奪されたのかも」
ジエリが腕を止めて神妙な面持ちで自分の手をじっと見つめる。
聞き流すには重大すぎる言葉だった。
「今、何て言った?」
「えっ、だから資格を剥奪されたのかもって。ようやく取れた資格なのに」
「つまり、それはどういうことだ?」
「ウルサイ人ですね。決まってるじゃないですか、異世界を移動できなくなったんですよ」
口を尖らせて面倒くさそうに説明する。
まるで他人事のように話すジエリに、俺は腹を立て始めていた。
「まさか、元の世界に帰れないって言わないだろうな」
「帰れませんよ。そりゃもう絶対に」
俺はこみ上げる衝動を抑えきれずに彼女の首を締め上げた。それでも少しばかり顔を歪ませるだけで、特に苦しがる風もない。
「ふざけるな。早く俺を戻せ。つうか、お前は何をやらかしたんだ、このバカ」
「急に呼び出されて、ちょっと相談屋の件で上司とケンカになっただけです。ルールがどうとか口やかましいんですよね、うちの上司。もう本当に散々だったんですよ。書き終えたはずの報告書はどっかになくなるし」
「お前の報告書って、シュレーディンガーの猫が白い皿をどうとか書いたやつじゃないだろうな?」
「そうですけど、何で知ってるんですか。もしかして、あなたが取ったんじゃ?」
「んなわけあるか!」
より一層、腕に力がこもる。
しかし、先に音を上げたのは俺の方だった。もう腕に力が入らない。
「これからどうすんだよ」
ジエリの首から手を離し、冗談抜きに深刻になって俺は言った。
「まあ、なんですか、当初の予定通りに相談屋を続けましょう。さすらいの相談屋なんてどうです? シンプルでいいんじゃないですか」
「もう好きにしてくれ」
反論する気力も湧かない。
俺の気のない返事を受けて、ついにはジエリが怒り出す。
「何ですか、その無気力な感じは。世界を救う崇高な目的はどうしたんです。アホですか、あなたは」
「お前だけには言われたくない言葉が聞こえたぞ。俺がアホなら、お前はドアホだ」
「ああ、そうですか。私のおかげで命が助かったのに、その言い草ですか」
「そもそも、お前のせいだろ」
「とうとう言うに事欠いて責任転嫁とは、呆れて物も言えません」
「一層のこと、そのまま黙ってくれ」
「黙ってなんかやりません。散々に喋り倒してやりますよ」
「こっちが呆れて物も言えんわ。つか、忘れてた。これでも喰らえ」
「痛! 何で急にデコピンなんですか。暴力に出るとは許せません。お返しです」
「止めろ、俺の首が取れる」
「どうせ取れるはずだった首じゃないですか」
俺とジエリの、しょうもない罵り合いが延々と夜空に響く。
しばらくして、お互い疲れ切って道端に座り込む。
「大王の相談って、なんだったんですかねえ」
ジエリが空を仰いで、しみじみと言った。
「決まっているだろ」
大王がしていた身分不相応の粗末なガラスのネックレス。あれはきっとプレゼントだったのだろう。
城の信用できる人間ではなく、わざわざ俺のような、どこの馬の骨かも分からない相手を選んで相談しようとした。藁にもすがる気持ちだったに違いない。
誰かの悩みを解決することが、他の誰かを苦しめる結果になる。
大王しかり。
村岡しかりだ。
だからといって俺が全面的に悪いとは思わない。責任の一端はあるが、どうせ生きて行く限り、悩みは尽きないのだ。
「ねえねえ、何をもったいぶってるんですか。早く教えてください」
「大王も人の親ってことさ」
そうほのめかして答える。
ジエリは意味が理解できずに、首を捻ってうんうんと唸る。
俺はそのまま放って置いた。
相談屋の最後の仕事は、すでに終わっている。
なぜなら、姫はすでに目覚めているのだから。
お悩み相談屋はこれにて閉店。
そして、さすらいの相談屋、本日開店である。




